第58話



 案の定工藤は振られたらしい。

 それでも一応、とりあえず友達から……とかなんとかごにょごにょと言われたらしいが、「今まで友達じゃなかったんかい!」というごもっともなツッコミを俺の携帯に送ってきた。

 それでも二つ返事で突き放されなかっただけかなり健闘したと思う。

 工藤は「まだ卒業まで一年以上あるし、じっくり攻略するぜ!」だとか吹いていたが、ずいぶんと気の長い話だ。

 想像以上に時間はあっという間に過ぎるというのを、俺は今身をもって感じている。



 冬休みが終わって、三学期が始まった。

 俺のほうは特に何も進展はなく、いや進むも戻るもないのだが、ひたすら学校とバイト先を行き来する生活に戻った。

 もちろん合間合間で純花と会って出かけたりはあるが、以前に比べて純粋に一緒にいる時間は減った。

 

 というのは、いよいよ純花の勉強時間が増え始め、基本放課後は学校に居残って勉強、休日も図書館で勉強。

 まだ高三にすらなっていないのに受験勉強は早すぎるんじゃないかと思ったが、基礎を固めておくのは早めに終わらせておくのだという。

 もちろん合間にある期末考査も手を抜かないとのことだ。

 

 邪魔になるので一緒に居残るようなことはしないが、気まぐれに一度休日に図書館について行ったことがある。

 慣れた足取りで朝からほとんど人のいない学習室に向かい、すぐさま勉強に取り掛かる純花の姿を見ると、ふざけてちょっかいを出す気すら起こらなかった。

 俺が図書館にあった古くさいマンガを斜め読みするかたわら、まるで何かに取り憑かれたように、純花は一心不乱に机に向かっていた。

 少し不気味とさえ思った。何が彼女をここまでさせるのかと。

 ちょっと休憩したら? と提案すると「大丈夫」とあわてて顔を綻ばせる純花が少し危うくも見えたが、口には出さなかった。


 俺はそんな純花になんとなく引け目を感じて、誰かと遊ぶようなことはせず、バイトに多く入るようになった。

 以前は手を抜いてだらけていた仕事も、素早く的確にこなすようになっていた。

 だがそれで「最近頑張ってるんじゃないか? 仕事が早くて助かるよ」なんて言葉をかけられても、漠然とした不安が晴れることはなかった。




 期末はいつものように一夜漬けで適当にごまかした。

 それから卒業していく三年をまるで別世界の出来事のように見送る。

 卒業式の日、いつか俺をシメようとした三年どもが「まあ頑張れや後輩」と上機嫌に馴れ馴れしく肩を叩いてきた。

 やっぱりこいつらはその時その時の気分だけで生きているんだと思った。

 篠原が何か言ってほしそうな顔をしていたので、「先輩、色々とお世話になりました。お元気で」とそれらしいセリフを適当に言うと、なぜか泣きそうな顔になっていた。


 一通りのイベントが終わって、あっけなく二学年も終わり、春休み。

 気を抜くことなく勉学に勤しむ純花とは裏腹に、特にこれといってやることのない俺は、ひたすらバイト漬けの日々を過ごしていた。

 きっと三年になってもこんな調子で、あっという間に一年が過ぎるだろうとぼんやりとそう思っていた。

 しかしその反面、来年自分がどんな顔で卒業式を迎えるのか全く想像できなかった。

 何らかの変化が……決断を下さなければならない時がいずれ来るのかも。そんな漠然とした思いだけが、頭の片隅にあった。


 

 だがその変化は唐突に訪れた。

 バイトが終わって夜帰宅してまもなく、純花からの電話があった。

 直接会う回数が減った分、携帯での連絡は密にしてはいるが、この時間に着信があるのは珍しいことだ。

 少し不審に思いながらも、自室のベッドに身を投げ出しながら携帯を耳に当てる。

 

「もしもし? 純花?」

 

