第10話

次の日の朝。

 登校して机にカバンを置いて席に座るなり、すぐに工藤がやってきて俺の席に取りついた。

 

「昨日夜さぁ、ライン送ったけど、超微妙。ありゃまったく脈がありません。ご臨終です」

 

 聞いてもいないのに、もちろんこの話題だろという顔でしゃべりだす。

 何の話かわからずに俺が黙っていると、金魚のフンのように工藤にひっついてきた小林が、代わりに「ウハハハ」と笑う。

 

「その日速攻送るとか勇者だよな~」

「バカかお前、昨日すぐ送らないでいつ送るんだよ」

「今日の朝送ったよ、おはよう、昨日は……って。そうしたほうが印象残りそうじゃん?」

「うわ、朝イチとか空気読めねえ~、うぜぇ~。しかもキモい。だからダメなんだよコバは」


 俺はぼうっと黒板の方を見ながら二人の話を聞き流していたが、途中になってやっとこいつらが何の話をしているのかわかった。

 水上のことだ。昨日、工藤がせっかくだから、と言い出してみんなと連絡先を交換することになった。

 流れで俺も交換させられた。社交辞令的なもので使うことはないだろうと思っていたが、夜さっそく携帯にメッセージが来ていた。

 今日は楽しかったです、だとかそんな感じだ。

 俺はちらっと見たきり、なにも返信していなかったことを思い出す。 


「いやいやなにをおっしゃる工藤さん、心理学的にはだな……」

「なにが心理学だよ、よしじゃあ、ここはイケメンの意見を聞こう。なあ、朋樹はどっちが正解だと思う?」

「いや知らねえよそんなの」


 送られてきたが返してない、なんて言ったら騒ぎ出して面倒になるので余計なことは言わない。

 俺がそっけなく答えると、工藤は嫌味ったらしくしきりにうなづいて見せた。

 

「そっすよね~、とも君には純花ちゃんがいるんで眼中ないっすよね~」


 こうやって冷やかされるのはいつもの流れだ。

 工藤は俺が純花と付き合うことになった当初は「それ誰? もっと他にいなかったわけ?」という感じで純花のことなんて眼中になかった。

 だが俺と付き合いだして純花が徐々に垢抜けていくと、ことあるごとにこうやって茶々を入れてくるようになった。

 たしかに当初は内面も外面もあまり目立たないタイプだったが、実際見違えるようになったと思う。 

 その純花からも、昨日メッセージが来ていた。


『おつかれさま。今日急にバイトになっちゃったのかな? 明日はないよね?』

『明日なかったら~』

 

 途中まで読んで、返信はせずに閉じた。見なかったことにしたかった。

 だから純花に返信しないまま水上にするのは気が引けた。

 もしかしたら、水上が純花になにか言うかもしれない。そしてその逆もありうる。

 などと考えて迷った挙句、俺は面倒になって全部放置した。

 とりあえずそれでオチがついて気が済んだのか、工藤は別の話題を振ってきた。

  

「お前今日はバイトないっしょ? 久しぶりにアメビル行こうぜ。タケも行くっつうからさ」

「行かねえよ。ゲームは俺もうやらないって言ったろ」

「んなこと言わないでさぁ、またやろうぜ。アプデ来てかなり環境変わったんだぜ?」


 アメビルとは駅前にあるでかいゲーセンのことだ。正式名称はアメリカンなんたらって忘れたが、みんなそう呼んでいる。

 工藤がやろうと言っているのは、対戦格闘ゲーム。

 俺は去年、工藤たちと連日アメビルに入り浸っていたが、あるときを境にさっぱり行かなくなった。

 今思えばくだらないことに金と時間を使った。

  

 俺はアメビルではほぼ敵なし、そう言われるぐらいの腕前だった。

 だが今年の春休みに他のゲーセンに遠征した時、そこの常連に手も足も出ずボコボコにやられて、それ以来完全にやる気が失せた。

 後で聞いたところによると、そいつはネットなんかでもちょっと名の知れた有名プレイヤーだったらしいが、そんなことは関係ない。

 まただった。なにをしても、絶対に立ちはだかる壁。

 

