第45話


 電車を降りたのは、四駅分ほど乗った先の駅。

 特にこれと言って何もない所で、普段ならわざわざここで下車するようなことはない。

 唯一用があるとすれば、それは純花の家に行くときだ。

 

 駅を出て二十分ほど歩き大通りを折れると、やがて住宅街に入った。入り組んだ路地をうろ覚えに進む。

 二人の時はそれほどでもないが、一人で来ると結構な道のりに感じる。

 

 何度目かの角を曲がった所で、自分の記憶を疑い始めていると、見覚えのある建物が視界に入った。

 こぢんまりとした庭と、まだ色の白い外壁に灰色の屋根。

 玄関横の横のポストに目を凝らすと、少し洒落た字体で「佐々木」とある。


 純花の家には、付き合いたての頃、一、二回来たことがある。

 だがそれも家の前までで、中に入ったことはなく純花の家族の誰とも、直接面識はない。


 だからといって特に気負うこともなく、俺は敷地の中に入っていく。

 玄関前に立ってインターホンのボタンを押すが、しばらく待っても誰も出なかった。

 もう一度鳴らしてみるも、やはり家の中は静まり返っている。

 駐車スペースに車がないところを見ると、誰もいないのかも知れない。

 それかもしくは……。


 少し玄関から下がって、カーテンで遮られた二階の窓を見上げる。

 家の間取りは不明だが、純花の部屋は確か二階だと言っていた。

 なんとか中の様子を探れないかと、大胆にも庭の方へ回り込もうとすると、背中に人の視線と気配を感じた。

 これは不審者扱いされるかと思っておそるおそる振り返ると、道路側に立っていた人影は、目を向けられると同時に逃げだした。

 俺はすぐさま、走ってその後を追う。 


 路地をパタパタと駆けるのは、コンビニ袋を手にした、不審なジャージ女。

 マスクをした顔を隠すように伏せて、少し変な走り方をしている。

 こちらは鞄をかつぐようにして一気に足を速めると、すぐに追いついた。

 あっという間に行く手に回り込まれて慌てた相手は、足を踏み外したのかガクンとバランスを崩す。

 転びそうになった二の腕をつかんで引っ張り、体を受け止めてやると、今度は駄々をこねるようにして俺の手を振りほどこうとした。


「離……してっ!」

 

 マスクの下からくぐもった声がした。

 俺は掴んだ腕を離すと、地面に落ちたコンビニの袋を拾ってやる。

 

「学校休んでマラソンか?」

「なんで……」


 薄く隈のできた目で、純花は上目遣いに俺を睨んできた。

 その鼻先に袋を突きつけると、純花はひったくるようにして受け取った。

  

「それ飯? 足りんのそれで」


 純花はそれには答えず、ばつが悪そうに引っ込めたコンビニ袋を懐に隠すようにする。

 中に入っていたのは、ペットボトルとおにぎり、菓子パンぐらいのものだった。


「なにをそんな不機嫌そうにしてんだよ、せっかく来たのに」

「なっ、何しに来たの!? なんで……」

「まあまあ落ち着けって……」

  

 路上のど真ん中で言い合いをしていると、早くも通りすがりの人に不審そうな目で見られてしまった。

 純花もやたら興奮気味なので、なだめる意味も込めて近場にあった公園へ向かう。


 また逃げられては面倒なので、ぴったり横をついていく。

 公園に到着すると、ちょうどいい具合にベンチを見つけたのでそこへ座るよう促すと、純花はおとなしくベンチに腰掛けた。いくらか落ち着いたらしい。

 俺が隣に腰を下ろすと、純花はぽつりと聞き取れるかどうかの声で言葉を発する。


「あたしホント、どうしようもないよね。自分勝手で、バカで……」


 純花はうなだれたまま、手の指をぎゅっと握りしめた。

 それきり途切れてしまったが、俺は急かすこともせず、純花が自分から話すままに任せる。


「一昨日……『色々あったけど、これまで通り仲良くしようね?』って、由紀が電話で言ってきて……。でも裏であたしに内緒で由紀がともくんと連絡取ってたことについては、何もなくて……。それが許せなくて、信じられなくなっちゃって……それ言ったら、怒っちゃって……」

