第46話
その日から、俺と純花の関係はまた少し変わった。
いわば、ヨリを戻した、という形になったにはなったのだが……。
「……何? なんで今日は黙ってんの?」
「だって、昨日の夜のラインの返事、返してくれなかったから……怒ってるのかと思って」
「いや何も怒ることないでしょ。だってお前、この前無理に返さなくてもいいって言ったじゃん」
「言ったけどそれは言葉のアヤっていうか、気を遣ってみただけで……」
「なんだよそれ。めんどくせえな」
「めんどくさい……? やっぱりそうなんだ、あたしってめんどくさいんだ。だからともくんは……」
「あー、はいはい。ごめん、ごめんな」
学校からの帰り道。俺は隣を歩く純花の頭を軽く撫でてやる。
すると、首をうなだれていた純花の顔がとたんに緩んだ。
「えへへ」
「ちょろいなお前」
あれから丸二日もしないうちに、お互い早くもボロが出始めていた。
細かいところに関しては、単純に俺がくそめんどくさがりなだけだ。
そういういい加減なやつだから、前みたいにもう俺に遠慮とかはしなくていいって、はっきり言ってくれていいと伝えてある。
以前とは違い、純花は俺に対する反対意見だとか、不満を徐々に口にするようになった。
まあそれにしっかり対処できているかと言われるとこんな感じで怪しいが……純花はきっと俺に、無理に変わる必要はないと言ってくれているのだろう。たぶん。
表面上はどうあれ、もっと深い所での純花への気持ちは、はっきりした変化を実感している。
「はぁ……なんていうか、バカップル度が格段に上がりましたね」
幸せ全開の純花の隣でため息を吐くのは、すっかり白けた顔の春花だ。
スマホに視線を落としながら我関せずを貫いていたが、ついに我慢できなくなったらしい。
「もうハルちゃんたらそんなひねちゃって。ハルちゃんも彼氏作ればいいのに~」
「彼氏? いますよ」
「え?」
春花のあっけらかんとした態度に、俺も驚いてつい横から聞き返してしまう。
いるわけないだろうと決めつけて、これまではっきり確認したことはなかったがまさか……。
「……マジで?」
「画面の中のイケメンに言い寄られてます。フヒヒ」
……。
まあ、本人がいいならなんでもいいわ。
純花は俺の勧めた通りに春花と一緒にいることが多くなった。
だから今日も、どちらかと言えば純花と春花が一緒に下校しているところに俺が混じっているような感じだ。
二人はこの後、駅周辺で少しブラブラするらしいが、俺はバイトなのですぐ別れる。
それと純花は本格的に橋本と距離を置き始めた。
俺は顔を見るだけで腹が立つので、あいつとは一切口を利いていない。
もし何か言ってきたらすぐ俺に言え、と純花には釘を差してあるが、現状特に問題はないようだ。
その一方で春花に対する風当たりも強くなるかと思ったが、むしろ逆だった。
背後で、おそらく秀治の力が働いている。次のターゲットは春花なのだろう。
きっと秀治は春花を利用するために、接近してうまく囲い込もうとしている。
「うーわっ、三十連限定なしとか無課金アカは絶対絞られてますわこれ」
だが本人がこんな調子なので、なかなか難航しているようだ。
恋愛沙汰でコイツを釣るのは、不可能なのではないかとすら思う。
それでも懸念事項がなくなったわけではない。
俺は純花と付き合うことに関して、まだはっきりと秀治に対して意思表示をしていなかった。
それは別に考えがあってのことじゃない。
やっぱりヨリを戻したと言ったところで、なんやかんや理由をつけて反対されるであろうことが容易に想像できる。
要するに、もうあいつとも極力関わりたくない。
まあ俺がそう思っていても、それを簡単に許してくれるような相手ではないのだが……。
駅で純花たちと別れて、ホームで電車を待っていると携帯に着信があった。
秀治だ。
名前を見た瞬間、思わず反射的に身構えそうになったが、すぐにもうそれはやめようと思い返した。
迷うことなく画面をタップして電話に出る。
『あ、朋樹? 明日なんだけど、大丈夫だよね? メール見たでしょ? 僕は行かないけど、他のクラスの……』
「明日~? 明日は用事あるから行けないわ」
『……は? 土曜空けといてって、前から言っといたでしょ?』
「いや俺、最初から行くとは一言も言ってないけど? 言ったっけ?」
わざとあっけらかんとした口調で言ってやると、少し沈黙があった。
今頃眼鏡をいじいじしているだろう秀治を想像して、なんとなく頬がにやける。
きっと内心かなりイラついているに違いないが、秀治はそれを押し殺すような平坦な声で聞いてきた。
『用事ってなに、いつ終わるの?』
「明日は純花と出かけるから、いつ終わるとかは決まってないな」
ここでもあえて余計な情報を付け足す。
これだけ言えば、秀治のことだからすぐに悟るだろう。
『……それ、本気?』
「ああ」
『ふぅん。わかった』
秀治は意外にもあっさりと電話を切った。察しがいい分、こういう時話が早くてこっちも助かる。
ただ、これでもう後戻りはできない。
その翌朝。
パチっと目を覚ました瞬間、俺はああやらかした、と思った。
起きた時に今日はよく眠れたかな、なんて感じた時は特に危険だ。
今日は一応、純花とデートというかなんというか、一緒に出かける約束をした。
集合場所はいつもの学校最寄り駅の改札前。
集合時間は十時。
今現在十時七分。
つまりそういうことだ。
昨日は家に帰るのが遅くて、その流れで就寝も遅れた。
