第43話
「これマジおもしれーからさぁ、読んでみ?」
放課後。
六限目が終わるなり、工藤が俺の席にやってきて授業中に読破したらしい漫画を押し付けてきた。
工藤は微妙にマイナーな漫画を見つけてきては周りに勧めて、それオレが最初に見つけた、というのをよくやっている。
今回もそれで俺と話に来た体ではあるが、狙いは隣の春花なのが見え見えだった。
俺に漫画を勧めながらも、あわよくば話に巻き込もうとちらちらと春花の様子をうかがっている。
肝心の春花は我関せずと帰る支度をしていて、はっきり言って脈なしなのが傍目にもわかるのだが、工藤は存外にしぶとい。
後で空気読んでくれよだとか言われてもめんどくさいので、仕方なく受け取った漫画を春花のほうへ差し出して言う。
「工藤が貸してくれるって。超面白いってよ」
「あぁ、それ、持ってます」
春花の意外な返事に、工藤がここぞとばかりに食らいつく。
「えっ、マジで!? 北野さん持ってんだ! それさぁ……」
「クソつまんなかったんで一巻で買うのやめましたけど」
「あっ、そう……なんだ……」
春花は目もくれずにきっぱり言い放った。まったく歩み寄る気がない。
実際はそういうのにはシビアなだけで、単純に正直な意見を口にしただけなのだろう。
さすがの工藤もいつものように「絶対おもしれーから、お前センスねーよ」などと強気には出られないらしい。
「ま、まあ、これ合う合わないあるからな~……。そう言われてみるとそうでもなかったかもなぁ~……」
「お前、面白い奴だな」
「……そりゃどうも」
工藤が引きつった笑顔で睨んでくる。
それだけ評価が割れるのが逆に気になったので、俺は突き返された漫画をそのまま鞄に入れた。
なんとか別の話題にシフトしようとする工藤を適当にあしらいながらも、俺の視線は無意識のうちに対角線上にある純花の席へ向いていた。
純花は緩慢な動きで帰り支度を済ませ、ちょうど立ち上がったところだった。
目の端でその挙動を捉えていると、純花はそのまま騒がしい放課後の教室の中を、誰と話をするでもなく一人ふらふらと出ていった。
「ってそいつがさ、言ってるわけよ。……って朋樹聞いてる?」
「俺帰るわ、じゃあな」
引き留めようとする工藤の声を無視して、俺はすぐに純花を追いかけた。
廊下を走って、若干肩を落とし気味に歩く純花の隣に並ぶ。
少し間があった後、純花がようやく俺に気づいてゆっくり顔を向けた。
「あれ? ともくん……」
勢いで来たはいいものの何を言うか考えていなかった。
純花とは昼休みにお互い言葉足らずのまま、よくわからない形で別れたきりだ。
少し考えた末に、前を向いたままつぶやく。
「……一緒に、帰ろうか」
「……え?」
純花が小さく驚いた声を出す。
「ともくん、今日バイト……」
「ちょっとぐらいなら、余裕あるから。駅までだけど」
「……ごめんなさい」
純花の沈んだ表情は晴れない。
俺は意図の読めない純花の謝罪に対しなんて返したらいいかわからず、それきり会話はなくなった。
無言のまま、昇降口で靴を履き替え、学校を出て、駅までの道のりを連れだって歩く。
純花の歩みは、いつにもましてゆっくりだった。
加えてやや視線は落とし気味、足取りにもどこか力がない。
二人で出歩く時は、いつもは純花が少し急ぎ足で、俺の歩調に合わせてくる。
だが今は、俺が純花の歩調に合わせていた。いつもの調子で歩けば、置き去りにしてしまいそうな気がしたからだ。
学校の敷地を出ても俺たちは無言だった。
思えば普段は、俺が黙っている所に純花が何かしら話題を提供してきて、それに対して俺が相槌を打つだけ。
興味がなければほとんど聞き流し、そうでなくても俺が発言するのは一言、二言だ。
だがそれがない今は、会話自体が生まれない。
歩いている時はまだましだが、信号待ちなどで立ち止まると、どうしても気まずくなる。
二度目の信号待ちに差しかかった時、ついに耐えきれなくなり俺は自分から口を開いた。
「そういえばさ……」
まで言ったはいいが、何を話せばいいかわからない。
必死に頭を巡らせて、話題を探った。
「テスト……今度模試、あるんだっけ」
