第11話


 ぎょろっと、メガネの奥のやたらでかい目と俺の目が合う。しかしすぐに北野は目線は元に戻った。

 周りで何が起きようが我関せず、なのかと思っていたが、北野はいかにも俺に一言なにか言いたそうだった。

 俺はそういうどっちつかずなのが嫌いなので、周囲の目もはばからず聞いてやることにする。

 

「なんだよ」 


 はい無視。

 そう来ると思っていたので、さらにしつこく聞いてやる。


「なんか文句でもあるんでしょうか?」

「……最悪」

「はい?」


 最悪、と言った気がするが、あまりよく聞こえなかったので、イスを傾けて身を乗り出す。


「なんだって?」

「だからあの、……」

「なに? 聞こえないんだけど」


 さらに身を乗り出す。なにを言っているのか本気で聞き取れない。

 ただでさえ小さい声が、マスクでこもっているから余計だ。

 もう面倒なので、北野の机に取り付くぐらいに接近すると、いきなり北野はガタっと椅子から立ち上がった。

 そしてそのまま、無言で教室を出て行く。

 

 ……なんだあいつ。昨日と同じパターンか?

 このまま放置してもよかったが、それだとなんだかあいつに負けた気になるので、俺は立ち上がって後を追いかける。

 教室を出て廊下を折れたところで北野の後姿を見つけると、小走りに近寄って後ろから声をかけた。

 

「おい」


 すると、北野は体をビクっとさせて立ち止まる。

 一瞬間を取った後、おそるおそるこちらを振り向いた。

 そして視線をあらぬほうに泳がせながら、もごもごとくぐもった声を出す。


「な、なんでついてくるんですか、あの、マジで、やめてください絡んでくるの。マジで」

「いやそっちが先にガン飛ばしてきたんだろ? なにか言いたそうにしてたから」

「な、ないですよ、言いたいことなんてなにもありません」

「いや、もごもごなんか言ってただろ」


 北野は黙ったまま、俺たちの脇を通り過ぎていく生徒に注意を向ける。

 やたら周りを気にしているようだ。

 時間帯もあって人気のない通路ではあるが、全くゼロではない。

 それでも俺が動かず立ちはだかっていると、言うまで解放されないとあきらめたのか、北野はややうつむきがちにぼそりとマスクの下の口を動かした。


「あ、朝から大きい声でし、下ネタとか……最悪です」


 なるほど、そういうことか。

 まあ、朝から隣であんな話されたら気分悪いわな。


「まあ、俺もそう思うよ」

「はっ、その中心にいた男がなにを。諸悪の根源めが」

 

 ブツブツと恨み言のようにつぶやく。

 聞こえてないつもりでいるらしいが、わずかに聞こえている。

 しかし諸悪の根源と来たか。結構な評価を受けているみたいだが……そうやって見られても仕方のないことだ。

 こんな風に面と向かって毒を吐かれることこそないが、周りにはそう映っているのかもしれない。

 こうやって俺に直接文句言ってくるやつなんて、まずいないからな。

 

 だけど俺はなぜか悪い気はしていなかった。

 それどころか、心にもないことを言って変に合わせてこられるよりずっといい。 

 まあ北野にはクラス内の立場とか、失うものが何もないからできる芸当なのかもしれないが。

 

