第32話


 翌朝。

 眠たい頭のまま、登校して教室の敷居をまたいだ所で、俺は思わず回れ右をしそうになった。

 視界に入ったのは、俺の席に座ってしきりと隣の席に身を乗り出している純花の姿だった。


 昨日アイツは、結局俺がバイトに行くギリギリまで居座りやがった。

 絶対やめろと釘を差しておいたので帰りの待ち伏せはなく、携帯もブロックしたままなんとか取り返したので、今日の今までなりをひそめてはいたが、ずっと嫌な予感はしていた。

 そしてそれは見事的中した。


「あ、おはよーともくん」


 引き返すわけにもいかず、席に近づく俺の姿に気づいた純花が、首をひねってこちらに小さく手を挙げる。

 その体は、窓際の席――ものすごく居心地の悪そうにしている春花の方を向いていた。

 いつもは俺が来ても無視を決め込む春花が、すぐさま何か言いたげな視線をよこしてくる。

 俺はその視線を黙ったまま一度受け止め、そのまま純花に落とす。


「……なにやってんだよ」

「なにって、しゃべってるんだよ? 北野さんと」


 純花はあっけらかんとした顔で言う。

 学校では、特にクラスでは、必要以上に接触はしないようにしよう、なんて俺が言ったのはいつだったか忘れたが、今の純花にそんな口約束は関係のないことらしい。


「とりあえずそこどけよ」

「はいはい。あーあ、ともくんまた機嫌悪いなぁ。おはようも返してくれないなんて」


 純花はグチグチ言いながら席を立つが、立ち去る気配はない。

 代わりに春花の机にかじりつくようにしてしゃがみこみ、質問を始めた。


「ねえねえ、それで北野さんって、どこから越してきたの?」


 話の続きらしい。

 春花はスマホを変な角度で握りしめながら、目線を落として沈黙。

 特に難しい質問ではないが、これすらまともに答えられないとなるとちょっと問題だ。

 ややあって春花は、ぼそりと口を開いた。


「き、北の国から……」

「……北の国?」

「北野だけに」


 しょうもないボケをしてしたり顔をしてみせる春花。

 やっぱダメだ、コイツ友達できないわ。


「ぷっ、あははは」


 だが意外にも純花が声を上げて笑い出した。

 かと思えばすぐに真顔に戻って、

 

「なにそれつまんない。くだらないんだけど?」

「ヒッ……」


 低いトーンできっぱり言い放つ。

 一気に場が凍って、春花が何か恐ろしいものでも見たような顔で固まると、再び純花は相好を崩す。

 

「くすくす、おもしろーい、今の顔」

「え、えっ!?」

「ヤダなー冗談に決まってるじゃ~ん、ビックリした? 面白いね、北野さんって。仲良くなりたいなぁ。ねえ、ライン教えてよ」

「あっ、いや、そのっ……」


 一瞬本性を現しかけたが、表向きは至ってフレンドリ―。

 さすがの春花もこんな怪しいやつに教えたくないだろう。

 黙って見守っていたが、見かねて横合いから純花をたしなめる。


「もういいから、よせって。嫌がってるだろ」

「え? どうして? ともくん嫌がってるってわかるの? 通じ合ってるの?」

「はあ? ちげえよ、見りゃわかんだろ」

「見てわかるの? 心の中では仲良くなりたいと思ってるかもしれないのに?」


 純花は俺の言葉にも、一歩も引く気配がない。むしろここぞとばかりに噛み付いてくる。

 すると俺たちが言い合いをする隣で、俺と純花の顔を交互に見比べていた春花が、おずおずと手にした携帯を持ち上げながら、


「い、いいですよ。こ、交換します……」

 

 今度は一瞬俺たちのほうが顔を見合わせたが、純花はすぐに嬉々として自分の携帯を操作し始めると、再度春花の席に取り付いて質問攻めに戻った。

 春花の申し出は意外だったが、俺がこれまで散々忠告してきたことを少しは聞き入れる気になったのかもしれない。

 しかしよりによってこのタイミングというのは……。

 

 それよりも俺が気になりだしたのは、まばらにあちこちから刺さる周囲からの視線。

 こんな風に教室でおおっぴらに春花に絡んで、注目を集めないはずがない。

 そのへん目ざといのは一部とはいえ、橋本を始めすでに春花をよく思っていない連中がいるっていうのに、そんなことをしたらこの先純花自身の立場も悪くなるだろう。


 純花もクラスでは、一応女子の上位グループに属する。

 そのリーダー的存在が、橋本由紀。純花は去年も橋本とは同じクラスで、単純に橋本と仲がいい、という理由でグループに引き込まれているという形だ。

 仲がいいと言っても、俺の目には橋本にひたすら純花が振り回されるという構図の従属関係にしか見えない。

 純花もそのグループに属している手前、橋本に逆らうわけにはいかないのだろうが……。


 さらにこのクラスには、それと同レベルの女子グループがもう一つあり、合わせて女子の二大勢力とでも言うべき関係になっている。

 大げさに言ったが、要するにそういう明確な勢力図ができあがっているということだ。

 それから外れると、二人、三人の細かい少数グループを作るか――もしくは一人になるか。

 俺の知る限りでは、女子で完全に一人で孤立しているようなのは、春花が来る以前はいなかった。

 

