第56話


 その日以来、卒業後のこと、とりわけ俺の進路について、純花と話をすることはなくなった。 

 結局、進路希望調査の紙は、進学ではなく就職希望、とだけ漠然に書いて提出した。


 やたら長く感じた二学期前半とはうってかわって、それからはウソのように時間が過ぎ去り、早くも二学期が終わろうとしていた。

 ころころと変わる純花の機嫌に振り回されることはあったが、それをいちいち事細かに述べ立ててもキリがない。

 長い目で見れば純花との関係は、表向きおおむね良好、と言える。

  


 期末試験から解放されて、晴れて冬休みになった。

 そしてその初日、クリスマスも目前の日。 

 俺はいつもの学校最寄り駅からさらに三駅先の、巨大なゲーセンや映画館の併設するショッピングモールにやってきていた。


 今回の言い出しっぺは工藤だ。

 何やら俺に非常に重大なミッションがあるとかで、一週間前ほどに携帯にメッセが来た。

 その内容とは……工藤が春花に告白したいのだという。


『他に女子がいないと警戒されるだろうからさ。あの子純花ちゃんと仲いいじゃん。それにあんまり少人数だと露骨だし、他に誰か入れて……オレはオレでもう一人ぐらい女子をなんとか調達すっからさ。頼むよ~』


 などとごちゃごちゃ始まったが、要約するとまず何人かで遊んで、それとなく流れを作りたいのだという。

 だがその実、直で春花を誘うときっと断られるので純花を通してもらって、だとかかなり姑息な作戦だった。

 くそめんどくせえからコクるならそのへんでさっさとやれよと返すと、お前にはこの苦労はわからんよと延々謎の説教が始まってしまって、なんにせよ純花次第だな、と結局こっちが折れた。

 

 俺はあまり乗り気ではなかったが、純花にそれを話すとやたら張り切りだしてしまい、すぐに春花に話をつけてきた。

 一応あの工藤だぞ? と念を押すが、「いいじゃんいいじゃん」と純花の中ではそこまで工藤の評価は悪くないらしい。

 単純に面白がってるだけなのかもしれないが……。

 

 


「ともくんおそ~い」


 バスから降りて広い駐車場を回り、工藤に電話で確認しながら指定された建物付近に向かうと、集合場所にはすでに純花たちの姿もあった。

 純花は春花の準備をするということで、春花の家から一緒に来たらしいが、なるほど春花も久方ぶりにばっちり決まっている。

 当の本人はスカートで足が寒い寒いと文句をたれているが、純花におしゃれは我慢だよ、とたしなめられている。


「ああ~いいですねえ~花がありますよねぇ~」


 工藤が興奮気味にしきりと同意を求めてくるが、こっちは実を言うと少し眠い。

 別に午後からでもよかったんじゃねえの、と文句を言おうとすると、眠気を吹き飛ばすような甲高い声が耳に突き刺さった。

  

「朋樹さん! お久しぶりでぇす!」

 

 嫌な予感がして振り返ると、春花と並べてもさらに小さい女の子が一人。

 二つ縛りの髪にはつらつとした笑顔、こちらも足を惜しげもなくさらし、全体的に寒そうな格好をしている。

 俺はなんとか愛想笑いを返すと、すぐさま知らん顔をしている工藤の首根っこを捕まえて問い詰めた。

 

「……おい、どういうことだよ」

「い、いやだから、女子……」

「女子って、お前の妹じゃん」

 

 悲しいかな、女子を一人用意すると言っておいて断られ、挙句の果てに妹を呼んでしまうというこの体たらく。

 じっと熱い視線を送ってくる彼女、工藤の三つ下の妹美結とはもちろん初対面ではない。

 それどころかこの子とはこのバカのせいで去年一悶着あって、下手すれば妙な関係になるところだったが……その話は思い出したくもないので割愛する。

 容姿は小さくこじんまりと整ってはいるのだが、中身がはっきり言って俺の苦手なタイプだということ。

 まあ、嫌いというわけではないのだが……とにかく苦手。


「あっ、あの、やっぱりわたしが来たら、迷惑でしたか?」

「いやまあ……」


 俺が言いよどんでいると、どういうわけか春花が「べつにいいじゃないすか」とフォローを入れてくる。

 二人は初対面のはずなのに、俺が来るまでの短時間のうちにすでに美結の手が回っているらしい。

 