 俺はたいていのことはすぐ、人並み以上にはできるようになる。

 だけどいつも中途半端で終わる。だからそういう本物には、到底かなわない。

 俺が子供の頃からやっていたサッカーを中学でやめたのも、似たような理由による。


 俺がゲームをやめる時、そんなようなことをつい工藤に口走ったが、工藤はまったく信用してなかった。

 俺を何でもできる超人かなんかと勘違いしているらしい。

 ゲーセン通いをやめた時期と、俺が純花と付き合いだした時期が、偶然ちょうどかぶる。

 それで工藤は、その原因が純花だと思い込んでいるようだが……。

 いくら言われても頑なな態度の俺を見て、工藤は不機嫌そうに口を尖らせる。

 

「つーかほんと、最近付き合い悪いね~。夏休みもお前ほとんど断りやがって」

「昨日カラオケ行っただろ」

「いや、あれはオレが言い出したことじゃねえし」


 そう言ったところで工藤の機嫌がよくなる気配はない。

 どの道こんな風に言われるなら、最初から行かなければよかった。

 

「まぁな~、純花ちゃんとつき合いだして初めての夏だったわけだ。そりゃ乳搾りに精が出ますわな」

「ぶふっ、乳搾りってお前!」

「今うまいこと言ったっしょ? 絞りつつ、こっちは出してるわけだから」


 ギャハハハ、と下品な笑い声を上げる工藤と小林。

 なにが面白いのか本気でわからん。


「で、朋樹先生、実際のトコどうなのよ、マジで」

「え~やめてよ、俺なんか聞きたくないわ~。佐々木がどぎついことしてたらショックだし」

「と言いつつ、今晩のおかずにしようとする気満点のコバであった」

「うわぁゲスい、ナレーションの人ゲスいよ~」


 どこまでやったとか、そんな話する気は全くない。

 というか、そういうことをずけずけと聞いてくる神経が理解できない。

 やはり俺とこいつらは、そもそも人種が違うのかもしれない。


「朋樹さまぁ、どうかミジメなわたしどもにおかずを、豪華な一品を恵んでくだせえ」

「うるっせえな、どうでもいいだろ。もういいからお前らどっか消えろ」

「うーわ怖っ、キレてるよ。逆ギレじゃん。行こうぜコバ、ともちゃん生理みたいだから」


 工藤は「あー怖い怖い」とおどけた口調で繰り返しながら、去って行った。

 当然その後を小林もひっついていく。


 一回声を荒げれば向こうは引くが、どうせなめられているだろう。

 というか、こうやってキレたフリでもしないと追い払えない。正直言って、疲れる。

 なんで朝からこんな面倒なことをしなければならないのか、意味がわからない。

 

 俺は知らずため息を吐いて、右手でほおづえをつく。

 そして教室内のゴチャゴチャから目を背けるようにして、窓のほうへ視線を逃がした。

 

 今日は朝から曇り空。雨でも降って、多少涼しくなればいいが。

 なんて外を見ながら考えていると、ふと、隣の女子生徒が目に止まった。

 ああ、そういえばコイツ……。このクソ暑いのにマスクとはね、よくやるよ。

 

 視界に入ったのは、昨日同様、完全武装をした北野。おまけに今日はイヤホンまでしている。

 なんというか、昨日よりもさらに陰鬱なオーラが増していた。

 こうして隅っこで、誰とも話すこともなく、話しかけられることもなく。うつむいて一人でスマホをいじくる。

 

 昔の俺なら、気持ちわりーな、で切り捨てて終わりだろうが……。

 そんな北野の姿が、今の俺には少しうらやましく映った。

 さすがにこうなりたいとまでは思わないが……コイツ、一体なに考えてるんだろうな。

 俺がなんとなく北野を観察していると、スマホに注がれていた北野の視線が、ちら、とかすかに動いてこちらを見た。

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