第55話 考え方
外で骨独特の軽い衝突音が聞こえる。たぶんバラバラになった箇所もある。各部位の骨がぶつかり合って、ちょうどゲームや映画で敵となる骸骨が動く時の効果音のように聞こえた。
「そんなことしたらもっと怖がっちゃうかもしんないじゃないですか」
「いや、無いほうがええって。ほら、おばちゃんもう怖いもんは無くなった。安心してくれ」
骸骨を投げ終えて、浴槽に残っていたどこかの部位の骨もついでに窓の外へ放った宮部は凛太に代わって患者に近寄った。
「あんなんただの置物やん。でも、もしまた出てきても俺が外に放り出してやるから。何度でも」
「はい……どなたか知りませんが親切にありがとうございます。心臓が止まるかと思いました」
「そんな大げさな。おばちゃんならちょっとやそっとじゃ死なん。俺が守っちゃるから」
宮部が気さくに話しかけていくうちに怯えていたはずの患者の表情はどんどん和らいでいった。人懐っこくて初対面の人にもありのまま話せる様子の宮部にはこの道の才能があるようだった。
「本当にどうもありがとうございます……おかげで落ち着いてきました」
「あ、落ち着いた。良かった良かった。ほんでな、おばちゃんこれ夢なんやで」
「夢ってさっきそっちのお兄さんも言ってたけど本当なの」
「本当も本当よ。すごいやろ」
「まあ。今ここが夢……信じられない。すごいわね」
「そうすげえんだよこの世界は」
宮部と患者はしばらく風呂場でハイテンションの会話をした。次第に患者が眠くなったのか瞬きが多くなり、目を閉じかけたので宮部がおんぶで隣の部屋まで運んだ。スムーズに今回の悪夢治療は成功したようだった。
宮部の働きぶりは思いの外見事なもので、その持ち前の明るさは凛太も見習わなければいけないことだと思った。心に暗い気持ちを残したままではこの先治せる悪夢も治せない。
「よし。トイレ」
患者が完全に眠ったのを確認した宮部は不意に立ち上がり人の家のトイレに入っていった。適当にトイレになっていそうなドアを開けていって、便器を見つけるとその中に入る。そして、ドアを開きっぱなしでズボンを下ろした。
「ちょっとドア開きっぱなしですよ」
「何やねん。別についてこんでええやろ」
凛太は言われてそのことに気づいた。いつの間にか宮部についていってその行動を観察するのを無意識に行っていた。今回は宮部のほうが正しい。
「たしかに。すみません」
「いや。ええよ。俺も見せたかったし」
「は?何言ってるんですか急に。つーかそもそもこの世界で……その、出るんです?」
「そう。それが不思議やねん。出んねん」
トイレから少し離れて廊下にいた凛太に水が放出される音が聞こえてきた。汚いが公共のトイレなんかに入った時にはいつも他人のものも聞くので聞きなれている音だ。
「いややっぱリアルすぎるんだよな。これどう見ても俺の体やん。夢の中の作り物とは思えへん。おーい兄ちゃんもそう思うやろ」
「まあ……」
凛太は自分の手の平を見ながら答えた。普段じっくり手の平を見ることなんてないが手相の線もしっかりそこへ刻まれている。たぶん現実世界のものと同じだ
「ほれ、交代や。兄ちゃんも出してみ」
「いや僕はいいっすよ。出したい気分じゃないですし」
「いいからやってみ」
「ちょっと」
トイレから出てきた宮部に背中を押される。洗われていない手だった。
トイレの便器の中には、こんなところにまで骸骨があった。頭蓋骨だけが洋式の便器の中に綺麗に収まっている。
凛太はそこで減るもんでもないしという気持ちで確かめるように用を足した。現実世界と変わらないつまらないものだったので、途中からはなんとなく頭蓋骨の目や口を狙ったりもしてみた。
「それで、さっきの話なんですけど。ここがリアルすぎるって……もし、ここが夢の中の世界じゃなかったらどこだと思うんです」
「うーん。パラレルワールドかな。そもそも夢がパラレルワールドを見とるようなもんやし、たぶんここが本当にパラレルワールドなんやないかな。ちょっと間違ったらなるかもしれなかった世界」
「パラレルワールドですか……」
「だから今はそのパラレルワールドの自分の体を拝借しとるってことやな。まあこれもそうだったら面白いって話にすぎんけどな。俺もこの世界が本当は何なのか知りたいねん」
夢から目覚める間、骸骨のいる庭先で凛太と宮部はその辺に落ちている石ころを投げながら話した。
「正直、宮部さんの話はほとんど何言ってるか分かんないですけど、楽しく生きるっていうのだけは自分のものにしようと思いました」
「なんやと。意味分からんことはないやろ」
「すみません。馬鹿にしてるのとはまたちょっと違うんです。とにかく、最近嫌なことがあって悩んでたんですけど少しすっきりしました」
「そうか。まあそれならええわ」
宮部には何を言っても大丈夫な気がして、凛太は気がつくと心の中をそのまま言葉にしていた。
「あ、あと。さっきの病院に怪しい部屋があるのって本当なんですか?」
「本当や。まあ院長も悪人ではないと俺は見とるけど、俺もあの人好きやし。でも間違いなく何かを隠してはいるな。兄ちゃんにはまだ分からんかもしれんけど長くこのバイトしてきた俺には分かる」
「へー」
「気をつけとったほうがええで。人生にリセットはないからな」
「……考えときます」
その話は聞いてみたものの凛太の頭をやんわりと通り抜けただけだった。今は仕事を無事終えられた充実感とポジティブな考え方をしようという思いでいっぱいだった。それに、眠気がきていた。
「そろそろ現実やな。おやすみ」
「……おやすみなさい」
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