 美結は「春花さんありがとうございますぅ~」なんてやってるが、そのへんは抜け目のないコミュ力。

 工藤がなんと言ってこの妹を連れてきたのか知らないが、彼女はやたらと鋭いので薄々感づいているのかもしれない。

 策に溺れた挙句、自分で自分の首を絞める形にならなければいいが。

 俺が来たことでメンツも揃ったようなので、一同を見渡して言う。


「揃ったみたいだしさっさと行こうぜ」

「ちょ、ちょ待って待って! ともくんお約束ぅっ!!」

「え、ちょっとなんですかあなたいきなり。乱暴はやめてください」

「ちょ、マジで省こうとしてる? みんなのヨッシーだよ!」

「すいません、何言ってるかわかんないんですけど……他のグループと間違えてません?」


 吉田に似ている人がいるなと思っていたら本人だった。

 こいつも工藤に何を吹き込まれて連れてこられたのか知らないが、無駄にかっちりキメてきている。

 いつもの頭髪剤つけすぎのテカテカ頭に、さらに顔面にも何か塗りたくってきたのかとにかくテカっている。

 服装も出来損ないのサイバーパンクのようなコートを羽織っていて、こうなると冗談抜きで他人のふりをしたい。

 

「まあまあいいじゃねえか朋樹。ピエロがいたほうがオレらの株が引き立つってもんだ」

「お前最初からそういう目的で呼んだな」

「実際吉田はイイヤツだよ、オレがあらゆる面で完全にマウント取れる数少ない親友だ」

「ちょっとモロ聞こえてるよぉーっそこぉー! そういうのひそひそ声でやるでしょ普通ー!!」

「吉田さん、ちょっとうるさいです」

「あっ、ご、ごめんなさい」

 

 女子中学生に怒られて謝る哀れな男。

 いや、少し嬉しそうにしているので哀れではないか。

 




「きゃーすごーい! 朋樹さんまたストライク!」


 俺がピンを倒すたびに、まるでそういうロボットかのように、美結がぱちぱちぱちと拍手とともに甲高いはしゃぎ声をまき散らす。

 工藤の綿密なプランとやらに従い、ぶらぶらとモールをうろつき、昼食を取り、その次にやってきたのは多くの人で賑わうボウリング場。

 工藤にしてみれば午前中はなにやら微妙な感触だったらしく、その分をここで一気に挽回とばかりに無駄にテンションを上げてはりきっていて、


「イエーイ朋樹イエーイ!!」

「いや、いいよもうお前、痛えから」

「イエーイ!」


 無理やり強烈なハイタッチを繰り出してくるので、こちらとしてはいい迷惑だ。

 俺達と似たような学生グループらしき姿もいくつか見うけられるが、この兄妹のおかげでかなりやかましいことになっている。

 わざとらしく手を拭った美結とタッチし、当然のごとく吉田をスルーして席に座ると、うってかわって微動だにせずピリピリしているのが春花と純花の二人。

 

 春花はボウリングをほとんどまともにやったことがなかったらしく、半分を過ぎた時点でスコアはダントツの最下位。

 待っている間、なにやらじっと携帯とにらめっこしていると思ったら、投げ方をネットで調べているようだった。 


「ほら春花ちゃん、もうちょっと右、右」

「わかってます、わかってますって!」


 工藤が待ってましたとばかりにレクチャーをしているが、それが実を結んでいるとは言いがたい。

 熱心な指導の甲斐むなしく、未だにスペアすら取れていない。

 またもガーターを連発して、


「ああもう! この床傾いてんじゃないすか! 欠陥ボウリング場ですよこんなん」


 などと言いがかりをつけだす始末。

 かなりの負けず嫌いだというのはすでに周知の事実であり、こうなると他人のアドバイスなぞ聞き入れようとしない。

 さすがの工藤もこれには苦笑いするしかないようだ。



 そして純花はと言うと、だんまりのままズゾゾーっとジュースを飲み干す。

 なぜか知らないが、そこはかとなく不機嫌オーラを発している。気がつけばこんな感じだった。

 順番が来ればボールをひっつかんで大股にレーンに入り、やたら豪快なフォームで腕を振りかぶって球を放り投げていく。

 ガーターになろうがお構いなしだ。吉田の球なんかよりよっぽど勢いがあって少し怖い。

 そして時たま、こちらにむすっとした目線を送ってくるのがもっと怖い。 

 そんなよくわからない雰囲気のまま、一ゲームが終了した。

 

