第44話


 翌日純花は登校してこなかった。

 俺は朝の段階で純花にメッセージを送ったが、既読にすらならないまま、一日が終わった。

 一応春花のほうからもメッセージを送らせたが、結果は同じだった。


 帰り際に担任に確認すると、本人から体調不良だ、という連絡があったという。

 昨日保健室に行った件が担任にも伝わっており、特に疑っている様子はなかった。


 実際それがただの体調不良で、休めば治るのなら無理する必要はない。

 そう思うようにして過ごしたが、バイトが終わって帰宅した後、既読はついたが返信のない携帯を見て考えを改めた。 

 時刻は夜十一時前。俺は自室から純花に電話をかけた。


 ――……。

 

 呼び出し音だけがむなしく響く。

 二分ほど鳴らしたあたりで、あきらめて切ろうかと思った瞬間、コール音が途切れた。


「……あれ?」

 

 小さく声が聞こえた。

 少し遠いような気もするが、紛れもなく純花の声だ。

 

「純花?」

「……ともくん?」


 寝ぼけたような声。

 俺だということに気づいていなかったらしい。


「どうした?」

「着信……アラームだと思った」

「ああ……なるほど。……今日は、どうしたんだ?」


 俺の問いかけに対して、無言の間ができる。

 しばらく向こう側のわずかな息遣いに耳を澄ましていると、


「昨日また、眠れなくて……」

「今、寝てた?」

「うん、うとうとし始めて……」

「ごめん、俺が起こしちゃったか」


 すぐに失敗したと思った。気がかりだったとは言え、しつこく鳴らしすぎた。

 それきり、なんとも言わずに純花は再び黙ってしまう。

 電話だと面と向かって話すよりも、ずっと間が長く、重く感じられる。

 いつになっても純花の反応が返ってこず、言葉が出ずにいると、


「……切るね。悪いから」

「いや、俺は別に……」

「もうこれ以上……迷惑、かけられないから」


 今度は沈黙にはならなかった。

 電話は一方的に、あっさりと切られた。

 





 翌日。

 昨晩寝る前に電話の謝罪と、今朝も「調子はどう?」と純花にメッセージを送ったが、全く既読がつかなくなった。

 いつもよりやや早めに登校した俺は、教室に入るなり純花の席を確認するが、やはり純花の姿はなかった。

 気を取り直して自分の席へ目を向けると、飛び込んできた光景に体が固まった。

 

 俺の席では、工藤がまた一人男子を連れて春花にちょっかいを出している。

 それだけならもはや気に留めることもないのだが、問題はそこにさらにもう一人の男子――秀治が加わっていることだった。

 俺が席に近づくと、まるで待っていたとばかりに秀治がいつもの微笑を向けてきた。


「や、おはよう」


 おう、とだけ返して席にカバンを置く。

 一体どういう風の吹き回しだ、とすぐにでも問い詰めたかったがひとまず様子を見つつ、


「珍しいじゃん、どうしたんだ?」


 皮肉たっぷりに言ってやる。

 朝はたいてい、秀治は他のクラスに出張っていたり、担任に呼ばれてなにやら雑事をしていたり、教室内で色んなグループの様子を見るように顔を出したりして、おとなしく自分の席にいることはない。

 たまに俺のところに来たりもするが、それはただの順番か、もしくは本当に他にやることがない時だろうと思っている。

 

「いやあ別に……ほら、なんか楽しそうだと思って」


 秀治は俺の言葉を別段意に介する素振りは見せずに、春花の机の方へ目配せをしてみせた。

 机の上には工藤が持ってきたらしい漫画本が数冊積まれており、ああでもないこうでもないと春花になにやらダメ出しを食らっている。


「いや~おみそれしました、北野さん本当にお詳しい。できれば弟子に……」

「ムリです、ぶっちゃけセンスないですね」


 偉そうにふんぞり返る春花と、その機嫌を取り持とうとしている工藤。

 よくわからない上下関係になりつつあるが、なんだかんだ言っても工藤は目立つし発言力もあるので、春花に対する周りのクラスメイトからの見え方にも影響を及ぼすに違いない。

 

「あはは、北野さんって、そういうの詳しいんだ?」

「え? ええ、まあ……」

「へえ~」


 そこにさらに秀治も、となるといよいよ話が変わってくる。

 というかあの秀治の方から春花に話しかけていることに、未だ驚きを隠せない。

 そんな俺の視線に気づいたのか、秀治は再びこちらの向き直って小さく手招きをしてみせた。


「朋樹、ちょっと、いいかな?」





 秀治の後についてやってきたのは、別棟に続く渡り廊下。

 中ほどまで来ると、他に人気がないのを確認した秀治は、振り返って軽く壁に背をもたせかける。

 一度眼鏡を指で持ち上げると、腕組みをしながらこちらに微笑をあててくる。


「あの子さ……北野さん。どうしちゃったの急に?」


 きっとその話だろうと思っていたが……予感は的中した。

 

「それはこっちの台詞だよ。お前の方こそ、どういうつもりで……」

「いやぁ、ああいうのサブカル系っていうの? けっこう需要あると思うんだけど」

 

 秀治の発言はワンクッション飛んでいる。

 わざとそうやっているのか、無意識に人より考えが一手先を行くだけなのか。

 秀治は小さく謝るような身振りをして、


「ああ、ごめんごめん、前に僕、朋樹におかしなこと言ったっけ、あれは撤回するよ。それにしても朋樹すごいじゃん、見抜いてたなんて」

「見抜くもなにもねえよ、あいつは元からあんなんで、中身が急に変わったわけじゃない」

「なんか勘違いしてない? 中身なんて二の次だよ。問題は見た目でしょ?」


 見た目が伴ってなければ、中身は関係がないということらしい。

 それはおおよそ正しいとは思う。ただオタクというだけなら、他にいくらだっている。

 だが俺は、ここで同意の言葉を吐く気にはなれなかった。

 

「朋樹そこそこ仲いいんでしょ? そこでさ……この前の話なんだけど、水上さんとのこと。あれ、いっそ北野さんも一緒にどう? ほら、みんな仲良くなれるだろうし」

「……いや、あいつはそういうガラじゃないと思う」


 決断するや秀治の行動は早い。

 この前まで、距離をおけと言っていた人間の発言とは思えなかった。

 俺は単純に春花をそういう面倒事に巻き込みたくなかった。どの道本人に伺いを立てた所で、きっと断るだろう。

 

「そういうガラじゃないって、そんなの朋樹の勝手な決めつけでしょ? まあ、いいけど……この前のメール見てくれた? 今週の土曜、空けといてくれてるよね?」

「いや、その話なんだけど……俺、やっぱり……」

「何? 純花ちゃんのこと、まだやってるの? 一昨日も何かゴタゴタやってたよね? もういい加減にしなよ。……ああ、はっきり言いにくいなら僕から言っておくよ、もう本気でその気はないって……」

「やめろ!」


 俺は自分でも気づかないうちに叫んでいた。

 秀治のまくしたてるような流暢な弁舌は、全力で止めなければ本当にその通りになってしまいそうな力を帯びていた。

 さすがの秀治も突然大声で遮られて驚いていたようだが、すぐさま表情を曇らせて、眼鏡の奥の瞳を訝しげに光らせた。

 

「……どうしたの? 急にそんな大声だして」

「……悪い。いや今、あいつちょっと変だからさ……迂闊なことを言うと……」

「ヘンってどういうこと? 昨日休んだみたいだけど、今日も?」

「今日はまだわからない。けど、なんていうか、安定しないっていうか……」

「え、何それ? なんかヤバくない? ならなおさら早く別れたほうがいいって」


 軽口を叩くような調子で、秀治は口元を歪ませる。

 俺は反射的に胸ぐらをつかみそうになるのをこらえて、その唇を鋭く睨んでいた。


「怖いなぁ、そんな目で睨まなくたっていいじゃん」


 秀治は両手のひらを見せて降参するようなポーズを取ってみせるが、目元は依然として涼しげだった。

 そこには、いざとなればどうにでもできるという余裕が表れていた。

 きっとこいつは自分に敵意を向けられるのに慣れている。それを潰す方法にも。

 

