第4話

「北野春花(きたのはるか)さんが二学期から転入になります」


 担任はチョークで女子生徒の名前を黒板に書いた後、クラスに向けてそう言った。

 俺のクラス担任は、村上という名前の三十路すぎの独身女教師だ。

 見た目は年相応で、化粧もやや濃い。

 担当教科は英語。過去に海外経験があるらしく、やたら外国かぶれていて、欧米の国では~という話をよくする。

 それは別に構わないのだが、この担任、とにかくひいきをする。気に入った生徒とそうでない生徒とでは、対応が雲泥の差だ。

 

 その最たるものがクラス委員である秀治だ。

 他に仲嶋という苗字がいるわけでもないのに、秀治クン、なんて呼んでいた時は寒気がした。

 あいつの意見なら、村上は何でも聞き入れるんじゃないかとすら思う。

 俺はひいきされている側だからとやかく文句を言う気はないが、教師としてはまったく信用ができない。


 やがて村上が、じゃあ北野さん、一言あいさつをしてください、と女子生徒をうながす。

 彼女はおそらく「北野春花です。よろしくお願いします」とだけ言ったのだと思う。

 転校生のあいさつは、一瞬で終わった。後ろの席にいる俺には、ほとんど聞き取れなかった。

 

「はい、じゃあ北野さん、席に移動してください」


 そう指示されて、彼女はうつむきがちにとぼとぼと歩きだした。

 紹介は本当にそれだけで終わり。

 みんな北野さんをフォローしてあげてね、なんていう言葉は村上の口から一切出なかった。

 あれは間違いなく村上の嫌いなタイプだ。にしてもひどい扱い。転校生だろうがホント容赦がない。


 しかしあの転校生にも原因はある。

 どこのおっさんのメガネだよっていう銀縁メガネに、ムダにでかいマスク。

 ろくに手入れもせず伸ばしているだけであろうもっさりした黒髪に、目元を隠すようにたらした長い前髪。

 生徒手帳にでも載ってそうな標準の制服の着方以上に標準な制服の着こなし。

 なかなかに完璧だ。狙ってやってもああはならないのでは。


 それに加えてあの態度。

 よろしくお願いしますと言いながらも、全然お願いする感じではない。

 風邪気味なのか知らないが、さすがにあいさつのときぐらいは、マスクは外しとけよと思う。

 第一印象はこれ以上なく最悪だ。

 

 俺はそれまで、ずっと他人事のような目でぼうっとその様子を眺めていた。

 頭の中で、他に考えていることがあったからだ。純花のことだとか、別れたその後のことだとか。

 

 が、転校生が俺の席のほうに向かって歩いて来るのを見て、そうもいられなくなった。

 ふと自分の隣に一つ増えていた空席へ視線を流す。なるほどそれでこの席か。

 本人の希望なのか、単純にケツにつけるしかなかったのかわからないが、よりによってなんでこんな隅っこに……。


 あらためて近づいてくる転校生の姿をちらりと見る。

 やはり負のオーラがすさまじく、顔も伏せがちで、表情もよく見えない。

  

 まあこの女がどうしようと、俺には関係ないことだ。

 無関心を装って一度そっぽを向いたが、その時ふとあることが頭をよぎった。

 それを確かめるように、彼女が俺の席のすぐ近くまで来たとき、盗み見るように横からその顔に視線を当てた。

 その瞬間、ぎくり、と俺は思わず小さく息を呑んだ。


 こいつ、やっぱり……。

 さっきの、駅で俺にぶつかってきたあの女じゃねえか。




 

「ちょっと工藤くんその頭! も~勘弁してよ~、先生が怒られるんだからね」

「安心してください先生、外国にはいっぱいいますよ。ほら、先生もいつも言ってるじゃないすか、欧米諸国では~って」

「それは今関係ないでしょう、まったく!」


 工藤が村上の口真似をして笑いが起こる。いつもの調子だ。

 それきり転校生には誰も触れることなく、まるで何事もなかったかのようにHRは終わった。

 

 教室に騒がしさが戻る。

 秀治と工藤は俺の元には戻らず、教壇のあたりで村上となにやら話している。

 そして俺の隣の転校生の席には、誰一人として寄り付かなかった。

 転校生の周りに人だかりができるなんてのは、マンガとか創作の中だけなのかもしれない。


 というか、こんなのに話しかけようとする奴なんて、まずいないだろう。

 ちらり、と横目で彼女の様子をうかがうと、うつむいて早速携帯をいじっていた。

 自身歩み寄るどころか、自分からこうして話しかけるなオーラを出している。

 

 それを見た俺は、逆に話しかけてやることにした。

 単純な好奇心だ。檻の中の動物にエサをやるような、そんな感覚。

 それに駅でのことも問いただしたかった。別に咎める気はないが、それも単なる好奇心だ。

 

「ねえ」


 無視された。

 聞こえなかったかと思い、もう一度声をかけてみる。

 

「ねえ」


 またも無視。

 向こうは自分が声をかけられているのではない、とでも思っているのか。

 俺は一度、黒板に書かれたままの名前を確認し、再び声をかけてみる。


「あー、北野さん?」


 すると、相手の体が軽くびくりと跳ねた。 

 若干のタイムラグがあって、北野はかすかに首をこちらにひねると、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの声で言った。 


「な、なんですか……」

「どうも、さっきは」

「……さっき?」

「いやほら、駅でさ、会ったじゃん」

「ち、ちょっと、なにを言ってるのか……」


 北野はかなりおどついている。あの時とは、まるで別人。とぼける気だろうか。

 だがこいつは間違いなくあの時、俺の顔を睨みつけてタンカをきりやがった。

 覚えてないとは言わせない。


「ぶつかったっしょ? トイレの前で」

「い、いえ、人違いだと……」

「いやいやいや。見覚えない?」


 自分の顔を指さして、ずいっと体を前のめりにする。

 その時、おそるおそる大きな目玉を動かした北野が「あ、やべっ」みたいな感じを出したのが、マスク越しにもわかった。

 

「ほら今、やべぇ、って顔しなかった?」

「な、な、なにがですか? べ、べちゅ、別にヤバくは」

「動揺しすぎでしょ。で、なんであの時さぁ」

「……ちょ、ちょっといいですか」

「え?」

「ちょっと外に」

 

 言うなり、北野はガタっと立ち上がって、早足に教室を出て行こうとする。

 俺は一瞬迷ったが、結局その後について教室を出た。

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