第5話


「申し訳ありませんでした」


 教室を出て人気のない通路までやってくると、北野はいきなり俺に向かって頭を下げた。

 どうやらシラをきるのをあきらめたらしい。


「私謝りました。これでいいですよね? なんで、もう話しかけるのやめてください」


 マスク越しの聞き取りづらい声には違いないが、北野ははっきりとそう主張してきた。

 そして、これでもう用は済んだとばかりに、さっさと戻ろうとする。

 その豹変振りにあっけにとられていた俺は、あわてて北野を呼び止めた。

 

「ちょっと待った。別に文句言いたいわけじゃねーんだけどさ、なんであんなにキレてたわけ?」

「それは……、調子に乗ってました、すいません」

「どういうこと? 調子に乗るとかそういう話?」

 

 転校初日に調子に乗って人にケンカを売るようなマネをする、というのは意味がわからない。

 因縁をつけるつもりはないが、それでは納得できない。

 北野は明らかになにか隠しているっぽく、終始挙動不審だ。これだけ重装備で顔面を固めていてもわかる。

 というか目が泳ぎまくっていた。

 

「悪いと思うなら正直に言うべきだと思うんだよ」

「な、なんのことかさっぱり……」

「今なら怒らないからさ」

「え、えぇー……や、やっぱ怒ってるの……」


 またぶつくさ言うモードに戻った。

 北野はうつむいてしばらく考え込んでいる風だったが、やがて観念したようにぼそりと口を開いた。


「……もれそうだったんです」

「は?」

「……その、大のほうが」

「……」


 俺は言葉を失った。よくよく考えれば、あの先には女子トイレしかない。

 それであの決死の形相……。本当にどいて欲しかっただけらしい。

 

「……なんか、悪かったよ、うん。で、間にあったのか?」

「間に合ってなかったら替えのパンツ代請求してるとこですが?」


 ですが? って言われてもな。

 フタを開けてみるとかなりくだらない理由だった。

 しかし、もらしそうな女にキレられてビビった俺って一体……。

 俺が言いようのないむなしさを感じている横で、北野はハァ、と肩を落として、独り言をぶつぶつとつぶやきだした。


「……もう最悪、欝だ死にたい……転校初日からクソもらしそうになってクソDQN男にからまれて」

「誰がクソDQNだクソ女」

「だ、誰がクソもらし女ですか? だからもらしてないって言ってるんですけど!」

「いやクソもらしなんて言ってないだろ。過剰に反応し過ぎだろ、逆に怪しいわ」


 なんて言い返しながらも、俺の頭は軽く混乱し始めた。

 こんなあけっぴろげにクソだなんだと連呼する女は初めてだったからだ。

 なんて、冷静に分析していること自体バカらしすぎる。


「もういいです、もう話しかけないでください。もう今から、今からスタート、はい、3、2、1、スタート」

「余計なお世話だと思うけどさ、そんなこと言ってると速攻で孤立するぞ? ただでさえ時期もあれだし」

「ほらスタートしてるんだからダメですよ、ほらもう、」

「思ったより普通にしゃべれるみたいだし、自分から色々話しかけていったほうがいいと思うんだが」


 ごちゃごちゃやかましいが無視して話をする。

 ていうかなんで俺、こんな真面目に助言なんてしてるんだろう……。

 だが俺の言葉になにか思うところがあったのか、北野は急にしおらしくなり声のトーンを落とす。

 

「……もういいんです、友達とかそういうのは。もう嫌なんです」

「なんだよ、なんかあったのか」

「前の学校の友達、転校しても連絡するね~、なんて言ってて、誰一人よこさないっていう。あってもほんと、連絡が来たのは一、二回ですよ。その時ちょっとゲームが忙しくて無視してたら、もう送ってきやがらないっていう」

「それはどう見ても自分で悪いだろ」

「それで後から、私のほうから元気~? って送ってみたら、半日ぐらい返信なかったんで速攻ブロックしてやりました」

「すっげえ短気だな、自分のこと棚に上げて」


 過去に何かあったのかと思ったが、勝手に被害者ぶっているだけで特になにもなさそうだ。

 なぜかそれで俺を言い負かしたとでも思ったのか、北野は再び勢いづいてきた。 

 

「大体ね、もうグループができているところに入れなんて、無理に決まってるでしょう? なので最初からあきらめてます、開幕捨てゲー余裕でした。運よくすみっこの席をゲットできたんで、一人引きこもることにします」

「まあ次の席替えで操作されて、一番前の席確定だけどな」

「えっなにそれこわい」


 秀治のすごいところは、そういう隣に来たら嫌なヤツっていうのをまとめて隅に追いやって、誰からも不満が出ないようにしたところだ。

 そいつらはもともと発言力がないので不満を言うこともない。

 逆に何か言ってきそうな奴らは、仲がよさそうなのを近くに置いたり、でも露骨にならないように微妙にずらしたり。

 本当によくやるよ。クラスの勢力図をしっかり把握してないとできない芸当だ。


「そういうわけだから、はやいとこ態度を改めたほうがいい。まだギリギリ間に合うかもしれない」

「無理です、もう私、完全に病んでるんで、他人に心を開くことはありません」


 なにが病んでるだ。そんな奴がこんなやかましくしゃべるかよ。

 俺があきれていると、ふと背後から聞きなれた声がした。


「あっ、いた! ともくーん」


 振り向くと手を振りながら、廊下を小走りでやってくる女子生徒が目に入った。

 純花だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る