第50話
入り組んだ裏道からやっと校舎表の方へ出た所で、決死の形相をして駆けてくる純花と行き会った。
俺に肩を貸していた篠原は、噛みつかれんばかりの勢いで純花に凄まれうろたえ、「電話の声と別人じゃねーか!」と言い捨てて逃げた。
最後まで純花は篠原が下手人だと思いこんでいたが、なんとか説明をすると、
「じ、じゃあそれ、ど、どうしたの!?」
「いや、これはちょっと……通り魔的なキチガイ野郎にやられて」
「なにそれ……って、そ、それよりもき、救急車!!」
「いやだから、呼ぶほどのもんじゃねーって」
純花が顔面蒼白になってあたふたと騒ぎ出す。
体があちこち痛むが、さっきよりはだいぶマシになった。なんとか一人で歩くのも問題ない。
痛くてどうしようもない、という箇所はないので、どこか骨がやられているということはたぶんないと思う。
ただ篠原の言う通り、本当についてなかった。
ああいうネジの飛んだ奴さえいなければ、あのままなんとか押しきれそうだったんだが。
「なにそうやって強がって! 顔腫れてるじゃない!」
「え? ああ……」
鏡を見たわけではないのでわからないが、目の周りが腫れているのか少し視界がおかしい。
手で触れてみようとすると、すかさず純花が手首をはしっと掴んできた。
「ダメだよ触ったら! ばい菌入るでしょ!」
そしてそのまま純花に腕を引かれて、保健室に連行されるハメになる。
やや年配の保健の女教師は俺の容態を見ていぶかしそうな顔をしていたが、ひとまずはとあれこれ応急処置をしてくれた。
それが一通り終わった後、当然尋問が始まる。
「少しばかり派手に転びまして」
「どう転んだらこんな風になります?」
「さらに階段から落ちたんです」
「はぁ……。何年何組のどなた? この用紙を全部記入して。報告しないといけないので」
「二のBの吉田です。じゃあ、ありがとうございました」
「あ、ちょっと!」
そそくさと保健室から逃げ出した。
これがあるから学校の保健室にはあまり来たくなかった。
再び外に出て、一目散に校門のほうへ向かう。
追手はなかったが、すぐに後から出てきた純花が追いついてきて、
「また来いって。もう、知らないよ? あとで怒られても!」
「今怒られるかの差だろ」
リョウとかいう頭のおかしいやつにやられましたと告げ口する気にはなれない。
というか、単純にこれ以上関わり合いになりたくない。
ああいうのは放っておけばそのうち警察のご厄介になるだろう。もうすでに散々なってるのかもしれないが。
「やっぱりちゃんと診てもらわないとダメだよ。一緒に病院行こう?」
「……ん? ああ、でもそっちの方はいいのか?」
「何が?」
「模試、明後日だろ?」
「そんなの……ああんもうっ、バカじゃないの!?」
気遣ってやったつもりが罵倒された。
純花はずっと軽い興奮状態が続いていて、ピリピリしている。
こうなると断ってもしつこいだろうな、と思った俺は逆らわずに純花に付き添われて最寄りの病院へ向かった。
診察の結果、幸い骨などに異常はなく、打撲だけで済んだ。
腕、足などの部位の打ち身はたいしたことはなかったが、左頬から目尻にかけてが思ったより腫れてしまった。
場所が場所だけに、いかにもケンカで殴られました、といわんばかりに目立つのが厄介だ。
今思えばもっと早くに降参でもなんでもしていれば、あのタイプはおそらく冷めてさっさと解放しただろう。
ただ一方的にやられるだけは嫌だし、一発は入れてやりたいという変な意地を張ったのがよくなかった。
時間がたったせいか、純花もある程度落ち着いたようだ。
だがずっと気を張っていた反動か、今度はすっかり黙ってしまった。
診察後、待合室で会計を待っている間も、お互い一言もなかった。
病院を出て、駅へ向かって歩き出す。
外はすでにすっかり陽が落ちて、乱立する街灯が大通りの道を明るく照らしている。
病院は駅前の通りに位置しているので、駅までさしたる距離はない。
その間、純花はなにを言うでもなく俺に付き従って歩いていた。終始うつむきがちで、歩調にも力がない。