「あ~あ、トップはやっぱ朋樹か~」

「すごぉ~い! どうやったらそんな上手になれるのか、コツとか教えてほしいです~」

 

 美結がスキあらば甘えた声で擦り寄ってくる。

 その瞬間ジリジリと視線を感じて、もしかするとこれがマズイのかと思い始めたが、だからと言ってどうかわすか返答に窮したので、

 

「あ、あぁ、ちょっとトイレ行ってくるわ」


 そう言ってとりあえず一度トイレに逃げることにした。



 

 一応、用を足してから戻ろうとすると、その途中の通路で反対からやってきた純花と行き会った。

 ちょうど向こうもトイレ……というか、待ち伏せされていたようだが……。

 純花は俺の行く手に立ちふさがるようにして、何も言わずにつんとした表情を向けてくる。


「な、なんだよ……」

「朋樹さんすごーい、ですね~」


 ……やっぱりな、わかりやすい。

 いやわかりやすいように、向こうがそう仕向けているんだろうけども。


「……まさか工藤の妹に嫉妬するとは」

「してますけど何か? ていうか、ともくんだってまんざらでもなさそうじゃん。いつもならああいうの、ふん、みたいな感じで相手にしないくせに」

「いや、単純に苦手なんだよ」


 言い訳など聞く耳もたない、とばかりに、純花はもはや不機嫌を隠そうともせず詰め寄ってくる。 


「純花ちゃんイライラだよ? ほらどうするの、こういう時」

「どうするのって……」


 口調は冗談めかしているが、目が全く笑ってない。

 かと思えば、いきなり目を閉じて顎を突き出し始めたので、


「お前なあ……」

「ちょっとだけ」

「人来たらどうすんだよ……」


 トイレに続く通路は奥まったところにあるので、外から人の目には触れることはない。

 男子トイレは無人だったので、人が通りすがる可能性は低いとはいえ、すでにこの状況がまずい。

 こうなったら手早く済ませたほうがいいと判断した俺は、いつもよりわずかに赤みのある純花の唇に、自分の唇を触れさせる。

 そして顔を離したとたん、純花はぱっと笑顔になって、


「わぁ、ほんとにしてくれるんだ。ともくん優しー!」

「うわなんだよそれ、お前ハメやがったな」

「なにが~? あたし、してなんて一言も言ってないよ~?」


 と今度はうれしそうににやにや笑いを始める。

 汚いやつめ……と口から出かけたが、これぐらいで機嫌がすっかり戻るのなら楽なもんだ。


「んふふ、ともくんちょろいな~……」

「ちょろいのはお前だよ」

「ん~? ともくんでしょ」


 などとやっているうちに人が来てしまい、変な目で見られてしまう。

 俺達はお互い顔を見合わせて吹き出した後、みんなの元へ戻った。

 


 


「さてじゃあもう一ゲーム……次は二人一組ペアってのはどうよ?」


 戻るなり、どうよこのナイスな提案とばかりに工藤がそう言って、目配せをしてくる。

 正直もうボウリングは飽き始めていたうえに、今にも美結が「わたし年下なんでハンデとして朋樹さんと組みたいです」だとか言い出しそうだったので、


「あー俺もういいや。向こうで麻雀のゲームやってていい?」

「は?」

「俺ボウリングってそんな好きじゃないんだよね。なんていうか、相手との読み合いとかもねーし、ただ一方的に投げて終わりだし、張り合いがないっつーか」

「うわ、出た、空気読めない自己中発言出た~。イケメンなら何をしてもいいと思っている男約一名~。いるんだよな~みんなで来たのに勝手に一人で格ゲーとかやりだすやつ。なあヨッシーなんとか言ってやってくれよ」

「あっ、オレいいこと思いついた! もう次こいつの頭でボウリングしよう!」

「一番高スコア取っておいてイヤミったらしいですね。これだから勝ち逃げDQNは……」

「もう、ともくんダメだよそんなこと言ったら」

「朋樹さん麻雀できるんですか? わたしも教えてほしいです~」


 ちょっと思ったことを口にしただけなのに四方八方からやかましい罵詈雑言が返ってくる。

 どっちにしろ逃げ場はなさそうだし、腹をくくるか……と思っていると、


「なるほど、つまり朋樹は真剣勝負がしたいってことだよね?」


 突然背後からここにいるはずのない人物の声がして、俺ははっと振り向いた。

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