第112話 注射
注射器の針先が蛍光灯を反射して光る。鋭く尖ったそれがやたら怖く見えるのは人に差して使う道具だからと知っているからだろうか。凛太は唾を飲んだ。
これまた裁縫でもしているかのように無表情のまま、注射器に薬品を入れて準備が終わったらしい看護婦の女は凛太の隣に戻ってきた。あのテンションで何も言わずに始めようというのか。
看護婦の女が脈を取るために凛太の手首を掴んだ時に、思わず凛太は声を出した。
「それって、睡眠薬ですか?」
「ええ。睡眠導入剤です。ちょっとちくっとしますよ」
「……は、はい」
間を作りたかったのだが上手くいかず、腕にガーゼで消毒液が塗られる。それがひんやり冷たくて……凛太はもうその感覚の中でなるようになれという気持ちだった……。
無事に注射を打たれた後は、看護婦の女が今度は凛太の周辺で作業をした。頭上の装置を操作したり、特別治療室内の収納や空調をいじったり。
すぐに凛太の頭はぼんやりしてきた。凄く疲れた日の夜みたいな瞼の重さが凛太に訪れた。馬場からもらった薬で寝るのや悪夢治療の装置とは違って脳が自然に眠りへ落ちていく感じ。馬場から教えられた説明通りならこれから明晰夢を見ることになる。
数分後に看護婦の女が電気を消して部屋を出ていくと、部屋に他人がいるという緊張から解かれた凛太は眠気に身を委ねた――。
暗闇が徐々にはれていく。黒い霧を歩いて抜けるように。
ここはどこかの部屋だ。壁も床も真っ白な。棚の上の花瓶に花が飾られている。真っ赤な花だ。バラのような。でももっと大きな花びらをしている。
ベッドの中では少女が眠っている。これも白い布団に白い枕。少女の髪は黒くて長い。そして肌も白い。健康的でないとも言える。
ここはどうやら病室だ……そうだ、いつも見ているあの病室だ……いつもの、あの……あれ……思い出した。
「ここは夢の中だ……」
それに気づくと、薄暗かった視界が一気に広く明るくなった。日陰から日向へ移動したように。
体も誰かに操作されていて、目に見える映像だけが共有されているようだったが操作権が自分に戻ってきた。勝手に動くんじゃなくて、自分の意志で好きなように動かせる。
夢の中でここが夢だと気づけた。これが明晰夢か。
凛太はその目で初めてはっきりと自分の悪夢の現場を見た。今までは細部までは見えなくて、目覚めると詳しくは思い出せなかったのだけれど、今初めて白い病室の全貌を見た。
床の質感だとか……天井の蛍光灯の形だとかが……明晰夢に戸惑う凛太の目を引く。何度も見せられている場所だけど、初めて自分の目で見渡すことができた。
そして、あの少女の姿も初めて近くでよく見た。あの少女は部屋を見ている内にいつの間にか目を開いて体を起こしていた。
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