俺の方も、そんな純花に特別話しかけることはしなかったが、いよいよ改札を抜けて別れなければならなくなると、そういうわけにもいかなかった。
立ち止まって、純花の方を振り返る。
「ごめん、迷惑かけた。じゃ……」
それだけ言って立ち去ろうとすると、突然純花は俺の片腕を両腕で抱きしめるようにして、引き止めた。
「……ねえどうして? ちゃんと、隠さないで話してよ」
「別に隠してないって。言っただろ、変なのにやられたって」
「そんなのじゃ……わからないよ。ともくん、誰かに呼び出されたんでしょ? そうじゃなかったら、あんな所、行くわけないじゃない」
純花はそう声を震わせながらじっとこちらを見上げてくるが、俺はそれには答えず前を向いたまま黙る。
話しても仕方のないことだ。もう終わったんだから、無駄に心配させるだけ。
「大丈夫だよ、心配しないでも……」
「心配するに決まってるでしょ!」
「し、静かに……な?」
純花がヒステリックに声を荒げだした。
ただでさえ俺の顔は注目を浴びるって言うのに、こんな所で騒ぎでもしたら余計だ。
なだめようとすると、今度は別人のようにトーンの落ちた低い声がした。
「……秀治くんのことが、関係してるんでしょ?」
思わず純花の顔を見てしまう。
その瞳は、まるで刃物のような鋭い光を放っていた。
「隠してもわかってるよ。あの人が……」
「……それじゃ」
目を射すくめられ、背筋に言いようのない悪寒を感じた俺は、肯定も否定もせずにするりと純花の両腕の中から腕を抜いた。
そして踵を返すと、立ちつくす純花を置いてプラットフォームへの階段に向かった。
翌日も顔の腫れは引かなかった。
体の痛みはかなりマシにはなったが、当然まだ残っている。昨日より痛みだす部分さえあった。
学校をどうするか少し迷ったが、無理してまで行く必要もないと判断し休むことにした。
ほぼ丸一日、部屋でゴロゴロして過ごす。
学校の方は別にどうでもよかったが、急遽バイトも休んでしまって、さすがに気が滅入る。
純花だけでなく、珍しく工藤からもメールが来ていたが、チンピラに絡まれたとかなんとかで適当にごまかした。
母親には、怪我のことは友達と喧嘩した、で通した。
心配そうな顔が一瞬、心底失望したような顔に変わったが、取り繕うようにいつもの冷静な表情に戻った。
口には出さないが、相当キてるだろう。それでも変に期待されるよりはずっといい。
さらにその翌日は本来土曜日で休み……のはずだったが、模試があるため登校しなければならない。
だが俺はこれ幸いにとバックれた。全くやる気はないし、どの道なにも準備はしていない。
母親には模試のことは何も伝えていないので、休もうが不審がられることもなかった。
そして週の明けた月曜。
痣は残ったものの、すっかり顔の腫れは引いた。
体の痛みは若干残るが、激しい運動をしなければ問題はない。
問題があるとしたら……また靴を隠されたりしなければいいが。
篠原の言ったとおり、あの件はこれで終わりだと思いたい。
大体どいつもこいつもおとなしくしろとうるさいが、実際どうおとなしくしろって話だ。
秀治に直接何か言った所で……仮に頭を下げて、これからは言いなりになりますとでも言えば、許すようにとりなしてくれるのか。
だとしてもそんな真似は絶対に嫌だが。
これから向こうの出方によっては、こちらも対応を考えなければ……。
はっきり言って足取りは重いが、いい加減登校して安心させてやらないと、純花のメールの攻勢も収まらないだろう。
あれこれ思考を巡らせていたが、終いにはなんとかなるだろう、となにもかも振り切っていつも通り登校した。
そして結局、その心配はすべて杞憂に終わった。
それは朝のHRにやってきた担任の第一声だった。
「もう知っている人もいると思いますが、一昨日、中嶋くんが学校の階段から落ちて骨折しました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます