前日譚2
「あっ……」
佐々木は変な声を上げて固まった。
どうやらカラオケ前で解散になって、俺と同じくまっすぐ駅に向かってきていたらしい。
ずっと背後を歩いていたようだが、それならそうと声をかけてくればいいのに。
そのまま佐々木は動き出す気配がなく、その場でじっと固まっている。こちらもつられて固まっていたが、それが少しおかしくなって俺は吹き出していた。
「なんか、だるまさんが転んだみたくなってる」
「え? あっ……」
その一言で、佐々木は我に返ったように慌ててぺこりとお辞儀をする。
それきりまた動かなくなったので、俺は一度首を回して後ろを向いてから、また前に戻してみる。
「動いてないね」
「え? あっ、は、はい!」
見てないときに動くかな? というフリだったのに、多分わかっていないっぽい。
このまま俺が見ていると一生帰れないだろうから、「じゃ」と軽く手を振って踵を返す。
だが十歩もいかないうちに、背中に若干上ずった声が突き刺さった。
「あ、あのっ! き、今日は、あ、ありがとうございました」
「は?」
またも振り返ると、こちらを見上げる佐々木の顔があった。なぜか必死だ。
しかし礼を言われる筋合いなんてないので、そのまま聞き返す。
「何が?」
「いやあの、いろいろと……。あ、あたし、ああいうの、初めてで、緊張してて……」
佐々木は一度しゃべりだすと、「グダグダで歌も下手だしノリも悪いし……」と続いて延々一人で反省会を始めた。
どんどん早口になっていくので、最後の方は何を言っているのか聞き取れなかった。
内容も俺にしてみれば取るに足らないどうでもいいことばかりだったが、ひたすら持ち上げてきた手前邪険にすることもできず、ただ笑顔で相槌を打ち続けた。
やがてひとしきり言いたいことが話し終わったらしい佐々木は、何かに気づいたように急に恐縮しはじめて、
「あっ、ごめんなさい、あたし一人でこんな長々としゃべっちゃって……」
「ん? あぁいいよ全然」
「あ、ありがとう……。早坂くんて、や、優しいね……」
そう言って佐々木は頬を赤らめた。
俺と目が合うと、避けるように視線をそらしてうつむいた。
そんな彼女の言動を見たとたん、俺は急に佐々木のことが……。
苛立たしくなった。不愉快になった。
頭がカッとなって、けどどこか冷静で……気づけば薄く口を歪めて、鼻で笑い飛ばしていた。
「はは」
「あ、はは……何か、へ、変かな?」
「いや、おもしれーなって思って」
「え?」
「お前みたいなのが詐欺とかに騙されるんだろうな。俺みたいな嘘つき野郎にさ」
佐々木がはっと目を見張る。どう反応していいかわからないようだった。
戸惑いながらも、じっとこちらを見つめてくる。なぜだかそのさまを見ていられなくなって、俺は視線をあさっての方へ向けた。
「じゃ、おつかれ」
それだけ言って軽く手を上げると、俺は踵を返して足早に立ち去った。
帰宅した俺は、自室のベッドの上で天井を仰いでいた。
時間がたって、すっかり頭も冷えていた。
おそらく秀治の狙いであった子をほとんど無視、関係ない子にコナをかけて、しかも最後にボロクソにけなす。
我ながらワケのわからないことをしていると思った。
「まあ、しょうがねーか……」
それでもどうしてか、心は晴れていた。
あのまま演じ続けるより、ずっとマシだと思った。
人を騙して、期待させて、裏切る。俺は嘘つきだけども、そんな嘘だけはつきたくなかった。
俺の一番嫌いな奴のように、あの人のようにならなくてよかったと、そう思った。
あの最低の嘘つき野郎に。
夜の十時頃、携帯の着信音で目が覚めた。秀治からだった。
こんな時間に電話は珍しい。
「もしもし朋樹? 今大丈夫?」
「ああ大丈夫……」
「さっき佐々木さんからちょっと連絡があってさ。朋樹のアドレス教えてもいい?」
予想外の質問が来て返事に詰まる。
