第51話


 突然告げられた担任の村上の言葉に、俺は一瞬自分の耳を疑った。

 クラス内にもどよめきが起こり、一気にまるで休み時間のような騒がしさになる。

 

「静かに、静かにして!」

 

 それを村上がなだめて、詳しい説明を始める。

 一昨日あった模試が終わった後、別棟にある生徒会室に一人で立ち寄ったらしい秀治は、その帰りに階段から落ちたという。

 階段下で倒れているのを偶然通りかかった教師が発見し、救急車で運ばれ、すでに手術をしてそのまま入院しているらしい。

 折れたのは足の骨。詳しい経過は不明だが、そこまでひどい容態ではないとのこと。

 

 それでも村上は終始浮かない顔だった。

 特別お気にいりの生徒がそんな目にあって、感情を御しかねているようにも見えた。

 よりによってなんで秀治が、とでも言い出しそうな雰囲気すらあったがさすがにそれはこらえたようで、最後にはいつもどおりの連絡事項を伝えてHRは終わった。



 その後の休み時間は、しばらくその話題でもちきり。

 あまりクラスメイトに関心のなさそうな春花でさえ、隣で驚いた顔をしていた。

 周りがそんなだから、俺の顔に多少の青痣が残っていようが、誰にも指摘されることはなかった。

 秀治のことには全く触れようとしなかった純花を除いては。

 

 


 朝から慌ただしかった一日が終わった。

 不思議なもので、放課後になる頃には秀治のことを話題に上げる者は、周りを見る限りではいなかった。

 それでも思う所あった俺は、早々に帰り支度をしている工藤に近寄って声をかける。


「よう、これから秀治んとこ、行くか?」

「え? あぁ……見舞いか……。なんつーか……てか、朝も言ったけど……秀治からなんも連絡ねえし……」


 見舞いについてはてっきり工藤の方から言い出してくると思っていたので、二つ返事で承諾するかと思ったが意外に歯切れが悪い。

 秀治は自分が骨折したことを、工藤にも伝えていなかった。工藤は今朝、村上に言われて初めて知ってメールを送ったが、まだ返信はないらしい。

 連絡がないのは俺も同じだ、と言ってやるが工藤はどうも腑に落ちない調子だ。

 言いにくそうに頭をかいて、


「オレのこと、下に見てるとまでは言わないけどさ。秀治ってなんつうか、ちょっと……」

「ちょっと?」

「あ、ああいや……オレらが行かなくたって、他の学校の知り合いとかも大勢来てんだろきっと。そんなとこに行って、お前なんで来たのみたいな顔されてもあれだし……」

「なんだそれ、お前意外に細かいこと気にすんだな。小心者か?」

「うるせえ。どの道オレ今日バイトだからさ……まあ行くなら、エロ本でも買ってってやって」


 そう言って工藤は千円札を渡してきた。

 自分なんかが行って迷惑なのではないか、というよくわからない気の遣い方をしている。

 ただ連絡も何もないとなると、自分はどうでもいいその他大勢なのでは、と気が引けてしまうのはわからないではない。

 まあだからといって、俺は遠慮なんてする気はないが。




 結局、エロ本なら自分で買って持ってけ、とそのまま工藤に金を突き返して戻ると、席はいつの間にか純花に占領されていた。

 純花は春花の髪をいじってちょっかいを出していたが、俺が戻るなり、


「模試も終わったし、今日は一緒にいてあげるからね。ともくんに、ずっといたいのいたいのとんでけ~しててあげる」

「いやもう別に痛くねえし」


 そう突き返すが、純花は楽しそうにクスクスと笑う。今日一日、こんな調子でかなりご機嫌だった。

 俺が元気そうにしていて安心したから、とは言うが、少々気味が悪いほどですらある。

 

