第33話

バイトを終えて、帰宅。

 風呂から上がり部屋に戻ると、携帯にメッセージが来ていた。相手は、橋本由紀。

『おっす、起きてる?』とだけあり、少し迷った後『起きてるけど?』と返すと、すぐに既読が付いて返信があった。


『その後どう? あのマスク、またなんか言ってきてんの?』


 マスク、とは春花のことだ。

 イヤホンの件以来、俺が春花に弱みでも握られているとでも思っているのか。


『いや、別に何も』

『えーほんと? 相手が女子で言いにくいなら、あたし言ってやろうか? 調子乗ってんなって』

『余計なことしなくていいよ、なんでもねえから、マジで』


 にべもなく返すが、橋本はしつこく食い下がってくる。

 やはり俺と春花がちょくちょく話をしているのが気になるらしい。


『朋樹って発泡美人なとこあるからさ。隣だと気遣って声掛けちゃうんでしょ?』

『全然ねえよ、なんで俺が気を遣う必要あるんだよ』

『また強がっちゃって。てか発泡ツッコんでよ笑』


 お得意の勝手な決めつけだ。

 相手が取り巻きの女子なら適当に同意してくれて一緒に盛り上がるんだろうが、付き合う気はサラサラない。

 うんざりしていた俺は、次々増えていく相手のメッセージを適当に流すようになっていた。


『そしたら純花、本当に行っちゃってさ。マジビックリ。まだどうなったか返事返ってこないんだけど、なんていうか、そこまで行くとちょっと怖いっていうか~』

 

 話によると、帰りがけに橋本が純花を春花にけしかけた、ということらしい。

 俺はバイトだったのでさっさと教室を出てきたが、たしかに何かゴチャゴチャやっていた。

 それは解決させるとかそういう意図はなく、単純に二人で話をさせてどうなるか、面白がっているようだ。

 こうなると俺と春花が以前から知り合いなのかも、だとか純花にありもしないことをほのめかしたのも、もしかすると橋本だったのかも知れない。


 だが今日の二人のあの感じを見ると、きっと橋本が思っているようなことにはならないだろう。

 どうやら純花は、橋本の前ではまだ猫をかぶっているらしい。


『まぁ~でも、朋樹の苦労もわかるよ。自分の彼女があれだとちょっとね~』


 その時俺は、橋本が秀治から俺たちのことを聞いたのだと、ほぼ確信した。

 それでも「純花と別れるんだって?」と直接聞いてこない辺り、コイツらしいといえばコイツらしい。

 だから俺も、あえて言及はしない。

 

『そうだな、とんでもない奴だと思うよ。お前が思っている以上に』

『うわぁ、ともくんきっつ~笑』


 くだらない化かし合い。全くの時間の無駄だ。

 俺はバイトの疲れを理由に、橋本とのやりとりを早々に終えた。






 それから数日は、何事もなく過ぎた。

 あれ以来、純花は俺に直接話しかけてくることがなくなった。露骨に俺を避けるようになったと言ってもいい。

 またこの前のように家に押しかけてくるのでは、とも思っていたが、あっさりとおとなしくなったのが意外だった。

 まあ俺がこれだけ頑なな態度を取れば、無理もないか。いい加減悟ったらしい。

 

 しかしその分、俺のスキを見てはやたらと春花に絡むようになっていた。

 それもおおっぴらに教室で、というのではなく、昼休みや放課後に連れ出してはこそこそやっているようだったが、細かいことまではあずかり知らぬことだ。

 

 さすがの橋本も、いよいよ純花の様子がおかしいと感づき始めてちょくちょくラインをよこしてくるが、俺は何もわからないの一点張りで通した。

 実際、純花が何を考えているのかわからなかったが、純花の連絡先は相変わらずブロックしたままで、もはや一切の接触がない。

 それでもまだ純花は橋本に、俺と別れた、と報告はしていないようだった。

 