「あのね、誤解しないでほしいんだけど、僕は別に嫌がらせしたいわけじゃないんだよ? 友人として、朋樹のためを思って言ってるわけ。ほら、朱に交じわれば赤くなる……ってそれはまあ月並みな表現だけど、的を射てると思うんだよ。悪い波動っていうの? そういうのって伝播するから。僕も経験あるし、そういうの気をつけるようにしてるんだけどさ」


 俺は相槌も打たずに、今にも「切り捨てろ」とでも言い出しそうな秀治の口元を注視する。

 それに気づいたかどうか、秀治は一度小さく首を振ると、おもむろにポケットから携帯を取り出して操作しながら、

 

「なんにせよ一回、冷静になって色々と考え直したほうがいいんじゃない? ……じゃあ僕、ちょっとこのまま職員室行くから」


 感情的になっている人間とする話などない、と言わんばかりに、足早に去っていた。





 結局、純花は今日も学校を休んだ。

 休み時間またぎごとに何度かメッセージを送ったが、ついぞ既読にすらならないまま、学校が終わった。

 放課後、校舎を出て帰り道の途中で電話をかけると、聞いたことのないメッセージが流れた。やはり着信も拒否されている。


 焦りとも苛立ちともつかない感情を覚えながら、意味もなく通話アプリを起動しこれまでのやり取りを上へとスクロールしていると、普段は使わないメールのほうに一通受信があることに気づいた。

 確認するとメールは「ありがとうございました。」という件名で、差出人は佐々木純花。

 すぐに開いて、本文に目を走らせる。





 ともくんと付き合えてよかったです。ありがとうございました。

 でも本当は、最初からわかってたんです。あたしなんかがともくんと釣り合うわけないって。

 どうやって……どう逆さまになったって、結局あたしはダメなんだって……思い知りました。

 

 しつこくしてごめんなさい。イライラさせてごめんなさい。

 もう二度とメールしません。電話しません。話しかけたりもしません。

 ともくんには、あたしなんかよりずっと、ずっとずっといい人が見つかると思います。

 

 あの時ともくんが付き合おうか、って言ってくれて、すごくうれしかったです。

 短い間だったけど、今までありがとうございました。

 

 さよなら。

 



 

 味気なく表示された文字列を、二度、三度……上から下に、行ったり来たり。

 目で追いながら、俺はひたすらその場に立ちつくしていた。

 ただただ頭が空っぽになって、ごちゃまぜになり、思考がまとまらなかった。

  

 ――いつ別れるわけ? 早く別れなよ。もしかしてまだ迷ってる?

  

 代わりに秀治の言葉が、頭の中で反芻する。

 整理のつかないままの頭が混乱しそうになったその時、別の声がささやきかけてきた。

 

 ――迷った時こそ、うじうじ考えてもしょうがない。大丈夫、朋樹は、きっとやれるよ。


 あの人は具体的なアドバイスをくれるわけでも、自ら助けてくれたわけでもない。

 ただそう言って、俺のことを励ました。

 それでも俺はその言葉に、確かに勇気づけられていた。

 それはなんの条件も裏打ちもない、根拠のない自信。

 だけど結果的にはそれが……。


 ――さっさと切り捨てなよ。朋樹なら他にいくらでもいるでしょ? 朋樹ならさ……。


 ――朋樹って名前には、ちゃんと意味があるんだよ。それはね……。


 交互に、自分の名を呼ぶ声。

 二人は同じ名前に向かって、まったく正反対のことを言った。

 

「ふざけんなよ……」

 

 いちいち文字を打ち込むようなまどろっこしいマネをする気になれなかった。どうせ何を送っても拒否される。

 携帯をしまうと、ほとんど走るぐらいのペースで駅に向かって進み出す。 

 先を行く人の間を縫うように追い越し駅へ到着すると、俺はいつもとは別の方向の電車に乗り込んだ。

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