第20話 手探り治療

 増川は大声で園児たちを呼びながら走っていった。


「おーい。良い子のみんなー。お兄さんと追いかけっこをしよう。声の聞こえるほうにあつまってー」


 両手を広げて住宅街を走り去っていく増川はさながら男性保育士のようで、見るからに優しそうな容姿がそれに輪をかける。こういう囮になるのにも慣れているんじゃないかと思った……。



 身を潜めてそれを見送った凛太は一息おいてから、保育園があったほうへ戻っていった。残った園児がいないか警戒しながらアスファルトに付着した血の跡を辿る。


 増川の囮作戦は上手くいったようで保育園までの道に腐った園児たちを見ることは無かった……。何も問題なく、とりあえず保育園の前までは来ることができた。


 凛太は深く深呼吸してから……柵の向こうにある園庭に目を配る。ここにも園児たちはいなくなっている。


 けど、あの中に入っていくのか。


 1人で保育園の中にまで入っていくのは不安だ。一瞬後ろを振り返る……増川はどれほど遠くに行ってしまったんだろう。


 足音は聞こえないし、1人でいくしかないよな。


 凛太はまだ痛む片腕を庇いながら忍び足で、園児たちの教室がある建物を目指した。


 まだ園庭の真ん中に転がっている小さな眼球、周りにもちらほら体の一部が血と共に落ちていた。


 ハエが周りを飛んでいそうな場所だけれど、夢だからか虫はいない。


「すみませーん……」


 いよいよ建物までたどり着いてしまった凛太は小さく声を出して中に入る……。内側に電気はついていないけれど、太陽が照っているので充分に明るい。


 廊下で並ぶ教室の外側はほとんどガラスでできていて中はよく見える。背の低い家具が並んでいてかわいかった。こんなに小さいかと思えるサイズの椅子と机が並んでいる。次の部屋も、その次の部屋も……。


 中に園児が残っていないか心配だったが死角は少ないので進むのは難しくない。


 そして廊下の突き当りにあった教室の中で女を見つけた。


 桜が描かれたドアの向こう。エプロンを着た先生らしき女が教室の隅で頭を抱えてうずくまっている。


 顔を部屋の隅へ隅へ追いやった態勢で、完全に周りからの接触を避けようとしているようだった。


 よほど怖いものを見てしまったみたいな……まあ無理もない。


「すみません。大丈夫ですか……いや、大丈夫ですよ。これは夢です」


 凛太はさっそく中に入って声をかけた。この人に夢だと伝えれば仕事は終わり。この世界とおさらばだ。


 けれど……女は全く反応せず、うんともすんとも言わない。


「聞こえてますか。これは夢ですよ。安心してください」


 もう少し近づいて声をかける。手の届く距離まではまだ近づけない。振り向けばこの女もゾンビみたいになっているようにも思えるからだ。


「おーい。助けに来ましたよ」


 それでも、返事は得られない。現実であれば十分に聞こえる距離と声量であるはずだが。


 凛太はダラダラしていたら園児たちが帰ってくるような気もして……意を決して、先生らしき女の肩を叩いた。長く背中まで伸びた髪の横を短く2回叩く……


「きゃあああああああ。こないでっ。あっちへ行って」


 そうすると女は、突然に声をあげて驚いた。瞬時に振り向いて手を前に出して防御する構えを取る。


 その勢いに凛太も驚いて身を引いた。


「……あ、違います。僕はあのおかしな園児達じゃありません」


「誰よあなた……あっちへ行って。早くっ」


「大丈夫です。僕は味方です。えっと、これは夢です」


「夢って何よ。どういうことよ」


 女の反応は鬼気迫るもので、本当に自分が化け物に見えているかのようだった。


 瞳孔が開いた野生の目をしているが、とりあえず人間であることには安堵する。ぱっつん前髪の若い保育士の女はたぶん普通にしていれば、普通にかわいい部類に入る。


「夢ですよ。寝てるときに見る夢。こんなのどう見たって夢でしょ」


 凛太は敵意が無いことを示すために両手を挙げて見せた。


「あなたの手も腐ってるじゃないっ。こっちに来ないで。消えて消えて消えて消えて消えて消えて」


 どうにも上手くいかない。凛太はこれ以上どうしていいか迷ってしまった。


 ……たしかに、考えてみれば夢の中では夢だって気づけないもんだよな。全くもって信じられないことが起こっても、夢の中ではそれが現実。


「もう嫌だ。何でこんなことになったの……私もうこの仕事やめたい……帰りたい……怖い怖い怖い……怖い怖い……」


「怖いですよね。……僕も怖いです」


 凛太は作戦を変えて、まず同意から入ることにした。

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