第14話

翌朝。

 気だるげな気分で登校するなり、誰と話すでもなく、一人席に着く。

 朝機嫌が悪いのはいつものことだが、今日はさらに輪にかけて、気分が優れない。

 それは、昨日の出来事のせいでもあるが……結局、気に入らないのは自分自身だ。自己嫌悪がいっそうひどくなった。

  

 そんな空気を察したのか、今日は誰も俺の席に近寄ってくる奴はいない。

 工藤なんかは昨日俺が断ったからか、露骨に態度を変えてきてやたらめんどくさい。

 さっきも教室の入り口ですれ違うなり、「昨日は純花ちゃんとお楽しみでしたか~?」とかぬかしてきやがった。

 ただの軽口だと頭ではわかっているが、実際その一言がかなりの効果を発揮していてそれがさらに腹立たしい。

 なのでいつもはどうでもいいはずの、隣の奴の挙動にすら苛立ってくる。


 北野は昨日と同様、朝っぱらからイヤホンをしながらスマホをいじくり回していた。

 俺が席に着こうがガン無視。まあそれはお互い様ではあるが、昨日の今日で軽くあいさつぐらいはしてやろうかな、ぐらいには思わなくもなかった。

 ただそんな気も一瞬で失せるぐらいに、北野は依然として拒否オーラを出してくる。

 本当になに考えてんだか……。


 北野はヒマさえあればスマホをいじっている。

 昨日、一体なにをそんな必死こいてんのかとこっそり覗き見たら、覗き見防止みたいなフィルムが貼ってあってイラっとした。

 誰もお前が携帯でなにしてようが興味ねえよ……と毒づいてやれないのがまたイラつく。

 気になっているというか、いや気になっているわけじゃないんだが、とにかく説明が難しい。

 それでちょっと意地になって覗いてやったら、ずっとなんかよくわからんゲームをやってるだけだったという。

 

 ゲームをやるのは別にいいんだが、しかしコイツに限らず、こういう輩のイヤホン装着率は嫌に高い。

 あいつら一体、何をそんな四六時中聞くものがあるのかと。

 俺も割と音楽は聴くほうだが、そんな隙あらばイヤホン、というような感覚はわからない。

 かねてからそんな疑問を抱いていた俺は、今ここに至って急にその謎を解明したくなった。

 

 俺はおもむろに席から立ち上がると、大またに一歩近づき腰を落として、すばやく北野の耳から伸びるイヤホンのコードを引っぱった。

 そうして引き抜いたイヤホンを、すかさず自分の耳に入れる。


 ……。

 流れてきたのは、いやにアップテンポなピコピコ音。

 女性ボーカルがやたら早口で意味不明な歌詞をまくし立てている。

 なんだこれ、わからん。さっぱりわからん。


「かっ!?」


 その時謎の奇声を発した北野が、くわっと目を見開いてこちらに首を回した。

 びん、とコードが突っ張って、俺の耳からイヤホンが抜ける。

 

「なっ、か、あ……」


 北野は化け物でも見たような顔で俺を指さしながら、口をぱくぱくさせる。これぞ声にならない声というやつだろうか。

 俺にしてみれば正直こいつのぎょろついたでかい目のほうが、化け物じみていて怖い。

 北野はあわててもう片方のイヤホンを耳から抜くと、手でコードをぐしゃぐしゃに丸めてしてブレザーのポケットに突っ込んだ。

 そしてキっと俺のことを睨みつけながら、

 

「……き、来て」

「は?」

「ちょっと、き、来て!」


 ガタっと立ち上がった北野は、わき目もふらず教室の入り口に向かって歩いていく。

 またこのパターンかよ……。と思いながらも、俺はその後を追った。






「これ、弁償してください」


 いつもの人通りの少ない渡り廊下。

 北野はコードがぐしゃぐしゃになったままのイヤホンを取り出してみせながら、俺の顔をまっすぐ見て言った。


「は、はあ? なんで弁償?」

「これ、さっき耳につけましたよね? もう使えないじゃないですか」

「いやいや、壊したわけじゃないし使えるだろ」

「違います、要するに汚いっつってんです。弁償してください」


 北野は強い口調で言い切った。

 何かと思いきやいきなり弁償って。

 いやまあ、確かに非があるのは俺のほうだが……潔癖症とかそういうやつなのかね。

 

「てかなんですか? いきなり人のイヤホン耳に入れるとか、ありえなくないですか?」

「いや、なんかノリでさ。ずっとイヤホンしてるのがムカついたから」

「でっ、出た~意味不明なDQN理論~」

「ああ、違う違う、なに聴いてんのかなって、気になったんだよ」

「なに聴いてようが人の勝手じゃないですか。第一、だったら聞けばいいじゃないですか、あ~やだやだ、もう口より先に手が動いちゃう典型的DQN」


 どうせ聞いても無視か、まともに答えないだろ。

 しかし多少は俺に気を許してきているのか知らないが、今日はやたら流暢にしゃべる。

 というかきっと、コイツは元からこういうクソうざい奴で、それを隠そうとしていたが早くも素が出始めている、というとこだろう。 


「悪かったよ。確かに俺の想像力が足りなかったな。世の中にはそういう変な人がいるって言うことに」

「どっちが変ですか。そうやって開き直って、全然反省の色が見えないんですけど」

「ああ、もういいよ。わかったよ、弁償するよ」

「え?」

「だから、弁償するって」

「え、あっ……マ、マジですか?」


 こっちが折れたとたんにこの反応。何だコイツ、全部冗談で言ってたのか?

 北野はさっきまでキレていたくせに、急にまごつきだしてしおらしい態度になる。


「や、やっぱいいです」

「え? なんだよ急に」

「よく考えたらその……お父さんに悪いですしね」

「はあ? なんで親父が出てくるんだ?」

「いやだからその……弁償って言っても、元をたどれば親の金じゃないですか」

「親の金? いやこづかいぐらいはバイト代から出してるから」

「え、あっ、ば、バイトですか……」

「それに俺、親父いねえから。親もう離婚してるし」

「り、離婚……」


 徐々に北野の声が小さくなっていく。

 そんなさもやらかしてしまった、みたいな態度をされると、こっちもやりにくいのだが。

 

 北野がもごもごしていると、登校時間終了のチャイムが鳴った。

 このまま押し問答していてもラチがあかないし、まどろっこしいのも嫌いなのですっぱり言う。

 

「まあいいや、じゃ放課後ちょっと付き合って。どこに売ってるかわかんねーし」

「えっ、いやあの……」


 またぼそっと何か言いかけた北野を置きざりにして、俺はさっさと教室に戻った。

 

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