第30話
「佐々木さんって子が、来てるけど」
その翌日のことだった。時刻は朝の八時を回った頃。
布団の中にいた俺は、若干不機嫌顔で枕元に立つ母親に起こされた。
俺が朝母親に起こされるようなことは基本的にない。ましてや今日は日曜で学校は休み。
寝ぼけていた俺は一瞬何事かと面食らったが、頭が回りだすとすぐさま状況を把握した。
「……いないって言って」
「今日約束したって言ってるけど? 前に何度か見たことあるけど、知ってる子でしょ? バカなこと言ってないで早く出て」
口には出さないが、誰か来るなら前もって言っておけ、と不満が顔に書いてある。
母親は厳しい口調で言い捨てて、部屋を出ていった。
朝はたいていあまり機嫌がよくない。昨日は向こうも夜遅かったので、おそらく寝起きに近いのだろうし余計だ。
仕方なくベッドから這い出る。
昨日の去り際の一言。嫌な予感はしていた。
だがまさか、昨日の今日で、こんな大胆な行動を取るとは思っていなかった。
俺は追い返す気満々で、着替えもせずに玄関口へ出ていく。
「おはよ~」
扉の開いた玄関先で、純花は俺の姿を認めるやいなや、ふわふわした笑顔で手を振ってくる。
こちらの思惑もどこ吹く風。昨日と同じく、かっちり決めた装いだ。
「……何しに来たんだよ」
「デートに決まってるでしょ? 昨日できなかったからね」
「しねえよ。帰れ」
そう言って、扉を閉めようとする。
だがすかさず純花の手が伸びてきて、力強く扉の縁を掴んだ。
「そんな風に言わないで、ちょっと話だけでも」
「離せよバカ、新聞の勧誘かお前は?」
「うふふ、ともくん面白いこと言うね。かわいい彼女に向かって」
「はあ? 誰が彼女だよ? 昨日もう言っただろ、もうお前は彼女でもなんでもないって」
「かわいいは否定しないんだ、やった」
「かわいい彼女でもなんでもない」
「じゃあいいよ、かわいくない彼女でもいいから」
「どうでもいい、とにかく帰れって言ってんだろ」
扉ごと押し返そうとするが、向こうも負けじと踏ん張ってきてラチがあかない。
どの道力任せに追い出したところで、こんな朝早くに外で騒がれてもかなわない。
リビングには母親もいる手前、これ以上ここでゴチャゴチャ言い合いを続けるわけにはいかなかった。
相手の勢いをくじく意味も込めて、俺は大きく舌打ちして扉を支える力を緩める。
苛立ちを隠さず睨みつけてやれば、いつもならたいてい純花は怯む。
だが向こうはそれを許しの出た合図とでも思ったのか、扉を押し開けてずかずかと中に入ってきた。
「おじゃましまーす」
そして玄関に降りていた俺より先に、家に上がり込む。
そのまま止める間もなく、勝手に階段を上がり始めてしまうので、こっちが後から純花を追う形になった。
純花はそのまま勝手知ったる調子で俺の部屋に入ると、肩に下げていた鞄をテーブルに置いて、ベッドの端に腰掛けた。
「久しぶりに見たけどともくんのお母さん、やっぱりともくんに似てるね。まだ若く見えるし美人」
純花は悪びれる様子もなく笑いかけてくる。
俺はその笑顔には答えずに、無愛想なまま純花を見下ろして言った。
「……そんなことを言いに来たのかよ? ていうか、お前なんなの? マジで。朝っぱらから乗り込んできやがって、頭おかしいんじゃねえのか? ふざけんなよ?」
昨日は不意打ちを食らって完全に場を飲まれていた感があるが、今はこちらも腹が座っている。
まず威圧して、黙らせる。それから、改めて状況をわからせる。
俺がキレているとわかれば、すぐに笑顔を消して、謝罪の言葉を口にするだろう。これまでもずっとそうしてきたように。
ここまで来てしまえば母親にも聞こえないし、もはや遠慮する必要はない。
「ぷっ、ふざけんなよ、だって」
だが純花は謝るどころか、俺の物言いがさもおかしそうに口元を手で押さえた。
予想外の反応にあっけにとられていると、純花は上目遣いに下から覗き込むようにしてくる。
「ねえ怒ってる? あたしに対して」
「ああ」
「いつもの怒ってるフリじゃなくて?」
向けられたのは、まるでこちらの考えなどお見通しと言わんばかりの顔。
いつもの、という部分が引っかかり、返す言葉を失っていると、
「ともくんあたしに本気で怒ってるんだ? ふふ、そっかぁ、よかったぁ」
「……なにがいいんだよ?」
「だって無視されるよりずっといいから。どうでもいい人に対して、怒ったりしないもんね」
「それは違うな。どうでもいいヤツだってムカつくのはムカつくだろ?」
「ふふ、怒ってもともくんは優しいからなぁ~」
話が通じない。やはり様子がおかしい。俺の知っている純花とは違う。
まるで別人と話しているようで調子が狂う。というか気味が悪い。
ただやはり、純花は見抜いていたのかもしれないと思った。
自分の主張を通すために、不快さを露わにしたりわざと口調を荒げることはままある。
だがその背後で、それを見つめる冷静な自分がいる。それが怒ったフリだと言われたら、否定はできない。
そんなことをするようになったのはいつからだろう。
確か秀治の演技を見抜けるようになってから、俺は無意識にそれを真似て……。
「いやつうかマジさ……。ふざけんなよお前?」
「別にふざけてないし。ねえ、それやめて」
「何をだよ」
「あたし、言葉遣い汚いの嫌いだから」
「知らねえよ、なんでお前の言う事聞かなきゃならねえんだよ」
そう突き放すと、純花はおもむろにシャツのボタンに手をかけた。
何事かと注視すると、純花はそのまま表情一つ変えずに一つ二つとボタンを外し、軽く胸元をはだけさせる。
「なにやってんだよお前……?」
「ねえ、この状態で、きゃー助けてーって叫んだらどうなると思う?」
一階にいる母親は言わずもがな、程度にもよるがおそらく両隣の家にも声は届くだろう。
だがそれがどうした、と目線で答えると、
「言うこと聞いてくれないと叫ぶから」
「はっ、やってみろよ」
どうせハッタリだと思った俺は、すぐさまそうつっかえした。
すると次の瞬間、純花は若干上体をそらし、大きく息を吸い込んだ。
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