第6話


 とことこと近寄ってきた純花は俺の前で立ち止まると、若干上目遣いに口元をキュッと持ち上げて、


「体育館に集合だって。一緒に行こ?」


 ……やっぱりだ。

 昨日あんな話をしたばかりだと言うのに、純花はいつもどおり。

 それはまるで、何事もなかったことにしようとしているかのような……。

 

「ああ……」


 つい生返事になってしまい、まっすぐ見つめてくる純花の視線から逃げるように目をそらす。

 するとそこには他人ですとばかりに、微妙に距離をとろうとしている北野。

 さすがに無視するわけにはいかないと思ったのか、純花は北野に向かって声をかける。


「あっ、転校生の。あたし、佐々木っていうの。よろしく」

「……あ、ど、どうも、よ、よろすく」


 北野は挙動不審な動きをしてうつむく。

 こういうひねくれたのは、純花のようにまっすぐ来るタイプは苦手だろう。


 だけどそんな形だけの挨拶をして、二人の会話は終わり。

 純花は北野なぞ眼中にないとばかりに、俺のほうに体を向き直った。

 じゃ行こうか? とアイコンタクトを送ってくる。


 純花はよろしくね、と口では言いながら「体育館わかる? 一緒に行こうか」なんて言ったりはしない。 

 でもまあそれもそうだ。コイツに親切にしたところで、何の得もない。

 

 ――人に親切にする時には、見返りを求めないほうが楽だと思うんだ。朋樹はどう思う?


 昔、俺にそんな事を言った人がいた。俺が唯一心から尊敬していた人。味方だと思っていた人。

 だけどそいつの言葉は、口先だけのでまかせだった。

   

 ――それって、なんか得があるの? そんなことして意味ある? 時間と労力の無駄じゃない?

 

 仲良くなりたての頃、秀治はことあるごとに俺にそう言ってきた。 

 最初は内心反発していたが、だいたい秀治の言うとおりになった。

 少なくともあいつは俺の味方をしてくれる。俺にその価値があるうちは。


 俺が純花と付き合うことになったのも、ほとんどが秀治の力だ。

 秀治がいなかったら、俺は純花と知り合いにすらなっていなかっただろう。

 それ以外にも秀治に言われるがまま流されて従って、その通りになったことは数知れない。

 それで表面上は何もかもうまくいっていた。だけどそれは結果的に……。

 


「……北野さんも一緒に」

「え?」

「連れてってやろう。場所、わからないかもしれないし」

「あ、でも……」

「なに? 俺なんか変なこと言ってる?」

「え、あっ、そ、そうだよね。ごめんね気づかなくて。もうバカだなーあたし」


 そう言って頭をかいてみせるが、最初純花は俺の提案に対し明らかに難色を示した。

 嫌がっているのがわかっていて、あえて押し切る。純花が若干ぎこちない笑みを向けてくるが、こちらはにこりともしない。

 うながすように俺たち二人が視線を向けると、北野は変な動きをして、あさっての方を向きながらぶつぶつ言い出した。

 

「いやあの、私ちょっとトイレに行きたくて……だ、大丈夫っす、場所わかりますんで……」


 逃げやがった。それかまた腹が緩んだか。

 それに対し純花は何も言わず、俺の顔色をうかがうようにしてきた。判断を任せるということなのだろう。

 

「あっそ。じゃ行くか」


 踵を返して歩き出す。これ以上突っ込んでどうこうする気はなかった。

 そもそも俺自身、なぜあんなことを言い出したのかよくわからなくなっていた。




 体育館へと向かう道のり。

 大またに先を行く俺の横を、純花がちょこちょこと早足で追いついてくる。

 

「もう、歩くの早いなぁ……。ねえ、ともくん? さっきなに話してたの?」

「別に……」

「別にって……、最初ともくんから話しかけてたよね?」


 純花の言う通り、教室で最初に話しかけたのは俺のほうからだ。

 しかし、そこから見ていたのだろうか。あのざわつく教室内で。

 純花の席は、廊下側から二列目の位置にあり、俺の席からはだいぶ離れている。


 だがまあ腐っても相手は転校生だし、遠目に様子をうかがっていてもおかしくはない。

 純花だけでなく「早坂のやつあんなのに話しかけてるよ」といった調子で周りから見られていたのかもしれない。


 俺だって朝の駅でのアレがなければ、北野に話しかけるような真似はしていないだろう。

 なにが飛び出してくるのか、後でネタにできるなぐらいの感覚だった。

 ここで隠す意味もないと思ったので、俺は正直にそのいきさつを話した。


「へえ~、そんなことあったんだ、面白いね~」


 などと言って、純花はくすくすと笑っている。

 ここでネタにされているのを北野に知られたら、「バラされてる……欝だ死のう」というようなことを言うかもしれない。

  

「でもさっきさ、ちょっとだけ話してるところ見てたんだけど、ともくん楽しそうだったよね」

「はあ? 俺が?」

「うん、なんか笑ってた」

「そりゃ笑うだろ、人間だし」

「違くて、ともくんっていつもふっ、みたいな笑いだけど、さっきはにこっ、てなってたよ」


 自分ではそんな意識はない。

 あるとすれば、北野は誰との繋がりもないし利害関係もない。だから何を話してもいいと思っただけだ。

 向こうも俺に媚を売るわけでもなく、わけもわからないことをまくしたててきただけ。


「なんかちょっとヤキモチ焼いちゃうかも、なんて。えへへ」


 純花は恥ずかしそうにはにかむが、こちらはただただ閉口するばかりだった。

 俺は不意に足を止めると、純花が不思議そうな顔で覗きこんでくるのを待って、改めて確認をする。

 

「……あのさ、わかってると思うけど」

「あっ、そうそう、今日学校お昼で終わるでしょ? 終わったらね、由希がみんなでカラオケ行こうって」

「ん? ああ、行けば?」

「ともくんもだよ?」

「はあ? 行かねえよ」

「えー、でも秀治くんとかも来るって」

「秀治が?」


 朝はそんなこと言ってなかったのに。

 カラオケなんて到底行く気分ではなかったが、秀治が行くとなると俄然断りづらくなってくる。


「しょうがねえな……」

「やった、楽しみ」


 純花が胸の前で手を合わせて小さく拍手をする。

 結局肝心の話はできないまま、俺たちは体育館に流れていく人ごみの中にまぎれた。

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