第12話
北野と別れてさっさと教室に戻ろうとすると、教室前の廊下で女子生徒と目が合った。
相手は俺に気づくなり、笑顔を作って近づいてくる。
純花だった。
「おはよ!」
目をそらして、「ああ」と歯切れの悪い返事をする。
昨日の今日で、どうしても気まずさが残る。
だが純花はおかまいなしに接近してきて、俺の顔を覗き込むようにしてきた。
「どうかした? 元気ないよ?」
「別に、どうもしない」
そっけなく言うと、純花はむっ、と小さく口を尖らせる。
だがすぐに元の顔に戻って、
「あ、ていうかライン、返してよぉ~。見たんでしょ?」
「ああ、忘れてた」
「もう。ともくん最近、ぜんぜん返してくれないし」
口ではそう責めてくるが、純花は終始にこにこしていて、怒っているわけではない。
連絡を無視しても、たいていはこんな調子だ。今日もいつもどおり。
とはいえ面倒には変わりない。さてどう切り抜けるか、と頭をめぐらせていると、
「あのさぁ、ともくんと北野さんって、もしかして前から知り合いだった?」
いきなりそんなことを言われて、ついはっと息を呑む。
もちろんそんなわけはない。お互い覚えていないが実は小さい時に面識があって……なんていうのは確実にないと言い切れる。
「違うよ、そんなわけないだろ」
「……ふ~ん」
純花はいまいち腑に落ちないといった顔をする。
もしそうだとしたらなんだよ、と頭の中で聞き返すが、実際口にはしない。
余計なことは言いたくないし、これ以上話し込むつもりもない。
黙っていると、純花は俺の視界をさえぎるように、そらした目線の先に首をかしげ、じっと俺の目を見つめてきた。
まるで俺の心の声を、見透かそうとするかのように。
「だって珍しいじゃん、ともくんのほうから、女子に話しかけてるのって」
「……見てたのか」
「そりゃあ、気になるよぉ。彼氏が、他の女の子としゃべってたら」
彼氏、ねえ……。
なんだかそんな単語も、白々しく聞こえる。
「今日はなにしゃべってたの?」
「なにって、別に……」
「別にって、なあに? わー、あやし~い」
「……いや、つうかさ」
急にむくむくと、黒い感情がわきあがってくる。
なんだってこんな意味のないやり取りを、しなければならないのか。
「なんでそんなのを、いちいち話さないとダメなんだよ?」
低い声で、脅しつけるように言う。
すると純花は、さっと顔色を変えて、あたふたと弁解を始めた。
「あっ、ご、ごめんね。そうだよね、あたしだって男子としゃべったりしてるもんね……」
俺は別に、気にならないけどな。
そんでお前、どういうつもりだよ。俺の言ったこと、ちゃんとわかってんのか? お前とは別れるって言っただろ?
……そこまでは、言えなかった。
多少辛辣になろうが、突き放さなければならないところなのに。
俺が曖昧な態度を取ってしまう理由。
それは単純に、純花を傷つけるのが怖いから?
いや、嫌われるのが怖い? 嫌われたって、構わないはずなのに?
自分でもよくわからない。だがどうしても、ブレーキがかかってしまう。
もっとすんなりいくものだと思っていたが、実際その場に立ってみると案外に難しい。
結局俺は、純花が謝罪の言葉を繰り返すのを聞き流しながら、黙りこくっていただけだった。
そうしているうちに、怒りもすっかり冷めた。冷静になってみると、どっちみち朝からこんなところでする話じゃない。
「……ごめん、俺も言い方キツかった」
「ううん、ともくんはなんにも悪くないよ、ごめんね。ホントに……」
俺がなんにも悪くないって、そんなわけないだろ。
こいつはひたすら自分が悪い、とだけ言えばいいと思ってる。
いや、そもそも本当にそう思っているのか? 内心、きっと俺を責めて……。
耐えかねた俺が身を翻してさっさと席に戻ろうとすると、純花が慌てて呼び止めてきた。
「あっ、あの、それで! ……今日なんだけど、放課後、ともくん家、行っていい?」
「え? いや、今日は……」
「バイトは休みでしょ?」
先手を打つように釘を刺された。
授業がある間は、俺のバイトは割と定期的なシフトになっているため、純花には大体把握されている。
昨日だってバイトがあると言って帰ったのは嘘だと、気づかれているかもしれない。
「あれ? それともなんか用事あった?」
とっさに、工藤達に誘われて……なんて嘘が出そうになった。
家で二人だけになるぐらいなら、あいつらといた方がまだマシかもしれない。
そう思ったが、俺はすぐに考えを改めた。
「……いや、ないよ」
「そっか、ならいいよね?」
「ああ……」
俺は今度こそ、腹をくくった。むしろちょうどいい機会だ。
一週間の猶予なんてものを受け入れたのが、そもそもの間違いだった。
こんな茶番は、今日でもう終わりにする。
「やったぁ」と舞い上がる純花を尻目に、俺はそう決意を固めた。
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