第59話


 待ち時間なくスムーズに電車に乗って、最寄り駅で降りる。そのまま寄り道せず、早歩きでまっすぐ純花の家へ。

 この前も来たばかりのなので、今度は迷うことなく家にたどり着く。

 

 純花の家はまるで誰もいないかのようにひっそり静まり返っていたが、それも毎度の印象通りだった。

 しかし今日は車も二台止まっていて、きっと家の人も在宅のはず。

 あまり考えずにここまで来たはいいものの、今日は土曜なので純花の父親なんかと鉢合わせする可能性もある。

 その場合一応それらしく挨拶しなければならないかと思いながらも、足を止めることなく家の敷地をまたいでインターホンを押した。

 

「……はい?」


 反応がなかったため二度目のチャイムを鳴らすと、純花の母親らしき女性の声がした。

 少し警戒するような響きだったがこちらは堂々と、


「すいません、純花さんの友人の早坂といいますが……」

「はあ……」


 そう答えるが反応が鈍い。

 この時点で話が通っていないのは確実だったが、それは一方的に押しかける形にしたのが悪いか。

 事前にもう一回電話すればよかったと思い返すがすでに遅い。

 

「あの、純花さんは……」

「ああ……はい、ちょっと待って下さい」


 それでインターホンは切れた。

 代わりに家の中からかすかに足音が聞こえた後、しばらくして玄関が開く。

 顔を覗かせたのは純花だった。驚いて目を見張るようにして、


「と、ともくん……」

「おっす。用意終わった?」

「お、終わったけど、どうして……」

「いや、行くって言ったじゃん」

「で、でもホントに来るなんて……」


 どうにも煮え切らない態度の純花。

 来てくれてうれしい、なんて反応を期待しないでもなかったが、それに反して純花の表情からは焦りの色しか感じ取れなかった。

 やはり家まで来られるのは迷惑だったのだろうか。純花はよく俺の家には来たがるが、自分の家に誘うことはまずない。

 それは家に来てほしくない、なにがしかの理由があるのかも知れなかったが……。


「洋介がいるから、うるさくしないでね」

「わ、わかってるよ、すぐ、出るから……」

「ならいいけど」


 玄関の敷居の向こう側で、純花とその母親が何事かやりとりする。

 純花の母は見た目もの静かで優しげな雰囲気ではあったが、やや早口でぴしゃりと言い切るような口調からは、妙に高圧的な印象を受ける。

 軽く挨拶しようかと思ったが、向こうはこちらに会釈をしたきり家の奥に引っ込んでしまい、取り付く島もない感じだった。

 

「……ごめんね、すぐ準備してくるから。すぐそこで、待ってて」


 純花は申し訳なさそうにそう言うと、俺を家に招き入れることはせずに、ゆっくり扉を閉めた。





 ついさっきやって来た道のりを純花とともに戻り、いつもの駅で降りる。

 それから駅ビルに入っている軽食屋に入り、軽く昼食を済ませることにした。

 終始元気のなさそうだった純花も「好きなデザート頼んでいいよ」と一声やれば機嫌が戻ると思っていたが、顔色は一向に晴れる気配がなかった。

 純花は口数も少ないまま心ここにあらず、と言った様子で、ちびちびとパフェの中身をスプーンですくっている。

 いい加減陰気臭いのに耐えられなくなった俺は、自ら口火を切って尋ねた。


「……なんか、あったの?」


 多少の波はあれど、これほどまでに落ちているのはちょっと普通ではない。

 何かあったのならあったで原因がわかったほうが、こちらとしてもまだ対処しようはある。


「あ……ご、ごめんなさい。せっかくともくん会いに来てくれたのに……。それにあたし、寝坊しといて……態度悪いよね」

「いやそれは別にいいから」


 俺が怒っていると思ったのか、純花は食べるのをやめてうつむいてしまう。

 変な誤解をされても話が進まないので、昨日電話があった時のことが気にかかったから、としっかり意図を伝える。

 だがそれでもなお、純花は視線を落としたまま沈黙を続けているので、俺はそれ以上急かすことはせず、ひたすら向こうから何か言い出すのを待つ。

 長い長い間があった後、純花は観念したようにぽつりと口を開いた。


「前の、模試の結果……」

 

 その一言でおおよその察しはついた。

 冬休みに受けた模試のこと、結果が芳しくなかったというのは、先を聞かずとも明らかだった。

  

「頑張ったのに、またダメで……」

「まあ、そんなに焦ることないんじゃないか。まだまだこれからだろ? それでいちいち一喜一憂してもさ……」

「ううん、それだけじゃ、なくて……」


 俺の言葉を遮った純花が、ぐっと唇を噛みしめる。

 それはまるで、溢れ出る負の感情を噛み殺すような仕草だった。

 

「お兄ちゃんが……」


 純花の口から飛び出したのは意外な単語だった。

 俺は直接の面識はないが、純花に二つ上の兄がいるというのは知っている。

 純花の兄は第三高……ここらで一、ニを争う進学校を卒業するも、志望大学に合格せず、浪人生をしているのだという。

 金の無駄だし家で一人で勉強したほうが集中できると言って、予備校にも行かず家にいる事が多いらしい。


「でも実際は、ほとんど勉強なんてしてなくて……」


 今年も志望校に落ちて二浪が決まったらしい。

 そこまで聞くと、一見純花には関係のないことのように思えたが、


「お兄ちゃんがお前じゃT大なんて絶対無理に決まってるって……。あたしT大のこと、家族には言ってなくて、模試の結果も隠しておいたのに……。きっとあたしの部屋勝手に入って、机の引き出し漁って見たんだよ」


