第52話

 

 駅からバスで向かった総合病院。

 四人入りの大部屋、窓際のベッドで俺を出迎えたのは、驚き顔の秀治だった。


「まさか朋樹が来るなんてね。正直びっくりしてるよ」


 ベッドの上で軽く上半身を起こした秀治が、口元を綻ばせる。

 いつもの張り付いた微笑とは少し様子が違う気がした。


「俺も意外だったよ。他に誰もいないから」

「メールとかはいっぱい来るんだけどね。家族以外で実際ここまで来たのは朋樹で2人目かな」


 秀治がてらいなくそう言い切るのを見て驚いた。

 てっきり工藤の言うとおり、ほうぼうから見舞いが来ていると思っていただけに。

 拍子抜けした俺は、コンビニに寄った時ついでに買ったマンガ本をカバンから取り出して、脇の机に置く。

 机にはすでに自己啓発本らしき本が二、三冊積まれていて、結構な場違い感がある。


「高校生でこんなの読んでるやつ初めて見たわ。マンガがめっちゃ浮くな」 

「あ、はは……。いや、こういうのって本当なのかなって思って、試したくなるんだけど……」 

 

 秀治が若干気まずそうに頭をかく。

 妙に恥ずかしそうにしているのがおかしくて、俺は軽く吹き出しながらベッド横の小さな椅子に腰を落ち着ける。

 そして改めて、ギプスと包帯で固定されて宙に釣り上げられた秀治の右足に目をやる。

 それで察したのか、聞いてもいないのに秀治はひとりでに喋り始めた。


「あの日、模試が終わった後……」


 階段を、踏み外したという。

 段の半ばほどから、下の階に落ちたらしい。

 

「お前らしくないな、ずっこけるなんて」

「その時ちょうど、彼女から電話がかかってきて話してて、気を取られたっていうのもあるんだけど……」


 そこまで言って言葉を濁した。

 じっと何か考えるような顔で沈黙を始めた秀治を、俺は無言で待つ。


「何かあの時、誰かに背中を押されたような……」


 その一言で、急に空気が張りつめた。

 秀治は再び黙ってしまったが、尋ねずにはいられなかった。


「……何か心当たりは?」

「はは、なにそれ。誰かに突き落とされるようなってこと?」

「ああいや、別にそういう……」

「いいや、心当たりならあっちこっちでありまくりだよ。ふふ……」


 どういうわけか秀治はそれがさもおかしそうに笑った。

 そんなもの全く身に覚えがない、とでも言うのかと思ったら、そういうわけでもないらしい。

 

「何がおかしいんだよ」

「いや、僕もまだまだだなーって思って」

「そりゃどういう?」

「だから、そこまで恨みを買ってるようじゃまだまだってこと。それに、見る目がなかったなって。切る時は、敵にならない相手だと決めてからなんだけど、そうじゃなかったってことかな」


 説明されてもイマイチ理解が及ばない俺をよそに、秀治は一人納得したような顔をする。

 こいつにしてみたら、人から恨まれることは日常茶飯事だってことか。

 

「あ、そういえば朋樹さ、模試の日、休んでたよね? もしかしてこっそり学校来た?」

「は? なんで」

「僕を突き落としにさ」


 秀治は自分で言ってぶふっと吹き出してみせる。

 こういう冗談を言うのは本当に珍しい。


「お前、たまには面白いこと言うな」

「うふふ、でしょ? まあ、押されたかもっていうのも、僕の気のせいって言われたらそれまでなんだけど。ところでその顔……やられたの?」


 秀治は自分の目元を指さしてみせた。言っているのは俺の顔にかすかに残る痣のことだ。

 秀治のことだからもちろん気づいていながらもスルーするかと思ったが、そういうつもりではないらしい。


「ああ、おかげさまでな」

「え? 僕? やだなー……そんな風にしてなんて言ってないけど」


 とぼけてみせる秀治に、あえて無言で圧をかける。

 秀治は一度視線を外して、眼鏡を指で上げてみせた後、


「……実はそれ、聞いてて、知ってるんだ。なんかヤバイ人とやりあったんでしょ? それで朋樹が一発やり返したって。朋樹がやられたって話じゃなくて、それがすごいって話になっててさ。参ったなあ、また朋樹にハクがついちゃったね」

