第61話


「今日は、どうしよっか? ともくん決めて」


 放課後、いつものように学校すぐ近くの公園で待ち合わせ。

 今日も特に寄り道はせず教室からまっすぐ来たつもりだったが、すでに純花は公園入り口で俺を待ち構えていた。


「あぁ……今日は……」


 俺が思いついた案をすらすらと適当にいくつか並べ立てて、純花が「それがいい!」と食いついてくるのが普段の流れだ。

 実際はどこで何を、と言おうとも純花は喜々としてついてくるだろう。それがわかっていながらも、俺は何も口に出せずに口ごもった。


 昨日の晩からずっと考えがあちこち入り乱れて、まとまらなかった。頭の中は今日のこれからではなく、全く別のことを考えていた。 

 俺は期待するような純花の眼差しから、目をそらしながら言った。


「あのさ、今日は……やっぱ、帰ろうかと」

「ん? どして? 今日はバイトじゃないもんね? それともなにか用事? なんの用事?」


 純花は心底不思議そうな顔で小首をかしげながら、たたみかけてくる。

 俺がこんな風に言い出すのはこれまでにはなかったこととはいえ、こうも敏感に反応されるとは思わなかった。


「用事ってわけじゃ、ないけど……なんつーか、今日は、調子が悪くて……」

「えっ、そうなの大変! 熱あるの? 早く言ってくれればいいのに!」


 すぐさま純花が俺の額に向かって手を伸ばしてくる。

 あわてて腕を振り払う仕草をして、一歩二歩、後ずさる。

 

「いや違う違う、そういう、あれじゃなくて……」

「じゃあなに? ……あ、わかったお腹痛いの? 気持ち悪い? それなら今日はともくん家でゆっくりしようか? あたし、看病してあげるからね」

「ちょっと待った。だから……」

「だから何?」


 無理やり腕を取って歩きだそうとした純花は、急に振り返るなりじっと、俺の目を覗き込むようにした。

 煮え切らない俺の態度に、気分を害したようにも見える。


 足を引っ張る側。

 その言葉が、ずっと頭にこびりついて離れない。

 守る、だとか言える立場ではない。そもそも俺がいなければ、俺と付き合っていなければ、彼女はもっと……。


 ――何も考えないで過ごしているからそうなるのよ。もう五年生になるんだから、よく考えてから、計画的に行動するようにしなさい。


 勇気づけてくれたあの人の声は、再び俺を現実に引き戻す母親の声にかき消されていた。


「……お前本当に、このままでいいのか?」

「なあに、それ。誰かに何か、言われたの?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「そうだよね。あたしの好きに……したいように、してるだけなんだから。だってともくんも、言ったでしょ?」


 はっ、とした。

 俺はあの人と、同じことを言ったのだ。

 無責任な、言葉を。


「何があってもあたしのことずっと、見ててくれるんでしょ?」

 

 先のことなんて、どうなるかわからない。いつかはきっと、終わりが来る。唐突に。

 それは俺が自分でよく、わかっているはずだ。


 だって、もう、見てくれなくなったんだから。

 あの人だって……。


「誰? 秀治くん? それとも工藤くん? それとも……」

「だから別に、誰かに言われたって、わけじゃ……」

「嘘」

「は?」

「まっすぐ目、見て?」


 純花の瞳は、全くの無表情で俺の目を射すくめていた。まるですべてを見透かすかのようなその視線。

 瞬き一つしないまま数秒が過ぎた後、純花は突然くすっと口元を緩ませて、腕を伸ばして俺の後頭部に手を回してきた。

 そして手で頭を引き寄せながら、つま先立ちになって顎を持ち上げ、素早く俺の口元に唇を押し付けた。

 わずかに遅れてその感触に気づいた俺は、慌てて唇を離し一歩後ずさる。

 そんな俺の様子を見て、純花はさもおかしそうに声を出して笑った。

 

「くすくす、ともくんの今の顔、おっかしー。ビックリした?」

「なんなんだよお前、いきなり……」

「ともくんのほうこそ、いきなり変なこと言い出すから。まぁいいや、明日学校行ったら連休だしね。楽しみだなーお出かけするの。ねえ、そういえばあそこってさ……」


 俺の発言を遮るように、純花は話題を連休に行く予定のテーマパークへと移した。

 そのまま話の主導権を握り続けた純花は、それきり話題をもとに戻すことはなかった。





 そして翌々日の、連休初日の朝。

 純花と出かけるはずだったその日、アラームよりも早い時間に目が覚めるなり、体にひどい寒気を感じた。

 実は昨晩バイトから帰った時に、少し違和感はあった。おそらく雨降りの中、チャリで家とバイト先を行き来したせいかもしれない。

  

 ぼうっとした頭のまま、リビングに下りて体温計を使う。

 買い置きの風邪薬がないか戸棚をあさっていると、背後でちょうど起きてきた母親の足音がした。


「今日、休みじゃないの? 珍しいじゃない、こんな早く」


 いやみったらしく言われて相手にするのも面倒になった俺は、無言で棚を探し続ける。

 そんな態度を取れば向こうも無視するかと思ったが、母親は俺のすぐ側までやってきて、怪訝そうな顔で問いかけてくる。

 

