第17話


 北野の家は、学校の最寄駅から一駅乗ったところの、徒歩十五分ほどのマンションの一室にあった。

 俺の家がボロ家に見えるほど、高級そうなところだ。

 買うにも借りるにも、相当金がかかりそうだ。建物に到着した時点で、もしやコイツ金持ちなのかと察していたが、ここにきて確信に変わった。

 というのは……。


「今こんなものしかないけど、召し上がってください」

「あ……ども、おかまいなく」


 北野が出て行った代わりに、北野の母親が飲み物と菓子の乗ったトレーを持って部屋に入ってきた。

 これまで友達の家に遊びに行って、ケーキが出てきた記憶は覚えている限りではない。


 北野の母親は、がっつり化粧をしているわけでもなく、普通に美人だった。

 身に着けた高そうな洋服も、嫌らしくならない程度にシンプルにまとまっていて、清潔感がある。

 どこかふわふわした雰囲気があるが、目がパッチリしているところは、娘によく似ている。

 

 あの無愛想なのとは対照的に、にこにこと惜しげもなく笑顔を振りまいてくる。

 年はさほど変わらないぐらいだろうが、いつもカリカリしている俺の母親とは大違いだ。人種が違う。

 これが金持ちの余裕というやつか。なるほど、ウチが貧乏なわけだ。

 

「もう、どんな子を連れてきたのかと思ったら……。モテるでしょう?」

「いや、そんなことないっすよ、はは……」


 とはいえ、こういうノリは苦手なんだよな……。

 ウチの母親みたいに、会話は的確に最小限、ぐらいのほうが気楽でいい。

 菓子を置いてすぐ出て行くかと思ったら、北野母はそのまま膝をそろえて腰を落ち着けてしまった。

 

「もう、ほったらかしにしてどこ行ったんでしょうかねえ」

「ちょっと、トイレに行ったみたいっすけど……」

「あらまあ、デリカシーがないですよねぇ」

 

 もらし系女子だからな。

 緊張するとすぐ腹が緩むんだと。

 ……そうか、さっきのはあいつなりに緊張した、ってことか?

 あの程度でこんな調子じゃ、これから前途多難だな。

 

「ほんと、気遣いができなくて。もう一人っ子だからって、ちょっと甘やかし過ぎたかしらねぇ」


 一人っ子か。

 またどうでもいい情報を得てしまった。


「帰ってきても部屋にこもってばっかりで……」


 だろうなとは思っていたが、北野は結構なオタク趣味らしい。

 それは言われなくとも、部屋を見れば一目瞭然なわけだが……。

 

 壁を彩っているのは、なんかよくわからんアニメだのゲームだののポスター。

 天井近くまである本棚には、ぎっしりマンガや小説らしき本が詰まっている。

 それに表紙ですぐにそれとわかるBL本がぶんながっているわけだが……あいつ、よくも無防備に俺をここに入れようと思ったな。

 まあ、某有名キャラクターのぬいぐるみとか、ちまちました小物類なんかは女子の部屋といえば女子か。

 

 その後も母親が一方的に話し出すので、飲み物をちびちびと口に運びながら、愛想笑いで適当に話をあわせる。

 一見意味のなさそうな会話の節々にも、娘を気にかけている様子が見て取れた。

 少しのほほんとしているが、こうやって話しただけで俺の目にはこの人がまともな母親のように映った。


 やがて北野が部屋に戻ってきた。

 母親の存在に気づくなり、狼狽してあせりだす。


「ちょ、ちょっとなにしてるんすか」

「ん? ちょっと世間話」

「世間話って……。い、いいから早く出てって」


 北野はそう母親をせかして、無理やり背中を押すようにして部屋から追い出す。

 去り際「ごゆっくり~」なんて声をかけてきたが、内心どう思ってるんだろうかね。

 彼氏とまではいかないだろうが、その候補ぐらいには思われたか。

 いや、この子のことだからそんなことはないだろう、と思っているのかも。

 こちらとしては、学校で常に不審者ルックという娘の奇行を、どう思っているのか少し聞きたかったが。

 まあ、家では普通にしているのかもしれないな。


 肝心の北野は、なにかいろいろリセットしてきたらしい。

 母親がいたこともなかったことにして、すました顔で座り込む。


「ま、まあ……なんていうか、ちょっと見直しました。どうせそのへんのDQNっぽくアホみたいな大声だして、ガチャプレイするもんだと思ってたんで」

「なんでお前上からなんだよ、負けたくせに」

「まっ、負けてねーし、最後にちょっと接待しただけで、勝ち越してるし!」


 どうやらこの調子だと、胸に触れたことはスルーらしい。

 まあ、そのほうがこっちもありがたいが。

 

