第54話
昼休みの時間。
昼食を取り、急に襲ってきた睡魔に逆らうことなく机に突っ伏してしていると、何者かに肩を揺すられる感覚で目が覚めた。
いやいやながら顔をあげると、これまた気の抜けた表情をした純花が、ひらひらと手を振ってみせる。
「おはよ~~……」
「……おはようじゃねえよ、何時だと思ってんだよ」
純花は今まさに登校してきたようだが、すでに昼休みも半分を過ぎている。
聞いているのかいないのか、純花はどこかほわほわっとしたまま、隣でスマホとにらめっこをする春花にもあいさつをしたあと、
「昨日の夜、ともくんのおやすみがなかったから眠れなかったの。しくしく」
冗談なのか本当なのかわかりにくい言い訳をしながら、わざとらしく泣き真似をしてみせる。
思いっきりあきれ顔を返してやると、まだ眠たいのか純花は再びぼーっとし始めたかと思いきや、
「きてきて」
そう言ってくいくいと袖を引いてくる。
行先も告げないので突っぱねてやってもよかったが、放置するのも少し心配なので黙って純花に従って教室を出る。
案の定、先を行く純花の足取りはたまにふらついたりして危なっかしい。
そしてどこに行くのかと思えば、やってきたのはいつか春花と昼飯を食った、余った机や椅子が並べてある通路の行き止まり。
「やった、誰もいない」
純花は弾んだ声でそう言うと、椅子が四つほど並んでいる端に腰掛けて、
「ともくんはここ」
ぽんぽんと隣の椅子を叩く。
少し調子が狂いそうになりながらも言うとおりに椅子に座ると、純花はこてんと体を横に倒して頭を俺の膝の上に乗せてくる。
「ひざまくら~……」
「おい……」
「ねえ頭なでて~」
純花はあくまでマイペースに、無理やり俺の手を取って自分の頭に持っていく。
このまま従わせられるのもなにかシャクだったので、わざと乱暴に髪をわしゃわしゃしてやる。
「あぁんもう、ともくん下手! もっと優しく!」
ぎゃあぎゃあうるさいので、ご要望の通りやさしくゆっくり撫でてやると、
「はぅん……」
「変な声出すなよ」
「おやすみなさ~い」
「結局寝るのかよ……」
いかにも幸せといった顔で純花は目を閉じた。
夜に限らず眠れないことが多いと言うので、これで眠れるならまあいいかとなるべく膝を揺らさないようにしてじっとしていると、純花はすぐにぱちりと目を開いて、ガバッと上半身を起こした。
「今度は何だよ」
「ダメだ、せっかくともくんと一緒にいるのに寝るなんてもったいない」
「落ち着かないやつだな……」
えへへ、と笑ったかと思うと、純花は椅子に座り直して、まっすぐに顔を見つめてくる。
やっぱり少し目の下に隈ができているな……と観察していると、いきなり唇が接近してきた。
軽く何度か口元をついばまれた後、本格的に唇同士が密着して、柔らかい感触が口内に侵入してくる。
少しぐらいならと一度はそれを受け止めるが、舌に絡みつく熱の動きが全く止まる気配がないので、唇を離してたしなめる。
「おい、ここ学校だぞ」
「んふふ……。ねえ今日、バイト休みだよね。久しぶりにともくんの家、行きたいなぁ~って」
「俺んち来てなにすんだよ」
「やだ、わかってるくせにぃ~」
純花が上目遣いをしながらしなを作ると、一瞬思わず抱きついて押し倒したくなる衝動に駆られるが、理性でそれを押しとどめすぐに話題を変える。
「……お前さ、あれもう出した? 進路希望の」
ここで苦し紛れにそんな話題を出すとは、我ながらうろたえていると思った。
俺が無意識に避けているのを察してか、もしくは純花も俺と同じく避けているのか、向こうの方からそういった類の話を振ってくることはない。
つい口走ってしまっただけだったが、純花の方も驚いているようだった。
それまで浮かれ気味だった純花の表情に、妙な緊張が張り詰めていくのがわかった。
「あたし、まだ……」
純花はとりあえずそれだけ言って、口ごもる。
とはいえ、俺のように全く未定ということはないはずだ。