バイトが終わった後も、木下に捕まって話をしていたせいだ。
まあここで何のせいだとか言っていても仕方がない。
直接の原因は携帯のアラームのかけ忘れなわけだ。
俺は内心ビクビクしながら、机の上で沈黙を守ったままの携帯を手に取る。
だがどういうわけか、携帯には何の連絡も来ていなかった。
それはもう怒涛のごとく純花から電話なりメッセージなりメールなりが来ているかと思っていただけに。
何かしか送ってくれたら起きられたかもしれないのに、と思いながら、とりあえず謝罪をすべく純花に電話をかける。
……。
なかなか出ない。
着替えを始めながらずっと鳴らし続けていると、やっとコール音が途切れて、受話器越しに駅の喧騒が聞こえてきた。
『……もしもし』
「ごめん純花、俺……」
そこまで言った所でいきなりブツっと通話が途切れた。
は? と画面を見ると通話終了になっている。
まさか切られた? いやそんなわけないとすぐにもう一度かけ直すと、どういうわけか「電源が入っていないか電波の届かない……」とメッセージが流れた。
これは少しばかり……いやかなり嫌な予感がする。
純花の声が、妙に沈んでいたのが気にかかるが……。
俺は電話で連絡を取るのをあきらめて、とにかく急いで集合場所に向かうことにした。
着替えを終えるなり飯も食わずに家を飛び出す。
外は雨だったが、まだぽつぽつと小ぶりだったので傘もささずにダッシュで最寄り駅へ。
発車寸前の電車になんとか滑り込んで、目的の駅まで向かう。
電車を降りたのは、十時四十五分を回った所。我ながら早かった。
階段をかけあがり、改札を抜けたところの広場を見渡す。
待ち合わせらしい人影は、他にも相当数いる。
俺はその中を縫うように素早く視線を走らせ、見覚えのある姿を探す。
すると広場の片隅で、ぼうっと遠くを見るようにして、無表情のまま人形のように立ちつくす純花を発見した。
「純花!」
すぐさま走り寄って声をかける。
俺が前を塞ぐと、純花はワンテンポ遅れて目の焦点を合わせた。みるみるうちに瞳孔が開いていく。
「ともくん……?」
「え?」
そんなあり得ないものを見た、とでも言わんばかりの顔をされると、こちらとしても反応に困る。
とにもかくにも、まずは謝罪か。
「ごめん、俺が悪かった。完全に俺が寝坊したのが悪い。謝る、申し訳ない。だからそのよくわからんリアクションはやめてくれ」
「寝坊……?」
純花はどうにも要領を得ない顔だった。
ぽかんと口を開けたまま、呆けたようにこちらを見上げる。
「えっと、電話したんだけど……さっきの電話、切った?」
そしてなぜ電源も切ったのかも聞きたいのだが。
おそるおそる尋ねると、ややあって純花はぼそぼそ声で、
「だって、電話で……いきなり、ごめん、て言うから……。やっぱり、付き合うのやめるとか、言われると思って……」
「は?」
「こ、怖くなって切ったの!」
いやいやいや……。
そんなことはないし、だとしても切ったらダメだろ。
純花の謎の奇行に絶句しかけたが、一応聞いてみる。
「……それで、どういうつもりでそのまま待ち続けてたわけ?」
「そ、それは……わ、わかんない……」
自分でもよくわからないまま放心状態でずーっと突っ立っていたのか。
もし俺がこのまま来なかったらどうするつもりだったんだか。
「ビックリしたよ全く……。なんかあったのかと思って」
「あ……ご、ごめん、なさい……」
「あ、いや謝るのは俺のほうなんだけどさ……。その、大丈夫だから、な? ただの勘違いだよ、しっかりしろ」
「かん……違い……。…………う、うぇ、ぇえっ」
「わっ、バ、バカ! ここで泣くなよ!」
現在休日のいい時間のため、駅はかなり人通りが多い。
隅の方だからまだマシなものの、それでも背中にグサグサと周りの視線が突き刺さるのを感じる。
「これじゃ俺がここで別れ話してるみたいじゃねえかよ……」
「わ、別れる……?」
「いやなんでそこだけ拾うんだよ! とりあえず落ち着け、落ち着け」
それからなんやかんやで純花をなだめるのに十分近くかかった。
これ以上ここにはいづらいので、正直早く移動したい。
「それでなんだっけ、映画だっけ」
「何言ってるの、時間もう間に合わないよぉ……」
純花は恨めしげな顔でじっとこちらを見てくる。
全面的に俺が悪いので言い返すようなことはできないが、とても視線が重たい。
「雨も降っちゃったし……はぁ」
天気がいまいち見えなかったので、晴れたら遠出、雨だったら映画という話になっていたがどっちも詰んだ。
純花はわざとらしくため息を付いて、遠回しに責めモードに入ってきたので、これはあまりよろしくない。
「ま、まあ俺はなんでもいいよ。一緒にいられれば」
「なっ……。そ、そうやってずるいんだから……」
そう言いつつも、純花はこわばっていた頬を急に緩ませて、
「じゃあ罰としてともくんは今日一日あたしのいいなり!」
「えぇ、マジかよ……」
「うふふ、じゃあまずは手をつなぎましょう」
そう言って純花は無理やり俺の腕を取ると、手のひらを合わせるようにして強引に手を握り込んでくる。
「んー! もう一生離さなーい」
「あ、悪いちょっとトイレ」
「んもぅ! デリカシーのない! すぐそうやってぶちこわす!」
べしべしと肩を叩いてきては文句を垂れる純花の声を聞きながら、これは疲れる一日になりそうだと俺は早くも覚悟した。
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