第97話 にらめっこ
向こうから自分が見えているのかは分からない。あの少女は駐輪場に止められた自転車を指でなぞりながら歩いていた。少女らしく理解できない行動だった。
視界がぼやけて目が勝手に閉じようとする。前と同じように意志に判して体が眠りにつこうとしている。
黒が下りてくる視界の中で凛太は胸に手を当てて自らを奮い立たせた。このまま眠ったら死ぬ。絶対に走り出さなければならない。
大きく1歩を踏みだした時、握った爪が手の平に深く突き刺さっていた。じんわり熱くて、空気に触れる傷跡から針で刺したような痛みが連続して凛太の足を急がせる。
凛太は逃げながら増川の姿を探した。さっきまでは見つからなくてもいいと思っていたけど話が変わった。化け物が来たということを伝えなければならない。
あの少女のことを知らない増川が不用意に近づくと桜田と同じようなことになる。桜田よりも怖いという感情があって普通な増川では耐えられないかもしれない。
最悪だ。ほんとにもう、最悪の展開だ。少しの涙が凛太の目を潤す。それはそれ、これはこれであの少女は人の夢の中に姿を現した。
どうやら同じ悪夢を見る患者とは別の話で、凛太自身の問題として確実に発症してた。
やっぱり増川の姿はない。もしかしたらもうやられたのかもしれない。それと同時に後ろからあの少女も追ってきてはいなかった。
凛太は通りかかった道で公園を見つけると、その敷地内に入った。公衆トイレまで真っ直ぐ走り、中に身を隠す。
入口で止まると、首だけ出して道路の方を見た。やっぱりあの少女の姿はない。
もしまだ自分に気づいていないのなら、このままここに。もう治療を終えてから何分か経つので夢から覚めるまでもそう遠くはないはず。暗い洋館よりも広くて隠れる場所もたくさんあるし、たぶん逃げ切れる。
一旦無事に現実へ戻ることを第一に考えた。伊達に今日までこのバイトを続けてきていないので、凛太はこういうピンチや逃げることは得意になっていた。何を優先すべきかという判断も早い。
手洗い場の鏡に自分を映して、鏡の中の自分と乗り切ろうと励まし合った。
「……あ。…………あっ」
凛太が自分の顔を見ていると、どこかから短い声が聞こえてくる。たぶんすぐ近くから、トイレの奥からだった。
「うう……」
男の声だった。ここは男子トイレだけど、もしかしたら女子トイレのほうからだろうか。
鏡に映った自分の顔が歪んでいく。声の出所が分かってもすぐには動けなかった。
凛太がトイレの奥を見ると、1つだけ閉まった個室があった。物音も聞こえる。たぶん見なくてもいいけど、凛太はその先へ吸い込まれるように歩いた。
息を殺して……同時に、何を見ても揺れないように心を無にして……。
隣の個室の便器に足をかけて、扉の閉まった個室の上から覗くと、そこには増川の姿があった。少女の姿も。
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