第44話 絶望的な感触
赤い部屋の壁はあっけなく突破された。夢の中だからか現実の壁が崩れるのとは違って見えた。大きな音と共に壁全体に渡るひびが入って、その後は組み立てた積木のパーツを1つ抜いたときのようにバラバラに崩れていった。
そこからは足を踏み入れて入ってきていた。霊が。後ろから月明かりを受けて、ただ立っている。
「春山さん。行って」
春山はさっきまでとは違い、すぐに凛太の横で身構えることができていた。守るものができたからか。だから、凛太は逃げるように促した。
急ぐ足音が遠ざかる。霊はまだ動かない。
凛太は霊の動きに注意しながら、一歩前に出てしゃがむ。指を床に付けたままそ、そっと腕を伸ばし、一応そこに落ちていた木の棒を掴んだ。最初に家に入るときに持っていたものだ。
そのまま凛太は霊の顔を見上る……霊は笑っていた。だから、凛太は逃げることで頭がいっぱいになった。
春山を追って部屋を飛び出し、階段も飛び降りるように降りる。
霊は笑っていた――。夢と希望の国にやってきたような恍惚とした笑顔だった。
家の玄関まで足が届く。すると、もう一つ動き出す足音。今度は霊も追ってきた。
走りづらい不揃いなアスファルトの道、こけないように気をつける余裕がないから、躓くことを恐れず走るしかなかった。
強張って上手く動かせない体、無理やり拳を振り上げていた。
後ろから迫ってくる足音、それは自分のものよりもずっと数が多かった。
逃げられないことはすぐに分かった。真っ直ぐにしか進めないふざけた道で、敵のほうが速度が速い。さらに、今は前を走っている春山は凛太よりも足が遅い。芋虫を抱えたまま必死に走っているけれど、もう十秒もかからないうちに追いつかれてしまうだろう。
凛太は……覚悟を決めた。揺れる視界の中、春山を見て、この子の為ならと両手の拳に力を込めた。
歩幅を狭めて、ブレーキをかけながら振り返る。足音はしていたのに霊は一瞬いないのかと思った。それも束の間、闇から高速で這ってくる霊がいた。
凛太は止まり、木の棒を振り上げ――力いっぱい振り下ろす。不意を打てるように、背中を見せた状態から流れるように素早くこなした――。
命中した。狙い通り、霊の脳天に。
かなりの手応えがあった。絶望的な感触で、やったことを瞬時に後悔するほどの。
自分の意志で動いてそうしたのだけれど、間違ったことをしてしまった気がする。なぜだかその感覚が高速で凛太の中を走り抜けた。
自分がやったのにそうなるとは思わなかった。霊は一撃でぐったりしてしまった。頭から血を流しながらうつ伏せで倒れ、指先すら動かなさい。
違う……そこまでするつもりはなかった。
眩暈がする。体中が一瞬で熱を帯びる。気分が悪くて、木の棒も道の脇に投げ捨てた。
「……草部君?」
後ろから春山の声がする。すごい音もした。鈍くて重いのに響く音。いくところまでいってしまった感触が確かにあった。
だけど、霊ならこれでもまだ動けるだろう。霊なら大丈夫だと思ったから躊躇しなかったんだ。本当に、本当に自分はやってしまったのか。
「やった!これで私が本物だ!」
場違いなトーンの声、反射的に振り向くと春山の隣に元の女子中高生の姿があった。
「ありがとうお兄さん。でも、ごめんね……そっちが本物で私が偽物だったの」
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