「うん、それで?」

「……前に、言ったでしょ? 由紀を省いたグループがあるって。少し、相談してみたんだけど……でもみんな、あんまり事を荒立てたくないって」


 表向きは仲良くして、裏で陰口を言う程度。

 それだけで、実際橋本をどうこうしようという気はないのだろう。

 純花が休んでいる間も、橋本のグループには特に変化はなさそうだった。


「その時、由紀が……あたしがともくんのこと、体で繋ぎ止めてるとかって……言ってきて……。でもホント、その通りだなって、思って……」

「もういいよ、あいつとは付き合わなくていい」


 これ以上聞くに耐えなくなった俺は、そこですっぱりと話を遮った。

 だが今度はそれに抵抗するかのように、純花の語気が低く、強くなった。


「付き合わなくていいって……ともくんに、そんな風に、言われる筋合いない」

「どうして?」

「だってもう……ともくんは彼氏じゃ……あたしの彼氏じゃないから! だから関係ないの!! 言ったでしょ、別れたほうがいいって……! メールも、見たんでしょ!? あたしとともくんはもう別れたの! だから連絡してこないで! 話しかけて来ないで!」


 溜め込んでいたものを一気に吐き出すように、純花は声を絞り出す。

 感情がむき出しになるのをこらえようと歯を食い縛るが、一度溢れ出した勢いは止まらない。


「最初ともくんの方から言い出して……その後もずっと、別れる別れるって……そのくせなんで……!」


 爆発した怒りは、次第に恨みをぶつけるような口調に変わっていく。

 その強い負のエネルギーに真っ向から晒された俺は……しかし俺の意思は、揺らぐことはなかった。

 何を言うか、もうとっくに決まっていたから。

 

「ああ、ごめん。それ、やっぱ気が変わったわ」

「き、気が変わったって、そんな簡単に……」

「なんていうか……今はお前のことが気になってしょうがないんだわ」

「なんで……ずるいよそんなの、勝手にそんな風に……!」

「じゃわかったよ、そんなに別れたいんだったら別れよう。はい、別れました。ただ今をもって俺と純花は別れました。これでいい?」


 考える間を与えることなく、畳み掛ける。

 純花は一瞬何か言いかけて息をつまらせたが、俺の勢いに飲まれまいとしたのか、そのままうなづいた。


「……ごめんなさい。あたし、最後までともくんのこと、怒らせてばっかりだったね」


 純花は謝罪をするように一度首をうなだれると、ゆっくりと立ち上がった。

 そしてそのままこちらを見ることなく、一歩足を踏み出す。

 

「今度こそ……さよなら」

「待った」


 すかさず立ち上がった俺は、背後から純花の肩をつかんで、無理やりこちらを振り向かせる。

 そして驚きに表情を固まらせる顔に向かって、言った。


「純花、付き合おう。俺と、付き合ってくれ」

「え……?」


 ぽかんと口を開けたまま、純花はただ目元だけを瞬かせた。


「何……言ってるの?」

「何? わかんない? 日本語。お前のことが好きだから、付き合いたいって言ってんの」

「そ、そうじゃなくって……わ、別れたんだよ? 今さっき」

「うん、別れたから、もう一回告白してる」

 

 まっすぐに見つめた純花の瞳は、戸惑いに揺れていた。

 やがてそらした視線の先が、地面に落ちる。

 

「なんでそんな……あたし……いいとこなんてなんにもないよ。みんなにも嫌われてるし……。自分勝手で、ウソつきで……ともくんがあたしを好きになる所なんて、あるのかな」