 それでも春花のことには無関心、が大半を占める中、橋本は春花に対する嫌悪を露骨にし始めた。

 その矢先に純花のこの行動は、橋本にとっては面白くないだろう。

 橋本はギリギリに登校するか遅刻することが多いので、まだ教室に姿はないが、いつ来てもおかしくはない。

 まあそれで今後、純花がどうなろうと俺には関係のない話ではあるのだが……。

  

「……純花、ちょっと」


 自然に口が動いていた。

 俺は純花のことをうながして立ち上がると、教室を出た。

 





 

「わぁ、ともくんに呼ばれちゃった。なにかなぁ~」

 

 教室を出て、人通りの少ない別棟へ向かう渡り廊下へ。

 純花は脳天気な声を上げながら、とことことすぐ後ろをついてきた。

 人気のなくなったところで振り返ると、俺はその顔にわざとらしくため息を吐いて言った。

 

「……お前、何してんだよ」

「何って? 北野さんとおしゃべりしてるだけだよ? ……あっ、もしかして、俺以外としゃべるなとか、そういうこと? いい! そういうのいい!」

「ちげえよバカ。そんなことして、わかってんのか? 聞いてんだろ? 橋本なんかに」

「なにを?」


 純花はきょとんと首を傾げてみせる。

 すでにさんざん春花の陰口を聞かされているかと思っていたが、そういうわけではないのか。

 とぼけている可能性もあるので、カマをかけてみる。


「あいつ、ボロクソに言ってるだろ」

「ああ、北野さんのこと? あとで聞いたんだけど、ともくん本当にイヤホン弁償させられたんだってね。ほんと、どうしようもないグズだよね」


 純花は顔をしかめて、吐き捨てるように言った。

 やはりすでに橋本の息がかかっている。橋本はあの件を、さらに色を付けて吹聴して回っているのだろう。

 それできっと、純花はああやって春花に直接嫌がらせのようなことを……。


「その話は誤解だ。北野は別に悪くなくて、もともとは俺が……」

「ほんとあたしって、バカだよね。ごめんね? あの時ともくんのこと疑っちゃって。ともくんと北野さんが前から知り合いで、とか勝手に思い込んで、ともくんがイヤホンを弁償しに行った、って嘘ついて二人で遊びに行ったんだって決めつけて。二人で仲良くゲームなんかしたんじゃないかなぁって」


 完全に誤解……とは言えず、あながち的外れでもない。

 あれは俺から誘ったわけじゃないんだが……結果的に二人でゲームで遊んだ、というのは事実ではある。

 一瞬ぎくりとしたが、それを純花が知っているわけがないし、適当に言ったのが偶然当たっただけだろう。もしくは変な第六感でもあるのか。

 そのことは別に洗いざらい話しても良かったのだが、これ以上話がこじれると面倒なので黙っておく。

 

「あたし、由紀の話だってほとんど信じてないよ。イヤホン壊れてないのに無理やり弁償させたとかって……北野さんってそういうタイプじゃないし、いい子だよきっと。だってともくん、そういう子嫌いだもん。絶対自分から話しかけたりしない」

「やっぱずいぶん尾ひれがついてるな……。まあいいや、それでお前はなんであいつにつっかかってるわけ?」

「それは北野さんがともくんと仲良くしているのがムカつくからいじめてやろうと思って」

「ただの最悪かよ」


 いろいろ勘ぐって損した。

 もはや呆れを通り越した目で見ていると、純花は口元に手を当てて笑いだした。


「やぁだともくんそんな顔して。冗談に決まってるでしょ~? あたしがそんな、低レベルなことすると思う?」

「実際やってるじゃねえかよ」

「本当のあたしはね、そういう細かいこととか気にしたり、いちいち遠慮したりしないの。ともくんが気になるものは、あたしも気になるから。だから一回話してみようと思って」


 純花はそう言って全く悪びれる様子はないが、真意がどこにあるのかいまいち読めない。

 それは普通に仲良くなりたい、ということなのだろうか。

 いずれにせよこれ以上話しても無駄だと悟った俺は、こうしているのを誰かに見つからないうちに、切り上げることにした。


「もういい、勝手にしろ」

「でもうれしいなぁ~。ともくん、あたしのこと心配してくれてるんだぁ、やっぱり優しいね」

「最後の忠告だよ。これで本当にお別れだ。じゃあな、今までありがとうございました」


 わざと慇懃に言い放つ。

 すぐに何かかぶせてくるかと思ったが、純花は返事もなくただ黙って立ちつくしていた。 

 俺はそのまま純花の顔を見ることもなく、踵を返して教室に戻った。

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