朝のホームルームで担任がそんなことを言っていたのを思い出した。
俺にとっては本当にどうでもいいことだったが、そんなことしか出てこなかった。
「うん、そうだね……」
最低限の相槌が返ってきた。
いつもは勉強や成績の話なんかは、ほとんどしない。
最初こそ純花は、毎度のテストや授業の話などよくしてきたが、毎回俺がどうでもよさそうにするから、次第にしなくなった。
俺に限らず、そもそもがきっちりした進学校でもないので、生徒の大半が学業に対する意識は低い。
そんな中でも純花は、学習室に残って一人で勉強をしたりすることがよくある。
「ともくんは、あたしと違って、頭いいから……」
「何言ってんだよ、お前のほうが全然成績上だろ?」
「ほとんど勉強してないのに、そんなにひどい点取らないし……」
俺は普段の授業は適当に聞き流して、テスト前だけ赤点にはならないように勉強して、だいたいどの教科も平均点ぐらいを取る。
ほとんどが一夜漬けみたいなものだから、それでしっかり地力がついているかというと、首を傾げざるを得ない。
純花は実際の出来はかなりいい方だったと思ったが、具体的にどのぐらいかまでは知らなかった。
それは俺が、興味が無いから、という理由でだ。
「ウチのクラスも、ちゃんとやってる奴、ほとんどいないだろ? だから……」
「あたし、部活も、バイトもしてないから」
純花は中学の時はテニスをやっていて、高校でも入ったらしいが、俺と付き合い始める頃にはもう辞めていた。
理由は知らない。その反動で勉強をするようになったのかもしれないが、それもただの憶測でしかない。
そういったことに関して、俺から純花に質問をするようなことはなかった。
実のところ、俺はほとんど純花のことを知らないのかもしれない。
純花に俺のことをわかってない、なんて言いながら、わかっていないのは俺のほうだって同じなのだ。
そのくせ表面上は上から目線で彼女のことを勝手に決めつけていたのは、滑稽としか言いようがない。
急にそんな考えが頭をよぎった。
そのうちにいつしか会話は途切れ、再び沈黙に戻ってしまう。
結局そのまま、駅までやってきた。
改札を抜けた所で、どちらからともなく足を止めて、立ち止まった。
俺と純花の乗る電車は違う。乗り場も違うのでここで別れなければならない。
「じゃあ……ね」
伏せたまつ毛をかすかに持ち上げて、つぶやくように純花は言った。
俺は純花が一歩踏み出そうとするのを制するように、口を開く。
「あのさ……」
別れの言葉を返す代わりに、正面から純花の顔を見下ろした。
言おうと思っていたことがあったからだ。
「俺、もう一度、お前と……」
言いかけて、声が詰まった。
純花に目を逸らされたのと、ほぼ同時だった。
「ともくんのほうこそ、無理、しなくていいから……」
「え?」
「やっぱりあたしたち……別れたほうが、いいね」
その突然の一言に、ぎくりと体が固まる。
俺の足元を見つめながら、純花がさらに続けた。
「あたしに気を遣ってるともくんとか……やっぱり、変だよ……。あの日、ともくんに別れようって言われた時……あたしが、今までごめんなさいって、言って……別れればよかったんだよね」
たどたどしくはあったが、純花の言葉にはどこか達観した、芯のようなものが感じられた。
これが自分が出した結論なのだと、はっきりそう主張している。
それに対して俺は何も言い返すことができず、ただ立ちつくしていた。
妙に静かになった気がした。
駅構内の喧騒が、音もなく俺達の間を通り過ぎていく。
「……時間。ともくん、遅れちゃう」
言われるがままに、天井からぶら下がった時刻時計を見上げた。
まもなく次の電車が到着するようだ。
急ぐことにはなるが、これを乗り過ごしてもこの次に乗れれば間に合わないことはない。
「いや、まだ時間は……」
「さよなら。バイト、遅れないようにね」
純花は最後に小さく微笑んでみせると、脇をすり抜けるようにして、俺の目の前から去っていった。
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