「だからごめんねハルちゃん、今日はともくんと……」

「どうぞお気遣いなく」


 帰り支度を済ませた春花は、しっしっと手を払ってみせる。

 そろそろ純花のあしらい方も板についてきたようだ。


「ともくんあんまりウロウロはできないだろうから、今日はともくんのお家で……」


 純花の勢いに押されたまま教室を出ると、少し気取った歩調で廊下を歩きながら純花が小さく耳打ちにしてくる。

 だが俺はそんな意味ありげに微笑みかけてくる純花の顔に向かって、全く別の提案を口にした。


「いや俺、今日は秀治のとこ、行こうと思って」


 そう言うなり、さっと純花の表情が素に戻った。

 間があった後、別人のような低い口調で尋ねてくる。

 

「……どうして?」

「どうしてって、そりゃ、見舞いに……」

「お見舞って、なんで、ともくんがそんな……。あんなことがあった後なのに?」

「だから直接言ってやりたいこともあるし、ちょうどいいかなって。お前も行く?」

「行かない」


 視線を落としたまま純花は答えた。

 その返事はまるで感情が失せたように平坦で冷たかった。

 

「それは……?」

「行きたくないから!!」


 つい先程までの上機嫌とはうってかわって、態度を豹変させた純花が突然荒げる。

 以前からそんな予兆はあったが、今回のことで本格的に秀治への嫌悪を隠さなくなったようだ。

 顔をあげるなりぐっと唇をかみしめて、俺のことを睨んで、


「ともくん、おかしいよ絶対、あんな目に合わされて……!」

「いや、それとこれとは話が別でさ。一応……」

「話が別って……何が? 全然意味分かんないんだけど!? あたしと……あたしと一緒にいるよりあの人を優先するってこと!?」

「そんなこと言ってないだろ、見舞いは今しか行けないから……」

「だからともくんが行く必要なんてないでしょって言ってるの! ……大体、ともくんだってひどい目に合わされてるんだから、いい気味……」

「おい、やめろ」


 俺が厳しい口調で遮ると、純花ははっと我に返ったように目を瞬かせたが、すぐに体を反転させて背を向けた。


「……わかった。大きい声出してごめんなさい。あたし……帰るね」


 そしてそう言い放つと、純花は振り返ることなく廊下を足早に去っていった。

 


 

 先ほどこぼしかけた純花の発言は、いくらなんでも思慮を欠いていると思った。

 今は距離をおいて頭を冷やさせたほうがいいと判断した俺は、純花を追いかけることはせず、秀治の入院先を確認するため職員室へ立ち寄る。

 見舞いに行きたい、と言って村上に尋ねると、喜んで教えてくれた。


「早坂くんが行ってくれると、とても喜ぶと思います」

「はあ、そうっすかねえ……」

「率先してくれて助かります。そのうちクラスのみんなにお見舞金を募って、何か渡そうと考えているんだけど……。早坂くん、その取りまとめ役を引き受けてくれない?」

「え、嫌です」


 当然快い返事があると思っていたであろう村上は、そっけない俺の態度に唖然とした顔で絶句した。

 

「ど、どうして……」

「いや、あいつはそういう借りみたいなの、きっと嫌いますよ。プライド高いから」

「そ、そうなの? でも早坂くんが言うなら、そうなのかもしれないわね……」

 

 実際はどうか知らねーけど。

 単純になんで俺がこいつの思いつきに付き合わされなきゃならねえんだよ、と適当に言い繕っただけだ。

 そんなもん面倒くさいし、たかが骨折ぐらいで大げさだろ。やりたきゃやりたいやつだけでやれ。

 と本心を言うわけにはいかないので、それらしく言い換えてごまかす。


「あとそういうのって、強制するもんでもないじゃないですか。本当に気になるやつは、ほっといても見舞いなりなんなり行きますよ。俺も行きますし」

「そ、そうかしら……? う~ん……後でちょっと他の先生にも相談してみます。今日はどうしても時間が取れないんだけど、先生も明日にでも顔を出すつもりだから」


 それはちょうどよかった。

 かぶるぐらいなら今日は行くのはやめようと思っていたところだ。

 

「でも先生感心しました。早坂くんは本当に友達思いなんですね」


 もし一緒に行ったら、面白いものを見せてやることができたかもしれないな。

 俺は鼻で笑いそうになるのをこらえながら、村上の話を適当に聞き流して職員室を出た。

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