「なんでお前が参るんだよ」

「だって朋樹は僕のライバルだからさ」

「はあ?」


 また冗談かと目線をあおぐが、秀治はこれ以上なく真剣な顔だった。


「僕はね、朋樹のことは特別、気にしてたよ」

「どういうことだよ?」

「そのままの意味だよ。朋樹のこと羨ましいなって、嫉妬してた」

「お前が俺のなにをどう嫉妬すんだよ」

「だってかっこいいじゃん」


 あっけらかんと言う秀治に思わず面食らう。

 その意図を汲もうとするが、子供のように素直な口調からは何も読み取れなかった。


「……なんだよそれ、小学生かよ。お前が俺を羨む要素なんてほとんどないだろ」

「そんなことないさ。僕のことがすごく見えるのも、たまたま……演出だよ、演出。素のポテンシャルがあんまり高くないから、色々やらないと……」


 唐突な発言に呆れてみせるが、秀治は存外に真面目な口調で続ける。


「朋樹は僕と違ってすごい運動できるし……。ほら、学校入ったときもいきなり先輩に『ウチの部に来てくれよ』とかって言われてたりさ」

「俺、頭悪いし体動かすぐらいしか取り柄ねーしな。てかそれが羨ましいか? あんなのうざったいだけだぞ?」

「そんなことないでしょ。僕だって塾通って真面目にやってこれだし、ウチの学校偏差値低いしね。ここでトップでも、よそ行ったらせいぜい中の上ぐらいだよ」


 自嘲気味に薄く笑う。

 他校の生徒ともよく交流している秀治は、そのあたりの事情に詳しく引け目を感じているのだろうか。


「あとそれだけじゃなくて、朋樹って何やってもそつなくこなすっていうか……ほら、ゲームとかも上手でしょ。ああいうの、僕はからっきしダメなんだ」

「別にダメでも、なにも困らねえよ」

「だから勉強でもなんでも、朋樹が一度本気になってやったら、僕なんか全然かなわないんだろうなって思う」


 あの秀治がこんな自分を卑下するような弱音を吐くなんて初めてだった。

 表面上すましていても、今回のことが少なからず精神面に影響を及ぼしているのかもしれない。


「それに朋樹は片親でさ、今月金ないとかよく言ってるけど、僕はお金の心配なんてしたことないし」

「それめっちゃイヤミな」

「僕には何の問題もなく揃ってるからさ。なんならおじいちゃんもおばあちゃんもいるし」

「それがなんなんだよ、お前のかっこいいの基準おかしくねえか?」


 結局俺にはよくわからない理由だったが、そんなことで勝手にライバル視されてたらたまったもんじゃない。

 こんな風に俺を持ち上げ始めたのも、きっと単に気分が落ちているだけだろう。

 かといって励ます気もないし、元々そんなつもりで来たわけでもない。

 

「じゃ、俺そろそろ行くわ」

「あれ、もう?」

「ここであんまり野郎同士くっちゃべってても気持ち悪いだろ」


 まだ何か話したそうな秀治の声をかわして、俺は席を立った。

 だが一歩踏み出した所でふと思い出して、立ち止まった。


「ああ、あと忘れてた。これ言いに来たんだった」


 俺は秀治を振り返って、まっすぐに言い放った。 


「ライバルだかなんだか知らね―けど……裏でコソコソ女々しいことやってんじゃねーよクソ野郎。俺のことが気にいらないんなら直接かかってこいよ、ボコボコにしてやるから」


 そう言ってやると、秀治はしばらく固唾を呑んで俺の顔を見返していたが、突然相好を崩して、


「あははっ、やっぱカッコいいなー……朋樹は。僕が女の子だったら惚れてるね」

「やめろ気持ち悪い」

「安心してよ、もう張り合う気はないから。僕の完敗だしね。一方は名誉の負傷で、かたやこっちは自業自得だもんね」


 もう降参、とばかりに秀治は両手を上げてみせる。

 勝ち負けとかなんとかそういう話じゃないんだが、まあいいか。

 視線だけで答えた後、「それじゃ」と踵を返すと、呼び止められた。


「あとさ、最後に一つだけいい? 最初に純花ちゃんを朋樹に紹介した時……あの子、絶対僕のことが好きだと思ってたんだよね」

「は? なんだよそれ」

「それで朋樹にアタックさせて……後は言わなくてもわかるでしょ?」

「……とことん性格悪いなお前」

「僕は朋樹に勝つためだったらなんでもやりたかったからね。でもそれがどういうわけか、そのままうまくいっちゃってさ。あの子は本当に読めなくて……」

「お前の勝ちの基準も絶対おかしいわ」


 もはや呆れを通り越して文句を言う気すら失せる。 

 ただ目的はどうあれ、純花と引き合わせてくれたことには感謝しないといけないのかもしれない。

 

「これからは気をつけるよ。もうちょっとうまいことやらないと、ダメだね」

「さすが、やっぱ転んでもタダじゃ起きねえな」

「あんまりこれ以上失敗したくないんだよ。僕みたいな凡人はねー……人生の難易度上がるから」

「そんなことないだろ。お前が凡人なんて言ったら、ほとんどの奴が並以下になると思うけど」

「……そ、ありがと」


 そう秀治が小さく頷いたのを見届けると、俺は今度こそ病室を後にした。

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