 だがそれきり、話すネタがなくなった。

 一応ネタというか、話すことはいくらでもできるのだが、なぜか向こうがだんまりな空気を出してくるので、自然とこっちも黙っているだけだ。

 俺に負けたことがよほど堪えたか、はたまたさっきの胸タッチを根に持っているのか。


 お互い無言で、用意されたケーキをつつく。

 出されたのはイチゴのショートケーキだったが、ふと見ると、北野はイチゴを断崖絶壁に取り残すような変な食い方をしていた。

 そんなくだらないことに夢中になっている北野の顔を見て、また少しひっかかる。

 やはり顔のつくりは整っているだけに、色々と惜しい。なにか垢抜けないんだよな、一体なにが……。


「……ところでその髪、どこで切ったらそうなる」

「はえ?」


 北野がバカっぽい顔で生返事をした。すっかり意識がケーキにばかり向かっていたらしい。

 俺がいきなり口を開いたせいもあるが、今のは油断しすぎだろう……。


「ああ、これはお母さんです」

「お母さんってなんだよ……。なんか理容関係の仕事してんの?」

「ただの専業主婦ですが? ずっと私の髪を切ってたらうまくなっちゃったんですよね~」

「はは、そうなんだ。まあクソだっせえけどなその頭。そのきのこの山みたいな頭」


 北野はいきなり黙ってしまった。

 もしかして気にしてたのか。とはいえ俺は正直な感想を言ったまでだ。

 

「それは……私もうすうす思ってましたけど!」


 なぜか半ギレ気味に返してきた。

 自覚はあったのか。美的感覚がおかしいとかそういうわけではないらしい。

 

「じゃあ、切ってもらうのやめろよ……」

「だって、春花ちゃん伸びてきたから切ってあげるわね、なんて言われたら、クソだっさい頭にされるから嫌! なんて言えるわけないじゃないですか!」

「そんな辛辣に断らなくてもいいだろ、普通に断れば……」


 ていうか、この年になって親にちゃんづけで呼ばれてんのかよ……。

 ああでも、あの感じだったら、ありうるか……。


「大体、切ってもらわなかったらどこで切るっていうんですか」

「いやいや、そりゃその辺の美容室とか行けばいいだろ」

「び、美容室とか……。チャラい美容師に連絡先聞かれてレイプされるじゃないですか」

「またそれかよ。連絡先聞く意味あんのかそれ? いろいろ飛びすぎだろ」


 すぐそれにもってこうとする。もはや様式美だな。

 冗談で言ってるんだろうが、それで乗り切れると思っているところが痛い。

 

「元は割といいんだからさ、ちゃんとすれば、それなりにいい線いけると思うけど」

「ふっ、知ってます」

「ウソに決まってんだろ」


 やっぱこいつ持ち上げんのやめよ。

 だがピクっと一瞬頬が引きつった所を見ると、実は見た目のことは結構気にしてるんじゃないか。

 どういう思考回路をしてるんだか。


「かわいくなって男からちやほやされたい、とか思わないわけ?」

「別に……どうでもいい人から好かれても、めんどくさいだけです」


 意外にも、北野はそうきっぱり言い切った。

 本人は何気なく言ったつもりなのだろうが……またしても妙に刺さる。

 どうでもいい相手に、思わせぶりな態度を取って気を引いて、上に立った気でいる。もしくは利用する。

 それで後でめんどくさいことになるぐらいなら、最初からやらなければよかったなと思うことはある。

   

「まあ、そうなのかな……」

「って、この前読んだ少女マンガに出てきた、痛々しいクールな勘違いキャラが言ってました」


 ……。

 ですよね。他人と接触を絶っている人が、そんな大層なこと、言えるわけないっすよね。


「えっ、今同意しようとしませんでした? しましたよね? ぶふーっ、くすくす……クールっすね~」

「ぐっ……」


 北野はさっきのお返しとばかりにひたすら煽ってくる。

 くそ、マジでムカつく……。

 一瞬頭に血が上りかけたが、すぐにバカらしくなってしらけてきた。

 ていうか俺一体なにやってんだろう……こんなところで、こんなやつと。


「もういい、俺もう帰るわ」

「うん、じゃあね」


 何だその普通の感じ。友達か。

 北野は俺を見送るでもなく、だらしなくベッドに横たわってスマホをいじりだした。

 しかし、ここまで女子からコケにされたのって、記憶にある限りではあんまりないような……うん、全くないな。

 俺は立ち上がると、足元にあったもう残り少ないティッシュの箱を拾い上げて、寝転ぶ北野の背中に向かって放り投げた。

   

「あいたっ、な、なにすんですかー!」

 

 そう声を張り上げる北野を無視して、俺は部屋を出た。

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