あれだけ必死に勉強しているとなると、当然進学か。
「まだって言っても、進学するんだろ?」
「進学、したいけど……。無理かも……」
「無理? 金がないとか?」
「う、ううん、そういうわけじゃ、なくて……。学力的な問題」
そんなことを言われて少し首を傾げてしまう。
俺してみれば進学はやはり金がネックになるものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。
学力で言えばよほど問題はないように思うのだが……実際の所はよく知らない。
「大学? そんな難しい所行くつもりなのか?」
「うん、あの……笑わない?」
「別に、笑わないけど?」
「本当に?」
「うん」
やたら念を押してくる。
純花はさらにためらいがちに一度目を伏せた後、意を決した表情になって口にする。
「あのね、第一志望が…………T大学」
……ヤバイ。
何やら一大決心をして言ってくれたのはいいが、それがすごいのかすごくないのか全くわからん。
どんなリアクションをすればいいか戸惑っていると、みるみるうちに純花の表情が陰っていく。
「そ、そうだよね、やっぱあたしなんかが……」
「あ、いや違う……そもそも、そのT大がどのぐらいなんだか全然わからん」
というか、どこの大学がどうとか一切興味がないし知識もない。そもそもそれ、どこにある大学なんだ。
……と恥ずかしげもなく無知をさらすと、最初はあきれ気味だった純花の表情が次第に引きつりはじめて、しまいには怒り出した。
「なんで知らないのもう! 名前聞いたことぐらいあるでしょ?」
「き、聞いたことはある……かなぁ?」
収まりがつかないので、とりあえずそういうことにしておこう。
しかしなんでそこまで怒るかね、それだけ本気ということなのか。
「それで、この前の模試の結果……出てて」
「どうだったんだ?」
「それが、D判定……」
「D判定! やったな」
「……よくわかってないで言ってるでしょ? 全然ダメってことだからね?」
「あ、ああ……そうか、そうだよな、わかってるわかってる。じゃあさ……レベル下げて他のとこにしたら?」
「ダメなの。そこじゃないと……」
純花は頑なに首を振る。
そこの大学じゃないとダメな理由が何かあるのだろうか。
大学なんてどこでもたいして変わらないだろうと思っている俺には、到底わからないことなのだろうが……。
またしても空気が重くなりかけると、それを振り払うように純花は声を高くして、
「ね、それよりもともくんは? ともくんはなんて書いたの?」
「書いてない」
「書いてないって……ともくんは進学? それとも就職……するの?」
「意味もなくよくわからん学校行くなら、適当に就職したほうがいいだろ。どの道金もないし」
「よくわからないとか適当とか、ともくん投げやりだね。ほら、何か将来やりたいこととか、なりたいものとか……」
「別に……やりたいこととかねえし」
「そっかあ……。でもともくんなら、その気になったらなんでもできると思うんだけど……。じゃあさ、これから一緒に探そう?」
「だからねえっての」
そう突き放すが、純花は一人乗り気のようだ。
迂闊にも自分から口にしてしまった話題だったが、もう切り上げたかったのでその意味も込めて椅子から立ち上がる。
「ちょっと、ともくんどこ行くの」
「トイレだよ」
痣の跡も含めて体はとっくの前に完治したというのに、一人で黙ってどこかに行こうとすると、純花は行先をいちいち尋ねてくる。
また危険な目に合うのではないかと心配しているようだが……頻繁にやられると、こちらも少し閉口してしまう。
「すぐ帰ってきてね。待ってるから」
「もう休み時間終わるぞ」
「あぁん待って、あたしも行く!」
ガタっと音を立てて席を立つ純花。
結局、二人一緒にその場を後にした。
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