 通話にしても黙っているのでこちらから声をかけるが、返答はなかった。

 そのまま耳を澄ますと、かすかにすすり泣くような声が聞こえてくる。


「純花? どうした?」

『……ぐすっ……ごめんね、いきなり電話して……』

「お前、泣いてんのか?」

『うぅん、泣いて、ないよ……。声、聞いたら、安心しちゃって……』


 鼻をすする音でいまいち聞き取りにくい。

 泣いてない、と言いつつも泣いているのは明らかだったが、どういう状況なのかまったく要領を得ない。


「何か、あったのか?」

『うぅん、なんでも、ないの。ただ声、聞きたくて……』

「なんだよ、なら録音しといて後で聞きゃいいだろ」

『あっ、ご、ごめん、そ、そうだよね……迷惑だよね……』

「バカ、冗談に決まってんだろ」


 最近はある程度落ち着いたと思っていたが、またよくない波が来たのかもしれない。

 とはいえ実際会えば案外けろっとしていたり、一緒にいればすぐよくなる事が多いので、なんとも判断が難しい。


「じゃあ明日、駅前……来たら、なんか好きなもんおごってやるから」

「……いいの? でも明日、ともくんバイトじゃなかった?」


 そんなふうな提案をしてやれば喜んで食いついてくるかと思ったが、純花は依然として歯切れが悪い。


「明日は夕方からだから、始まるまでなら……」

「ごめんね、気遣わせちゃって……」

「いや全然、気にすんなよ」


 実を言えば俺もちょうど会いたいと思っていた、とは少し気恥ずかしくて言い出せなかった。

 純花の声が最後まで沈んだままだったのが少し気になったが、明日一緒に甘いものでも食べに行けばすぐ元通りになるだろう。

 そう楽観しながら、その日は電話を切った。



 

 翌日、俺は待ち合わせの時間に遅れないように、十分な余裕を持って家を出た。

 元々割と時間にはルーズなのだが、いつかやらかした大遅刻のこともあり、それ以来純花との待ち合わせには気を使うようになった。

 電車に乗っていつもの駅で降り、駅構内にあるいつもの待ち合わせ場所に向かう。

 

 時間より二十分近く早かったが、おそらく純花も早めに来るだろうと考えるとちょうどいい頃合いだ。

 そう思いながら一応携帯で「今どのへん?」と送ってみるが、返信がない。

 待ち合わせの五分前になると、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。

 純花が五分前になっても到着していないということは、これまでにも記憶がない。

 そのまま時間になると同時に電話をかけるが、やはり出ない。


「この前の復讐か……」


 それならいいのだが、もしや何かあったのではないかと心配になる。

 少し焦りながら、何度か電話とメッセージ、さらにメールの送信を繰り返していると、やっと着信が返ってきた。

 ワンコールもしないうちにすぐさま出る。


「何やってんだよ、今どこ? どうかしたのか?」

『ご、ごめんなさい。今、起きた……』


 起き抜けらしい純花の声を聞いて、どっと肩の力が抜ける。

 はぁ~と盛大にため息を吐いてやると、


『ご、ごめん、ホントにごめんね? お、怒ってる……よね?』

「いや、まあ……よかったよ。何にもなくて」

 

 まさか本当に意趣返しだったとは。

 いや、もちろんわざとじゃないんだろうけども。

 

『そ、それでね、髪ぼっさぼさだし、服も用意してなくて……』

「あっそ。どんぐらいかかんの」

『えぇっと、い、一時間ぐらい……?』

「一時間!? どんだけかかんだよ」

『だ、だって眠れなくてスマホでゲームやってたら寝落ちしちゃったんだもん!』


 しかもそれは身支度にかかる所要時間であって、ここに到着するまでの時間ではないという。

 

「俺帰ってもいいかな……」

『ま、待ってて、なるべく急ぐ……急ぎますから!』


 そうは言うが、移動含めるとやはり最低でも一時間は固い。

 もうそれならいっそのこと……。


「わかった、俺お前ん家まで迎えに行くわ。一人で待っててもしょうがないし」

『え? いや、家は……』

「いいから早く準備!」


 そうせかして電話を切ると、俺は純花の家に向かうべく、再びプラットフォームの方へ歩き始めた。

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