もしやさっきのこと、佐々木が秀治にチクったか。そんな予感が頭をよぎったが、それならアドレスを教えろというのもおかしな話だ。改めて反論なり罵倒なりしたいってところなのか。
秀治も秀治で、自分の意向を無視した俺を責めるような口調ではない。
断ったところで無駄だろう、というのもあったが、単純に佐々木が、というのが気になった。
「別に、いいけど……」
「了解、んじゃ教えるね。どうせ朋樹のことだから、僕の言うことなんて聞かないでそっちに行くと思ってたから」
「は?」
「いいよね~朋樹はモテるから」
秀治は言うだけ言って、電話は半ば一方的に切られた。
今日佐々木と秀治が連絡先を交換するような素振りはなかったので、やはり秀治とは以前から知り合いだったようだが……。
それから十分もしないうちに見知らぬアドレスからメールが届いた。
内容は『突然すみません、今日、怒らせてしまったかと思って……』という一文から始まる長ったらしいものだった。予想に反して、俺を責めるような内容ではなかった。
なんと返すか少しだけ迷ったが、『別にそんなことないよ。佐々木さんはなんも悪くないから』とだけやって、それで終わりにしようとする。もう余計なことは言わない。
俺はそれで話を締めたつもりだったが、またも長い文面で謝罪なんだかよく趣旨のわからないものが返ってきた。
そして最後には、『よかったら今度また、カラオケ行きましょう!』と付け加えられていた。
「今度はもうねえだろ……」
たいしてうまくもないくせに。そもそも歌がそんな好きなようには見えない。
一丁前に社交辞令とは、やっぱなんかムカつく女だ。
結局、俺はそれに対しての返答はせず、その日のやり取りはそれで終わった。
しかし問題はそれからだった。
どういうわけかその日からほぼ毎日、夜になると佐々木から何かしらのメールが飛んでくるようになった。
学校の話題、授業の話題、趣味の話題、誰々が~という人の話題。
俺がどうでもよさそうに返信するとすぐにおとなしくなるが、ちょっと話題に食いつくような素振りを見せると怒涛の勢いで押し返してくる。
佐々木は面と向かってだとあんまりしゃべれないから、と弁解をしたが、実際携帯で文面を打っているのは別人ですと言われたほうがまだ納得できる。
そんなのが一週間、二週間……三週間。
自然とやり取りする分量は増えていったが、お互い面と向かって学校で顔を合わせて会話をすることはなかった。
そして俺の中で佐々木がどんな顔だったかもおぼろげになりつつあった頃、直接話を持ちかけてきたのは秀治だった。
「今度の週末、またみんなでカラオケ行かないかって、佐々木さんが言ってたよ。まあ僕もみんなも用事があって行けないみたいだけど、朋樹は行くよね?」
「何だよそれ」
「今度は断らない?」
「何がだよ」
「いや、告白されてもさ」
「だから何がだって」
俺がなんと聞き返しても終始笑顔のまま、秀治はろくに答えもせず立ち去った。
その週末、待ち合わせ場所に集まったのは、案の定俺と佐々木だけだった。
その日の佐々木は私服ということもあるが、髪型も前回と変わっていて、顔を見てもしばらく気づかないぐらいには見違えるようだった。
どういう風に話がついていたのかはわからないが、佐々木は最初俺以外にも誰か他のメンツが来ると思っていたらしい。
しかし待てども待てどもそんな気配がなく、俺がおそらく他には誰も来ないであろうことを告げると、
「そ、それじゃあ、ふ、二人ですか?」
「なんか訳わかんないけどさ……。どうする? カラオケなんて本当は行きたくないだろ?」
「そ、そんなことない、い、行きたいです。行きたい!」
てっきり同調すると思ったが調子が狂う。
結局、二人で前回と同じカラオケに入店。
佐々木の歌はよほど練習したのか、前よりもずっとよくなっていた。
それでもまだうまいと言える域には達していなかったので、俺は褒めることはしなかった。
代わりに「練習した?」と聞くと、佐々木は恥ずかしそうに笑った。