「ここがこうだから、っていう理由、いる? それって、そうじゃなくなったら嫌いになるってことじゃん?」

「えっと、それは……」


 間髪入れずにまくし立てていく。

 あれこれ考えていたわけじゃなく、俺は思ったことをそのまま口にしているだけだった。


「でも……やっぱりあたしは、ともくんと付き合う資格なんてないよ。由紀が……由紀の言ってたとおりで……」


 純花の煮え切らない態度に待ちきれなくなった俺は、携帯を取り出し、手早く電話をかけた。

 相手は橋本だ。五コールもしないうちに出た。 

 

『もしもーし』

「あのさ、ちょっと話あんだけど」

『あー、はいはい……。こっちもそのうち、話そうと思ってたんだけど……ちょっとあん時はね、あたしもちょっと言い過ぎたかなって……』

「ああ、いいよ全然、気にすんなよ俺のことはさ。でさ……」

『うんうん』

「今度純花に何か言いやがったらぶっ殺すからな」


 そう言って俺は電話を切った。

 言いたいことはそれだけだったから、これ以上他に話をする気はない。

 俺が何事もなかったかのように携帯をしまうと、隣で聞いていた純花が急に慌てだした。

 

「ち、ちょっと、と、ともくん! そんな風に言ったら……」

「別によくね? あんなヤツ相手にしなくていいって言ってんじゃん」

「で、でも……」

「その代わり春花とつるめばいいだろ」


 今思いついた割には我ながらいい案だと思った。

 だがそんな俺の考えとは裏腹に、純花の顔は曇る。


「……ハルちゃんにも、ひどいことしちゃった。無理やり、連れ回してあれこれして……。ハルちゃんだって、本当はあたしのこと、嫌がってるだろうなって……」

「春花はきっとそんな風には思ってねえよ。少なくとも俺は、良くなったと思ってる」

「ともくんがそう思ってたって……そんなのただの勝手でしょ? ハルちゃんの考えてること、わかるの?」

「いやぁ俺、エスパーじゃねえからわかんねえけど……じゃあ今、電話して聞いてみるわ」

「えっ……」


 純花が言葉を失うが、無視して携帯を操作する。

 そういえば電話をかけるのは初めてだったか。

 橋本と違ってこっちはなかなか出なかったが、しつこく呼び出し音を鳴らしてやる。


『……も、もしもし?』

「ああ春花? いきなりなんだけど、お前純花のこと好きだよな?」

『えっ? えっ、な、なんですかそれ……。いやあの私、ノーマルなんで……そっちのケは……』

「いやそういうのいらねえから。あと、前のキモイ感じから今みたいになれてよかったよな?」

『え、えぇっと、ま、まぁ……。まだよくわかりま……』

「よかったよな?」

『は、はあ……』


 春花は最後までもにょもにょしていたが勢いで押し切った。

 電話を切ってすぐ「これだからDQNは……」と春花が一人で毒づいているのが目に浮かぶようだ。

 

「ほらな、よかったって」

「ともくん……すごく頭悪い人みたいだよそれ……」

「いいんだよ、どうせ俺はクソDQN野郎だから。それで、返事は?」

「え?」


 再び身を固まらせた純花が、またも俯いてしまう。

 だがもはや逃げ場がないと悟ったのか、今度は泣き言は出なかった。

 

「……嫌って言ったら、あたしもぶっ飛ばされちゃうのかな」

「うーん、かもな」

「なにそれ……」


 小さく吹き出した純花の頬を、ぽろりと大粒の涙が伝った。

 その口元が歪み、嗚咽を漏らし始めるまで、時間はかからなかった。


「うぅ、ぇえっ、あた、し、ぃ……ごめん、な、さぁい……っ……」

「なんだよ、何言ってるかわかんねえよ」


 純花はぼろぼろと溢れる涙を、手で必死に拭い止めようとする。

 俺は大丈夫、とその頭を撫でてやると、身を震わせて泣きじゃくる彼女の体を、優しく抱きしめた。

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