「今度それさ、直接あいつらに言ってみてくれない?」

「嫌です。本当ならあなたとも口も利きたくないんです。なんで絡んで来るんです? 目立つじゃないですかやめてください」

「ていうけどさ、それな、逆に目立つぞ? このクソ暑いのにマスクとか。風邪とかじゃないんだろ? いい加減外せよ」

「これは外せません」

「なんで」

「これはあれです、逆高校デビューというやつです」

「はあ?」

「これを外すと、実は私が美少女だということがばれてしまうんで」

「はああ? その変質者スタイルのどこが美少女だよ」


 仮に本気出したら美少女だろうが、現状こんな眼鏡に髪型に服装に、本人にその気がなければブスであることに違いはない。

 北野は終始うつむいていてわかりづらいが、目は大きくてぱっちりしている。よくよく見れば素材は悪くはないのかもしれない。

 が、きょろきょろと落ち着きがない目玉の挙動が不審すぎる。


「仮にそうだとして、別に美少女だってバレたってよくね?」

「ダメです。だって美少女が転校してきたら、きっと取り囲まれて連絡先聞かれて写真取られて男子にお持ち帰りされてレイプされて捨てられるじゃないですか」

「すごいな、一日でケータイ小説が作れるな」

「もう女子からのヒガミもすごくて、帰りには靴隠されて画鋲コースです」

「という妄想をするわけだ」

「妄想じゃありません。女子のイジメは陰湿ですから、もう出る杭は打つ。私、前の学校でもイジメにあって、病みました、ボロボロに……ついに我慢の限界が来て、最後にはお父さんの仕事の都合で転校しました」

「イジメ関係ねえじゃねえかよ、普通に親の都合じゃねえか」

「きっとお父さんが空気を読んだんです」

「だとしたら嫌な空気読まされてるな」


 調子が乗ってきたのか、北野はぺらぺらと早口でまくしたてる。

 だが内容は支離滅裂で、まともに相手をしていると、こっちがおかしくなってきそうだ。

 いつの間にか俺が向こうのペースに乗せられつつあった。

 

「それはもう、凄惨なイジメにあってきました。例えば……」


 聞いてもいないのに、勝手に話す気満々らしい。

 イジメ経験ってそうおいそれと他人に話すかね? ましてや昨日今日会ったばかりのヤツに。

 あまり重い話をされても困るんだが……。


「あれは忘れもしない夏の日。ある朝私が登校したら、席の上に空き缶が置いてあって……飲み口に、ストローがさしてありました」

「……それが?」

「ひぃぃ、ストローで飲んでるぅぅぅ!? って」 

「そこかよ、なにをそんなビビってんだよ。ていうかそれのどこがイジメなんだよ」

「わかりませんか? 空き缶にストロー……まるでビンに刺した花……。そう、いわば机の上に花瓶を置かれていたも同然……」

「なんでそうなるんだよ……。すさまじい被害妄想だな」

「これを見てイラっときた私は、何食わぬ顔で隣の席にそれを移動したんです。そしたらその席のクソ男子に、「てめーなにゴミ置いてんだよ!」ってキレられたんですけど、これって私が悪いですか?」

「いやそれは知らんけど……」

「明かにイジメですよね」

「そうか……? イジメではないだろ」

「いえ、いじめられているほうがイジメと言ったらそれは、イジメなのです……」

 

 イジメ判定がゆるゆるらしい。

 モンスターペアレントならぬモンスターいじめられっ子か。


「お前の精神構造がよくわからんわ」

「私あなたみたいなDQNと違ってすごく繊細なんです。いわゆる豆腐メンタルなんです」

「それ言うやつに限って割と面の皮厚いよな」

「さらに絹ごしですから」

「うるせえな、くだらねえよ」


 面白いこと言ってやったみたいな顔でドヤってきたので、容赦なく斬り捨てる。

 すると今度は、首をうなだれていきなりずーんと沈んだ。

 

「うぅ、胃が痛い……」

「なんだよ急に……」 

「私、基本人からちやほやされないと、気分悪くなるんで……うっ」

「めんどくせえなおい」


 北野は腹を押さえて、身をかがめだした。

 昨日の一件といい、腹が弱いのは本当らしいが……。


「しょうがないな……保健室行って胃薬でももらうか?」

「えっ? で、出た~DQN特有のツンデレ~」

「お前ほんっとうぜえな」


 しかもちょくちょくDQNDQNディスってきやがって。

 ムカつく奴だ。と思いながらも、いつしか気分の緩んでいる自分に気づく。

 

「まあいいや、HR始まる前にさっと行ってこようぜ」

「あっ、いやいいです、大丈夫です、その、DQNの人と一緒に歩くとか、ほんと無理なんで」

「ああそうですか、それは失礼しました」


 そうやって返される予感はしてた。

 冷静になるとこっちこそこんなのと歩くのは願い下げだな。

 北野はもうお前と話すことなどないといわんばかりに、お腹をさすりながら女子トイレのほうへ早足で歩いていった。

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