「薬探してる? 熱出たの?」

「……ちょっと」 

「何度あるの?」

「七度八分ぐらい」


 実際は八度をわずかに越えていたが、少なくサバを読んだ。なんとなくだ。

 母親は一瞬だけ考える素振りをした後、


「病院、行く? 明日だと病院、休みになっちゃって診てもらえないわよ」

「いや、でも今日仕事……」

「大丈夫、午後からにするから。どうせ休出だし」


 出勤を遅らせて、俺を車で病院に連れていくつもりのようだ。

 向こうにしたら面倒事だろうが、それで苛立っている風には全然見えなかった。

 それどころか、いつもとはうって変わって声音も柔らかい。

  

「いや、いい。これぐらいならすぐ熱下がると思うし」

「本当? 大丈夫なの?」


 心配そうな顔をする母親に少し面食らうと同時に、思い出した。 

 俺は風邪なんて滅多に引くことはなかったが、俺が体調を崩したときは、いつも優しかった。

 それは俺がまだ小さかったからだと思っていた。

 けど風邪薬の残りが少ないと見るや、すぐさま車で買いに出た母親の姿を見て、どこか複雑な気持ちになった。



 しばらくして薬と飲み物の入った買い物袋を下げて戻ってきた母親は、手早く多めのお粥を作り置いてから、仕事に出かけていった。

 俺は少しだけお粥を腹に入れて薬を飲むと、再び自室の戻ってベッドに横になる。

 そしていよいよ重たい気分で枕元の携帯に手を伸ばすと、『明日、楽しみだね。おやすみなさい』というメッセージの下に返信を送る。


『ごめん、ちょっと体調悪くなっちゃって今日行けない』


 これだけ送って、もう電源を切って寝てしまいたかったが、さすがにそういうわけにもいかないだろう。

 案の定、数分もしないうちに返信がある。「え?」という変な絵のスタンプの後に、 


『体調悪いって、また? ともくん、ずいぶん病弱になっちゃったね』


 悪いのは俺に違いないが、言い方ってもんがあるだろう。

 先ほどの母親との落差もあり、カチンと来た俺はすぐさま返した。 


『なんだよ、その言い方は』

『だって、また嘘でしょ』


 ノータイムで返ってきた返事に、一瞬手が止まる。

 だがすぐに、


『嘘じゃねえっての』

『本当は行きたくないんでしょ? この前話した時も、なんかあんまりノリ気じゃなかったし』

『あれはお前が話をごまかすからだよ』

『なにをどうごまかしたの? ごまかしたのはともくんのほうでしょ? 調子が悪いとかって』


 そう返されて、またしても手が止まってしまう。

 単純に返す言葉が思いつかなかった。正しいのは純花のほうだと、自分でも思った。

 あのときは嘘で、今度は本当、なんて通るわけがない。

 それでも何か返さないといけないと思った俺は、

  

『人が熱で寝込んでるっていうのに、そんな言い方ねえだろ』

 

 そう送ると、今度はしばらく間があった後、一言。

 

『わかった。もういい』


 それきり、メッセージは送られてこなくなった。





 その後、よほど電話でもかかってくるかと思ったが、純花からはなんの音沙汰もなくなった。

 改めて謝罪をしようかとも思ったが、頭に血が上ったせいか熱がひどくなったように感じたので、携帯を放ってとりあえず眠りにつく。


 次に目が覚めたのは午後三時過ぎという中途半端な時間だった。

 ベッドから身を起こすと、かいた汗をタオルで拭いながら、一度下着を取り替える。


「げっ、マジか……」


 熱はあまり下がっていなかった。

 今度こそ七度八分。

 

 リビングで残りの粥を口に入れて、またベッドに戻ってくる。

 その後も風邪は意外にしつこく、七度後半を維持したまま、一日が終わった。

 早めに帰宅した母親も、珍しく部屋にまで様子を見に来た。

 あまり心配されるようでも気味が悪いので、もう熱はだいぶ下がったと言った。


 少し遅めの夕食の後、いつの間にか床に落ちていた携帯を拾って確認すると、結構な量のメッセージが溜まっていた。

 ほとんどが純花の謝罪のメッセージのようだった。

 ぼうっとした頭で、画面をスライドさせてそれを眺めていく。


『勝手に嘘だって決めつけて……ごめんね? サイテーだよねあたし』

  

 最後はそれで終わっていた。それがほんの数十分前に送られてきたものだ。

 熱のせいかあまり長文を打つ気力もなかったので、

 

『別にいいよ』


 とだけ返して、再び眠りについた。

 


 その翌朝には熱は一気に平熱まで下がって、風邪の症状もすっかり和らいだ。

 少し遅めに起きて、また用意してあったお粥を流し込み、一応部屋で安静を取る。

 特にすることもなく、なんの気になしに携帯を手に取ると、またもや純花からいくつかメッセージが送られていることに気づく。

 それに着信もあったようだ。

 

 これは一度電話で改めて謝罪したほうがいいかと思いながら、メッセージを確認しようとアプリを立ち上げると、最初に写真らしき画像が目に飛び込んできた。

 一体何を送ってきたのかとよくよくその画像を見るなり、俺は愕然とした。

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