俺が申し訳程度に歌って、「いいよあと歌いなよ」とやる。
佐々木は遠慮したのか歌おうとしなかったので、カラオケは一時間もしないうちに早めに切り上げた。
外に出て「帰るか」というと、佐々木は小さく頷きを返すだけで、駅へ向かって歩く俺の後をずっと黙ってついてきた。
終始そわそわとしていて、どこか落ち着きがないようだった。
足音が遠くなったので一度振り返って様子を見ると、佐々木が何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わなかった。
そんなことが駅に着くまでに二回ぐらい続いた。
ついに耐えかねて、こちらから尋ねる。
「何?」
「え?」
「なんか言いたそうにしてるから」
そう促してやるが、佐々木は目線を右往左往させて口元をまごつかせる。
「ええっと、あのぅ……じ、実際会うと違うのかなぁって……」
そうやって言葉尻を濁してばかりで、一向に要領を得ない。
相変わらず人を苛つかせるな、と思いながらも再度問いかける。
「もしかして、めんどくさいこと言おうとしてる?」
「め、めんどくさい? って……あっ、も、もしかして中嶋くんに……?」
「何? 秀治が?」
聞き返すと、佐々木は傍目に見てもはっきりわかるぐらいに頬を紅潮させる。
無言のままその顔を見つめて待っていると、
「えぇっと、ただ……あんな人が彼氏だったら、いいなぁって……話を……ちょっとしただけで……」
「……ふぅん? どこがいいわけ? こんな嘘つき野郎の」
「それは……本当に嘘つきだったら、最後まで自分の事嘘つきだなんて言わない……と思う」
それすら嘘で演技だったらどうすんの?
すぐさまそう切り返しかけたが、すんでのところで飲み込んだ。今度はなぜか嘘をつけなかった。代わりに返す言葉が何も思い浮かばなかった。
「それと、思ったんです。この人、あたしと似てる……って」
「なんだよ、それは……」
「あっ、ご、ごめんなさい……生意気言って。でも、あたしもちょっとひねくれてるところ、あるから……」
そう言うと、今度こそ佐々木はうつむいて黙り込んでしまった。
それならそれで、そのまま彼女を置いてその場を立ち去ることもできた。きっとそうするだろうと、自分自身思っていた。
だけど俺はうなだれる佐々木の頭を見下ろしながら、全く逆のことをした。
「ふーん。彼氏、欲しいの?」
「あっ、でも誰でもいいってわけじゃなくて! い、いやあのえっとっ……! 何言ってんだろうあたし……」
「じゃあ、付き合う?」
「え?」
自分でもよくわからないうちに、そう口にしていた。
それが好き、という感情なのかはやはりよくわからなかった。
ただ、彼女のことが妙に気になった。それだけだった。
「付き合うことになったんだってね。よかったね」
週明け、登校すると秀治が俺を見つけてそう声をかけてきた。
佐々木から聞いたのか、秀治は俺たちが付き合うことなったことをすでに知っていた。
なんでもお見通し、と言わんばかりのその顔がどうにも鼻について、ぶっきらぼうに答えた。
「まあ、おかげさまで」
「はは、何その言い方。まあ正直、なんか最初のカラオケのときに朋樹が彼女のこと気になってるみたいだったからさ。そこまで意外でもないかなって」
「その後は? それだけじゃなさそうだけどな」
「そこは友達としてね、陰ながらフォローさせてもらったよ。朋樹は絶対純花ちゃんに気があるよ、って教えてあげて……でもどうしたらいいかわからないって言うんで、毎日マメに連絡したらいいかもね、ってアドバイスしただけだよ。まあなにはともあれ、おめでとう」
友達を祝福する言葉。
けれども薄く笑う秀治の口元は、「これで一つ貸しができたね」――まるでそう言っているように見えた。
従順な彼女に突然別れを告げた結果 荒三水 @aresanzui
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