第55話
放課後はあれよこれよと純花の要望のままに、特に用事もないし拒む理由もないしで、一緒に俺の家にやってきていた。
もちろん母親は仕事で、誰もいない、というのはお互い了解している。
家の鍵を開けて玄関を閉めて、家に上がり込んですぐ、純花を抱き寄せてキスをした。
腰に手を回して体に触れようとすると、純花の手が俺の腕を掴んで待ったをかけた。
「ともくんが進路希望の紙、書いてからね」
帰り道から純花はそればかりうるさい。
俺は適当に書いて出せばいいと思っているが、進学かどうかで来年のクラス振り分けに影響するらしく、よく考えてからにしろという。
と言われてもすでにそんな気分じゃなかった俺は、無視して唇に吸い付いてごまかそうとするが、今度ははっきりと拒否された上に頬をつねられてしまう。
「書いてから、って言ってるでしょ?」
怒られてしまった。
こんな風に拒絶されたことはこれまでなかったので少し驚きだったが、ここはおとなしく従ったほうがよさそうだ。
「わかったよ、書きゃいいんだろ書きゃ。宇宙飛行士とか書いとくか」
「だからふざけるのはやめなさいって言ってるでしょ、もう」
「なんだよそれ、本気だったらどうすんだよ」
「えっ、ともくん宇宙飛行士になりたいの?」
「いや全然これっぽっちも」
純花はいーっと一瞬すごい変顔をした後、ぷいっと顔をそむけて勝手に二階に上がっていってしまう。
また怒ったらしい。いや今のは冗談だと普通にわかると思うんだが……。
すぐに追いかけて階段を登る。
先にまっすぐ俺の部屋に踏み入った純花は、汚い汚いと言いながら手当たり次第に部屋の中を物色し始めた。
散らかっているのはペットボトルだの弁当の容器だのお菓子の袋だの主にゴミだが、あちこち詮索されるとあまり気分のいいものではない。
一体何を探しているのかと尋ねると、
「ほら、ともくんが興味のあることとか、部屋にあるもの見ればわかるかなって。それがヒントになるかもしれないし」
昼休みに言ったこと、純花は本気らしいが、部屋には取り立てて珍しいものはない。
人から借りたりはよくあるが、俺は自分で何か趣味嗜好品を買うということをあまりしない。いや、しなくなったと言うべきか。
それこそ小さい頃は、人並みに色々と買い集めていた。
お菓子にくっついていたおもちゃ、ガチャガチャで出したキーホルダー、ゲームセンターで取った小さいぬいぐるみ、しつこくねだって買ってもらったプラモデル。
そんな物が増えるたび、フタの付いたおもちゃ箱に詰めて、全部一緒くたにしてしまっていた。
だが中学の頃、住んでいたアパートを引っ越す時になって、邪魔だと母親に言われた。
もうそんな子供じゃないんだからいらないでしょ、と。
実際母親の言うとおり、その頃にはもう箱を開けることはなかったし、中にあるものもどこかが欠けていたり、壊れていたり、不要なものだった。
だけどガラクタばかりに見えるおもちゃ箱の中には、すごく大切にしていたものもあった。
そのほとんどは、あの人に買ってもらったもので……でもその時の俺は、何もかもどうでもよくなっていて、言われるがままに全部処分した。
「あっ、ギターは……もうやる気ないんだっけ」
部屋の中で目立つものと言えば、唯一それぐらい。
あれは、なんで捨てなかったんだっけな。
あの時はもう弾かなくなっていて、たしか売れば金になるかもって言って、そのまま……。
――なんでギターなんか買ってきたのかって? いやぁ、お父さんこう見えて昔はバンドやってたんだぞ。
――あれ、おっかしいなぁ、腕が鈍ってるなぁ。新品だから弾きづらいかな? ははは……。ん、朋樹も弾いてみるか?
