前日譚
前日譚1
「いや、俺別に笹原のことなんとも思ってないから」
放課後の誰もいない空き教室。
俺がそう言い放つと、目の前で佇む女子生徒の勝ち気な瞳がかげりを見せた。
「そ、そう……。じゃあ、好きな人、いるとか?」
「いや別にいねーけど」
「え? じゃあ……」
なにか言いかけた笹原に、「じゃ」とだけ言って俺はさっさと教室を出た。
昇降口を出たところで、柱に背を寄りかからせながら携帯をいじっていた秀治が、こちらに気づいて近づいてきた。
「あれ? 朋樹まだ学校にいたんだ、何してたの?」
「笹原にコクられた」
「へえ。それで? 付き合うの?」
「まさか」
「ずいぶん素っ気ないねえ」
秀治は携帯をしまうと、「一緒に帰ろうか」と俺を促して歩き出す。
そういう秀治のリアクションのほうがよほどそっけない。そう思ったが、俺は別のことを言った。
「お前、知ってただろ」
「何が?」
そう聞き返した秀治の顔を無言でじっと見つめると、秀治はふっと鼻から息を吐いて口元を緩めた。
肯定ということらしい。しらばっくれていたが笑いをこらえるのを我慢できなくなった、という感じだ。
「なんで断ったの? 僕としてはそこそこ釣り合い取れてると思ったけど」
「あいつ自信満々だったな、振られるわけないって」
「それが鼻について振ったってこと?」
「別にそうとは言ってない」
クラス委員長、成績も常に上位、運動神経良しのバスケ部、少しきつめな印象はあるが容姿も十分整っている……。
これだけ並べると、告白して玉砕するのはむしろ俺のほうが自然かもしれない。
きっとそのあたりも織り込み済みなのだろう。秀治は怪訝そうに眉をひそめる。
「それじゃどうして? 他に好きな子とか……」
「お前も同じこと聞くな。ていうかそんなのいないって知ってるだろ? ただまあ、ああいうタイプはないんだな、ってのがわかった」
「そう? 付き合う前から判断するのもどうか思うよ? 実際そこまでよく知らないでしょ彼女のこと。とりあえず付き合ってみればいいのに。好きになる理由なんて後付けでどうにもできるし、付き合ってるうちに好きになるパターンだってあるし」
意味がわからなかった。そんな面倒なことをしてまで付き合う必要があるのかと。
そう反論したかったがあえて黙っていると、秀治はまるで俺の頭の中を読んだかのように続ける。
「なんでって、思うかもしれないけどさ、やっぱ経験は大事だよ。ほらよく言うじゃん、小学校では友人関係を、中学では上下関係を、高校では恋愛関係を学ぶって」
「初めて聞いたわ。それって高校行かねーやつはどうなんの?」
「そんな普通じゃない人のことは知らないよ」
想定外の質問が飛んできたのか、秀治はどうでもよさそうに吐き捨て、強引に話を続ける。
「笹原さんは……まあもういいとして、朋樹だったら余裕で彼女できるよ。僕が保証する」
「保証って、そんな保証されてもねえ……」
「そんな言い方ないじゃん。僕ら親友でしょ? 今度さ、誰か紹介するから。僕そういうの得意なんだ」
秀治の言葉に曖昧な返事をしたきり、その話題は終わった。
秀治の話に感化された、というわけではもちろんないが、このなんとも言い表しようのない漠然とした無力感……なんてそんな大げさなものでもないけども、単純にグダグダ過ごしている毎日を少しでも紛らわせるならそれもいいか、と思った。
それから一ヶ月もしないうちに、俺は変な集まりに呼ばれた。
駅前のカラオケボックスの一室。机を挟んで向き合った男女六名の中に俺はいた。
「たぶん知ってると思うけどこっちが陽菜でー、そんでこの子が……」
席につくなり女子二人の紹介を始めたのが、同じクラスの橋本。
入学当初からこいつはウザイぐらいにハイテンションで絡んでくるので正直苦手だ。
他の二人は初対面……いや一人は顔だけ知っている。確か隣のクラスだと思ったが、よくウチの教室に顔を出している。小野とか言ったか。
橋本から紹介を受けた彼女は、笑顔で「今日は皆さんお手柔らかに」などと言って笑いを誘っている。
そしてもう一人は完全に知らない奴だった。
佐々木純花、と紹介されても「どっ、どうも」とぺこぺことお辞儀をするだけで、そわそわと落ち着きがない。
見た目もほか二人に比べると地味で、パっと見、こんな場所に顔を出すような人種ではないと思った。
おおかた人数合わせに、橋本に誘われて無理やり連れてこられた、ってとこだろう。
「ほら小野さん、遠慮してないでトップバッター行きなよ!」
吉田が無理やり小野にリモコンを押し付ける。