 純花はテーブルの上を睨みつけるようにして、ぎゅっと拳を握りしめた。


「そのことお母さんに言っても、もっと真面目に考えなさいって……お兄ちゃんと同じこと言うんだよ? でもわかってた、お母さんはお兄ちゃんの味方だし……昔からそうなんだ。お兄ちゃんにはとことん甘くて……お兄ちゃん勉強はできるから、いつもちやほやされてて……。お兄ちゃんは怒られないのに、あたしは怒られて……」

「それ、父親の方は何も言わないのか?」

「お父さんはいないようなもんだよ。全然しゃべらないし、そういうの口出ししてこないし、そもそもお母さんの言いなりだし……いないみたいなもんだから。……ふふ、だからあたし、ともくんと一緒だね」


 純花が嘲るように笑ってみせるが、なんと答えていいかわからず俺はただ黙った。

 すると純花はふと我に返ったように目を瞬かせて、


「そんなわけないよね、ごめん……。ごめんねいきなり、こんな話して」

「……いや、俺の方から聞いたからさ」

 

 それきり、元の沈黙に戻る。

 何か言ってやらないといけないと思ったが、勉強はおろか先の見通しもなくブラブラしている俺に、的確なアドバイスなんて思いつかなかった。

 それどころか、直面すべき問題から目をそらして逃げている自分が浮き彫りになった気すらして、今問題と正面から向かい合っている純花に対して負い目のようなものを感じていた。


 そんな俺の思惑に気づいたのかどうか。

 どういうわけか純花は突然、毒が抜けたように表情を緩ませた。


「……でも、もういいんだ」

「え?」

「もう、T大はあきらめたから。最初から無理だったの。あたしみたいな、地頭が悪くて、意志も弱い人間は……」

「でもお前、その大学行きたいって、ずっと頑張ってたんだろ? そこじゃないとダメって……」

「行きたい理由ね……。お兄ちゃんのその志望校って、同じT大なの」

「それって……」

「……わかった? あたしがT大合格してみんな見返してやろうって、そういう、くだらない理由なの。バカだよね、子供みたいな……。そもそもそんな、できもしないことを……」


 純花を勉強に駆り立てていた原動力の正体。

 それは俺が予想していたものとは、全く違うものだった。

 返す言葉を失っている俺を見て、純花はにっこりと笑ってみせると、


「だから、もう勉強するのやめた。そのかわり、ともくんといっぱい遊ぶんだぁ。でもそうするとおこづかいすぐなくなっちゃうから、あたしもなんかバイトしようかなぁ。カンタンにできそうなの」


 俺は純花が下した決断に対して、肯定も否定もしなかった。

 そんな理由で進路を選ぶのは、何か違うような気がしたからだ。

 そもそもそれがいいとか悪いとか、俺が口を出せる立場じゃない。

 

 そんな風に、言い訳めいたことを考えていたと思う。

 だが実際のところ俺は単純に、安堵していた。


 ぼんやりとした、名状しがたい不安の正体。

 それは目標に進み始める周囲と、一人取り残される自分。

 ひたすら机に向かう純花もまた、このまま遠い存在になってしまうのではないか。自分を置いていってしまうのではないか。

 そんなことが頭をよぎり始めた矢先、彼女は足を止めて振り返って、手を差し伸べてきた。

 俺は戸惑いながらも、その手を取って――。



 ――ことごとく考えが、合わなかったの。好き放題言って、責任は取らない……。

 

 ――今年でここは、引き払うから。朋樹もいいわよね?


 その時も俺は何も言わずに、何も言えずに黙っていた。

 後悔の念が押し寄せてきたのは、ずっと後のことだった。



 ――なにも一生のお別れってわけじゃない。ときどきは、顔を見せに来るよ。


 それ以来、あの人は俺の前に姿を現すことはなかった。

 ただの一度も。

 けどもしあの時、俺が手を伸ばして、引き止めていれば……。


 

 

 ――前へ進むでもなく、ただ自分の側に、引きずり込んでいた。


「……ともくん? もしかして、怒ってる? やっぱりダメ……かな」

「うん? 別に……純花の好きにすれば、いいと思うよ」

「そうだよね……別に、いいよね。大体あたしなんて、最初から期待も何も、されてないし……」

「大丈夫だよ、俺がお前のことずっと、見てるから」


 そう言って微笑んで、純花の目をじっと見つめる。

 純花は最初きょとんとして見返してきたが、みるみるうちに顔を赤くして、


「……ヤバイ。今の、超ドキってした。キュンってなった。いつものともくんらしからぬセリフ……」

「そう? いつも通りだろ」

「いい! 普通の人だったらちょっとイタイ感じでも、ともくんが言うとすごくいい!」

「お前な……」


 ほんの数十分前とは別人、まるで憑き物が落ちたように明るい表情になってはしゃぎだす。

  

「ねえこれから、どうしよっか。できたら二人きりになりたいな~……なんて」

「ああ、ウチは……今日は母親休みでいるし」

「そっか。じゃあ~……そうだカラオケ! カラオケ行こう? 決まり!」


 純花は身を乗り出すようにしてそう言うと、勢いよくパフェの残りを口へかきこみ始めた。

 そんな彼女の姿を見ながら、俺は自分の言動は間違いではなかったと、そう自身に言い聞かせていた。

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