――うまくなったじゃないか朋樹。楽しいか? そうかぁ。……よし、そのギターは朋樹にあげよう。けっこう高いやつだからなぁ、大事に使うんだぞ。
「……ともくん? どしたの?」
その声ではっと我に返ると、不思議そうな顔でじっと純花がこちらをのぞき込んでいた。
俺はとっさに取り繕うようにして、
「……あれも邪魔だから、誰かに売っぱらおうかなって」
「そうなの? なんかもったいない気がするけど……。あっ、そうだ! ねえ、卒業アルバムとかないの?」
「ない」
「何言ってるの、ないわけないでしょ。あ~、なんかすごく見たくなってきた……。こうなったら意地でも探す」
いっそう真剣な顔つきになって、純花は捜索を再開する。
俺自身どこに置いたかすら覚えていなかったが、ものがものなのでわりとすぐに見つかった。
純花は小さい本棚の隅で埃を被っていた分厚い冊子を取り出すと、手で払いながら床の上に広げる。
「え~っと、どこかな~……あっいた! わっ、かっわいぃ~。かわいいね~ともくん」
「わかったから。何回言うんだよ」
「すっごい笑顔だよ。今とは別人みたい」
「実際別人だからな」
「なんでそういうこと言うの」
このアルバムは引っ越しの前に荷物整理をしている時に目に止まって、軽く流し見たきりだ。
何も知らずに脳天気にヘラヘラしている自分を見て、ひどくイラついたのを覚えている。
よっぽどこれも一緒に捨ててやろうと思ったが、その時は母親の目もあり、それきりついに実行には移さないまますっかり存在を忘れていた。
そんな俺の思惑などつゆ知らず、純花はどんどんページをめくっていく。
進んだり戻ったりを繰り返して、熱心に何か探しているようだったが、ようやくたぐる手が止まった。
「あっ、やっぱりあるじゃん。将来の夢!」
純花が嬉しそうに声をはずませる。
どうやらいきなりアルバムが、だとか言い出した目的はそれだったらしい。
「ともくんあるじゃないほら~……六年三組。はやさかともき。ぼくのしょうらいのゆめは、サッカーせんしゅになることです。……わぁ、ともくんサッカー選手になりたかったんだぁ」
「いいから」
「なんで~? あ~ともくん恥ずかしいんだ? いいじゃんいいじゃん、ぜんぜん恥ずかしくないよ。……かならずしあいを見に来てくれます。ぼくが点をきめると、お父さんはとてもよろこんでくれて……」
「やめろって」
「ぼくがサッカーをはじめたのは、お父さんが……」
「やめろ!」
俺は横からアルバムを力任せにひっつかんで、壁に向かって投げつけていた。
ごん、と大きな音がして、ばさばさばさとページがめくれ、不格好な形で本が床に落ちる。
それきり沈黙になった。
純花はまるで感情が失せたかのようなまったくの無表情で、少しへこんだ壁の方を見つめていた。
立ちつくしたまま俺も同じように見ていると、真っ白になった頭の中が、徐々に冷えていくのを感じた。
俺は純花のすぐそばに座って、肩に触れた。
「……びっくりさせてごめん。悪かった」
そう告げると、時の流れが戻ったかのように、純花の体が震えだした。
そしてかすれた、今にも消え入りそうな声で、
「ご、ごめん、ごめんなさい……あ、あたし……うっ、うぇ……えっ……」
「ごめんって、だから泣くなって」
「だっ、だって、あたしほんとう……ばか、ばか……」
純花はぼろぼろと涙をこぼしながら、面を伏せて嗚咽をもらし始める。
俺はその頭に手を乗せて、髪をゆっくり撫でた。
「ともくんのこと、ぜんぜん、わかってないくせに、勝手な……ことばかり言って……あたし、ほんと、最低……。最低だよ……」
「そんなことないよ。純花は俺のこと、本気で心配してくれてるんだもんな。ありがとう」
泣き声はしばらくやまなかった。
やがてゆっくり純花が顔を上げると、赤くなって潤んだ瞳と目が合った。
胸が締め付けられる感じがして、自分がひどく情けなく思えてきて、すぐに見ていられなくなった。
俺はそれをごまかすようにして、彼女の体を抱きすくめた。
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