元は女子三人が遊ぶところに俺と秀治がちょっと加わる、という形だったらしいが、寸前で吉田に捕まり「えっ、トモッキーどこ行くのどこ行くの?」としつこかったので連れてきた。
秀治がメチャクチャ嫌そうな顔をしたが、俺は逆にそれが面白い。
危なげなく小野が歌い終わると、秀治が感心した声を漏らす。
「小野さん上手だねー。あ、そういえば朋樹もあのバンド好きじゃん」
「……あー、そうだったっけ」
俺はそのバンドあんま好きじゃねーって言っただろ、とは言わず、適当にウマを合わせる。
この感じからすると、きっと秀治の本命は小野なのだろう。秀治は俺が橋本をあまり良く思っていないことを知っている。
小野は「そうなの? 早坂くんも?」と軽く身を乗り出してきたが、面白くなさそうな顔をした橋本がさっさと画面のデモを飛ばしてマイクを手に取る。
橋本が歌い終わると、一度場が静かになった。
次の順番である佐々木は、ひたすらリモコンの画面とにらめっこしていた。「純花、早く次入れなよ」と橋本からせかされ、佐々木はようやく選曲を決める。
やがて曲のイントロが流れ出すと、佐々木はマイクを手に持っていきなり立ち上がった。
すると吉田が「おおっ、気合入ってるね!」と囃し立てるが、佐々木は一切のリアクションをせず、かなり緊張しているのが傍目にも見て取れた。
俺はなんともなしにその様子をぼうっと眺めていたが、イントロが終わってモニターに表示された歌詞の色が変わり始めても、歌声が聞こえてこないことに気づく。
「純花、マイクスイッチ入ってない!」
「えっ、あ! ご、ごめん!」
歌声より大きな「ごめん」がマイクに乗って響く。
どっと笑いが起こるが、当の本人は顔を真っ赤にして、あたふたと視線を右往左往させている。
なんとか途中から歌い始めるが、終始声が微妙に震えていて、ところどころ音程もよれている。
はっきり言って下手くそだった。誰もが知っている女性歌手のメジャーな曲だからこそ、それが余計目立った。
口にこそ出さなかったが、周りもそんな感想だろう。歌い終わった後も、「お約束かましてくれたね~」などと言って誰も歌のよしあしには触れなかった。
『朋樹は放っておくと余計なこと言うでしょ? だから笑顔で話を聞いて、ひたすら褒めてあげればいいと思うよ』
少し微妙な雰囲気になっている中、俺は事前に秀治がそんなことを言ってきたのを思い出していた。
バカらしいそんな簡単に行くかよ、と俺は無視するつもりだったが、ふと今それを実証してやろうと思いたった。
「なんかいい。声が可愛い」
そんな風に口からでまかせを言った。
佐々木は一層顔を赤くしてうつむくだけだったが、俺のその一言でまた少し空気が変わった気がした。
次の吉田が歌っている間にも、秀治が何か言いたげにしていたが無視した。
小野のことも無視して、口数の少ない佐々木へ話を振っていく。
「じゃ次佐々木さん」
「は? ちょっと早坂、次あたしの番だし!」
「いや別に順番じゃなくて、可愛い子がいっぱい歌えばよくね?」
「う~わ、ちょっとこいつマジムカつく~」
そう口ではいいながらも、どこか嬉しそうに笑う橋本。
コイツが何を考えているかよくわからないし、どうでもいい。
「佐々木さん、飲み物大丈夫? 持ってこようか?」
「あ、ありがとう、大丈夫……」
「あたしもうな~い。早坂持ってきて~」
「自分でいけ」
その後もわざとらしく上げ下げを徹底して、それなりに笑いが起こる。
そういうノリが通じないのか真面目なのか、佐々木はひたすらに恐縮していた。
そんな調子で三時間があっという間に過ぎて、部屋を退室する。
秀治は食べ物の注文をしたり、飲み物を持ってきたり、女子に譲ったり、途中で外に出ていって何やら電話をしたりで、結局一度も歌わなかった。
さらに建物の外に出るなり、「僕はちょっと寄る所あるからもう帰るけど、後は好きにやって」と言ってすぐにいなくなった。
秀治がいなくなると、女子も「え~どうする~?」と急にまとまりがなくなって、俺も帰ると言い出すとその場で解散になった。
秀治のように何か用事があるわけではなかったが、単純に疲れた。あまり慣れないことをしたからだと思う。
駅に向かって歩く道すがら、秀治から何かダメ出しが来るかと思っていたが、特に連絡はなかった。
そのまま駅構内に入って、まっすぐ改札の方へ向かう。
その途中ふとトイレに寄ろうと思いたち、くるりと∪ターンする。
するとその時、振り返った視線の先でビクっと立ち止まった人影に気づいた。
不審に思って注意を向けると、同じ学校の制服を着た女子と目が合った。
佐々木だった。
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