第53話
秀治はそれからニ週間ほどで登校してくるようになった。
松葉杖ではあったが、村上のしつこい指示で周りがあれこれと世話を焼いてくれて、さほど不自由はなさそうだった。
秀治はふてくされることなく見事に素直なけが人を演じて見せて(演技かどうかは本人のみぞ知るだが)、これまでは世話を焼く側だったギャップもあり、教師連中からの株も含めてより周囲からの注目度が上がった気さえした。
そこからさらに一ヶ月もすれば杖をつかず歩けるようになり、次第にみんな何事もなかったように元通りの学校生活に戻っていく。
だが俺と秀治の関係はそうはならなかった。
学校で顔を合わせればそれなりに親しく会話はするが、それ以上の付き合いはなくなった。
あの日以来、俺のすることなすこと、たとえ誰と何をしようと、もはや秀治が口出ししてくることはなかった。
そして彼女――純花はというと。
その日は、朝から空一面、厚い雲に覆われた薄ら寒い日だった。
最近はまるで秋をすっ飛ばして一気に真冬になったかのように、めっきり肌寒い。
遅刻寸前に教室に駆け込んだ俺は、首に巻きつけたマフラーを解きながらまっすぐ自分の席へ向かう。
そこが空席であるのを視認して、ああ、今日はおとなしい日か、などと考えながら机に勢いよくカバンを置いて、荒々しく椅子を引く。
「まったく、もうちょっと静かにできないんですかねぇ……。遅刻ギリギリで来て……」
隣でぶつくさ言う春花に、「おっす」と声をかけるが、春花はじろりと眠たそうな目をちらっと向けたきりで、うんともすんとも言わない。
これもいつものことで、こいつからまともなあいさつが返ってきたためしはない。
なのでいちいち気にはせずに、ぐるりと教室内を見渡す。
「あれ? 今日、あいつは?」
「まだ見てないです」
あいつとは言うまでもなく純花のことだ。
朝のこの時間、教室内での純花の行動は俺の席で春花をからかって遊ぶか、または自分の席でぼーっとしているか、寝ているかのどちらかだ。
前者は調子がいい時、後者は悪い時。朝の様子で、ほぼその日の機嫌のよさが把握できるため非常にわかりやすい。
だが今日はそのどちらもでなかった。
「また遅刻か……?」
純花も例にもれず相変わらず……ならよかったのだが、最近これまでにまして、不安定になってきている気がする。
少しだけ遅れてきたり、はたまた突然休んだり。
慢性的に寝不足らしく、登校してもぼうっとしていたりすることも多い。
携帯にメッセージを送ってみるが、返信はなし。
昨晩はこちらがバイトで疲れていて寝落ちしてしまって、
『寝ちゃった?』
『おーい』
『無視ですかー』
『おやすみ(半ギレ)』
『おやすみなさい、風邪引かないようにね』
向こうからはそこで終わっている。
たしかこの前、「ともくんから返信来ないとスマホカチ割りたくなるんだけど?」と脅しだかなんだかよくわからん勢いで迫ってきたから、あるいは本当に叩き割ったか。
……まさかな。
携帯をしまって何気なく窓の外へ視線を送ると、視界の端で、春花がさっと机の上に広げていた何かを机の中に隠した。
そういう露骨なことをやられると気になって仕方ないので、身を乗り出して春花の机の中に手を突っ込もうとすると、
「ち、ちょっ……な、なんですか!」
「いまなに隠した?」
「べ、別に、ただのプリントですよ!」
「何のプリント?」
わざとしつこく聞いてやると、春花は左右に視線を泳がせてまごついていたが、すぐに観念したのかゆっくりと机の中から一枚の紙を取り出した。
「し、進路希望のプリントですよ。明日までに提出の……」
「ああ……」
そういえばそんなものもあったっけ。
配られた時に机の中に突っ込んで、それっきりだったのを今思い出した。
春花の用紙は第一から第三志望まですでに何か書き込まれているようだったが、文字が見えないように春花の手によって隠されている。
「ちょっと見せて」
「あっ、ちょっと、だ、だから!」
春花の手元から素早くプリントを抜き取る。
あまりに嫌がっているのでよほどおかしなことが書かれているのかと思いきや、なんちゃら短期大学だの専門学校だのといたって普通だった。
「なんだよ普通じゃん、つまんねえな」
「……人の進路見て、面白いとかつまらんとかそういうのないでしょう。魔法少女とでも書くと思いました?」
やや不機嫌になった春花は、プリントを乱暴にびっと奪い返すとそのまま机の中に隠してしまう。
そして今度はこっちの番とばかりに、俺の進路希望用紙を見せるよう迫ってきたので、あちこちしわになった白紙のプリントを取り出して目の前に広げてやる。
「俺すっかり忘れてたわ。つうかどっちみちなんも決まってないんだけどさ」
「へえ、珍しいですね、DQNのくせに進路決まってないとか」
「お前ほんとすさまじい偏見持ってるな」
俺がそう返すと、春花はわざとらしくやれやれと肩をすくめて、
「いや~でもいいですよね~そんな気楽で。こっちは親があれこれうるさいんですよね。ノリでアニメの専門学校行きたいって言ったら笑顔で猛反対されるし」
「反対ねえ……」
「まあ別に作る側じゃなくてもいいんですけど、できれば働きたくないし……そうなると目指すは専業主婦……」
なにも考えてないようで、俺よりよっぽどまじめに考えてはいるようだ。
俺は白紙のまま再びプリントを机の中に突っ込むと、ちょうど教室に入ってきた担任が教壇に登るのをぼんやりとした頭で眺めていた。
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