 俺が別れたことをはっきり宣言すべきかと思ったが、自分から橋本に言い出すのは抵抗があった。まるで俺が負けたような、そんな感覚があった。

 もう少し時間をおけば、きっともっと冷静になれる。そう思って、無駄に引き伸ばしていた。

 そうして誰にも告げない宙ぶらりんな状態のまま、俺はバイトのない日はもっぱら、去年と同じく工藤や吉田あたりとゲーセンで過ごすようになっていた。

 

「うっわえぐいな今の、あの起き攻めなんなんだよ。その新キャラぶっ壊れだろ」

「おやおや朋樹くん、以前のようなキレがないねぇ? やはり女にうつつを抜かすと弱くなる、ということかなぁ、ん~?」

「ヨッシーが朋樹に勝てることって、これぐらいしかねーからな……。しかもわからん殺しでドヤってるだけだし」

「おい工藤、悲しい顔で言うなよ」


 こいつらともっぱらつるんでいたのは、純花と付き合い出す前だ。

 こうしてあいつとのことは何事もなかったように、徐々にその頃の生活に戻っていくだろう。

 筐体で対戦を始める二人を眺めながら、ぼんやりそんなことを考えていると、突然後ろから肩を叩かれた。

  

「秀治……」

「や。珍しいじゃん、朋樹がいるなんて」


 軽く微笑を浮かべた秀治が、小さく手を上げた。俺の中で、すぐさま警戒心が頭をもたげる。

 秀治はこういうゲームの類は一切やらない。偶然を装っているようだが、こうやって秀治が顔を出す時、用があるのはゲームではなくその場にいる誰かだ。

 

「ちょっといい?」


 そう言って秀治は一度周りを見渡すと、比較的人が少なく、音も静かなフロアへと俺を誘う。

 その途中、別の学校の制服を来た女子が目に入った。秀治が何かアイコンタクトを送ったようだが、あれはおそらく秀治の彼女だろう。結局俺との話も、そのついでか。

 自販機の並ぶ人気のない休憩スペース付近まで来ると、秀治はもう余計な前置きは不要と、単刀直入に言った。


「……で、いつ別れるわけ? どうせ別れるなら、早いほうがいいと思うんだけど」

「いつっていうか……もう別れたから」

「別れた? 本当に? 誰もそんな話してないけど……。どうせ朋樹のことだから、はっきり突き放してないんでしょ? それとも、もしかしてまだ迷ってる?」

「なんだよ、その言い方は。俺は……」

「あ~えっと、ごめん。このタイミングで僕がこんなこと言うのもなんだけど、やっぱり純花ちゃんはやめたほうがいいと思うよ。友人として忠告する」


 秀治はまるで俺の言葉など聞く耳もたないと言った調子で遮って、まくしたてるように話しだす。


「僕が最初思ってたのと違うのかなって。なんていうか、リサーチが足らなかったよ。でも彼女のこと知ってる子、あんまりいなくてさ……。で、これは朋樹が純花ちゃんと付き合いだしてから、小耳に挟んだんだけど……彼女、中学の時、不登校だった時期があるらしくて」


 秀治は芝居がかったしぐさで、わずかに視線を落とす。

 が、すぐに俺の顔色をうかがうように、眼鏡の縁を押し上げながら瞳を瞬かせる。


「あ、やっぱ知らなかった? 彼女、何も言ってなかったかな。まあ、自分から言いたくはないだろうね」


 黙っていると、秀治は軽く俺の肩に手を触れてきた。

 そしていつものように微笑んで、


「その点、水上さんは大丈夫だから、保証するよ。僕だって悪いと思ってるんだよ? よく調べずに純花ちゃん紹介して」

「……それは、まるであいつが不良品みたいな言い方だな」


 俺は自分でも半ば無意識なうちに、そう口走っていた。

 すると、滅多なことで自分のペースを崩すことのない秀治が、珍しく黙った。

 少しの間があった後、秀治は眼鏡のシャフトを触って、再び口を開く。


「とりあえず、来週の土日、どっちか開けといてもらえる? また工藤くんとかと一緒に、彼女含めて遊んでもらって。細かいことは決まり次第、後で携帯に連絡するから」


 早口で一方的に言い終えると、「それじゃ」と一度肘を曲げて、秀治は去っていった。

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