第49話


 指定の場所――いつか春花と一緒に来たことのある校舎の裏には、四人の男子生徒がたむろしていた。

 俺が場に現れるなり、そのうちの一人、面識のある顔が誰よりも先んじて口を開く。

 

「なんだよ、生意気な奴ってお前だったのかよ」


 会えばたいてい軽薄そうに笑っている篠原が、若干気まずそうな表情で頭をかく。

 俺は残り三人の刺すような視線を受け流しながら、無造作に地面に転がっている一対の革靴を指差して言う。


「その靴、結構高いんスよ。一応、姉貴に高校合格のお祝いでもらったやつなんで」

「あぁ?」

 

 俺のぶっきらぼうな物言いが気に障ったのか、背の低い五分刈りの男が一歩前に出てきて、ぎょろりと目を剥いて唸る。

 あっという間に一触即発の気配になるのを、篠原が大げさに手を振って制した。


「ちょっと待て横山」

「んだよ篠原、年下の奴にビビってんのか?」

「ビビってねーよ。そもそも俺、その水上っていう奴知らねーし、パス」


 篠原は軽く両手を上げてお手上げのポーズを取ってみせるが、依然として緊張状態は続く。

 水上という単語が出て、やはりそれ絡みだというのは確定した。てっきり本人が出張ってきたのかと思っていたがそうではないらしい。

 水上の兄は他校の三年だと言っていたので、きっとこの場にいる誰かと横のつながりがあるのだろう。


「水上がすんげーチョーシくれてるって言ってたぜ? お前、こいつと知り合いなん?」

「中学んときの後輩だよ。ほらあれ、お前らも知ってるだろ? 北山中の乱闘騒ぎ」


 篠原の一言で、男子生徒たちの俺を見る目つきが変わった。

 北山中の乱闘騒ぎとは、俺が中学時代に他校とサッカーの練習試合をした時の話だ。

 その時の相手、第二中の選手たちはマナーが悪いので有名で、試合の前から小競り合いがあったり、実際の試合中もラフプレーが多かった。

 試合は俺達が勝ったが、ユニフォームを引っ張られて破かれそうになったり、激しいチャージでこちらにけが人が出たりなど散々だった。


 さらにその試合後、帰り道で偶然第二中の生徒と出くわして言い合いになり、終いには殴り合いのケンカにまで発展した。

 お互い六、七人が入り乱れての乱闘になり、両サイドともに大いにけが人が出たが、最終的には痛み分け。

 当事者達は誰もが口をつぐんだため公に大きな問題にはならなかったが、一部の生徒の間ではかなり有名な話になっていて、変な尾ひれまでついている。

 

「そん時コイツ、一人だけ無傷だったから」

「無傷じゃねーっすよ。俺、相手の顔面殴った時に指の骨折ったし」

「みたいなことを生意気にも言うわけだ。まあ、やんなら前歯の一本二本いかれる覚悟で行かないとねえ~。だから俺はパスって言ってんだよ」


 篠原とそんなやり取りをしていると、周りの男達はすっかり黙ってしまった。

 俺は無言で転がった革靴を拾い上げて靴を履き替えながら、


「いや、つーか人のもの勝手に持ってったら犯罪じゃないですかね。これ職員室ですかね、それとも警察とか行ったほうがいいんですかね」

「いやぁそれは困るなぁ早坂くん! 高校は出ておきたいよぉみんなきっと!」


 するとすかさず篠原がいつものおどけた調子に戻って、バンバン、と背中を叩いてくる。

 まあ今回は水に流せよとばかりに、アイコンタクトも忘れない。

 どの道面倒なのでそんなことをするつもりはないが、今後また色々言ってこられるのも困る。

 

「ヤッパこいつ、チョーシこいてね? 一回ここでフクロにした方がいいんじゃねーのか」

「あーやめとけやめとけ、元々こーいう奴だから」

「篠原お前ナメられてんじゃねーのか?」


 今度はああだこうだと篠原が詰め寄られる。

 どうやらこのまま帰らせてはくれなさそうなので、


「殴られたら殴り返しますよ? 一人だけやられるのは嫌なんで、誰か道連れになってくださいよ」


 そう言って、相手全員に視線を走らせる。

 多人数の場合、こうやって言えば相手は絶対嫌がるっていうのはわかっている。

 篠原を抜いて三人だとしても、同時に来られたらおそらく勝ち目はない。

 だが、狙いを絞ればどいつか一人に一矢報いることはできる。

 多人数で腹が座っていない分、自分がその狙われる一人になるのは誰だって嫌だろう。

 


 それで再び相手が黙ったのを見て、さてこれで帰れるか、と思った矢先。

 背後から足音が聞こえて、もう一人、見知らぬ男子生徒が現れた。

 見るからにアウトな金髪で耳にはピアス、はだけたワイシャツの下に派手なシャツを着込んでおり、一瞬本当にここの生徒なのか判断に迷った。

 そいつはしきりに携帯で誰かと話していたようだが、ちょうど話し終えて携帯をしまうなり、


「ン何よ? 何ゴチャゴチャやってんの?」

「リ、リョウ君……来てたのか」


 先ほどしきりに粋がっていたボウズ頭が、ややぎこちない作り笑顔で答える。

 リョウ君と呼ばれたそいつは、お前なんか眼中にないとばかりに無視して俺を見て、


「ん? 誰? なに、こいつシメんの? あはは、イケメン君じゃん。誰だかしんねーけど」


 何がおかしいのかケラケラと笑いながら、俺の顔をなだめすかすようにすると、


「よっし、おいちゃんがタイマンで相手してやるぞー。おーし、来い、来い!」

 

 そう言ってバシンバシンと拳を自らの手のひらにぶつける。 

 かなり言動がメチャクチャだったが、場にいた全員がいきなり現れたこのリョウとか言う奴の勢いに飲まれていた。

 あの篠原さえも口出しせずに、ただ苦笑いをしている。

  

 すぐ直感した。コイツは本当にヤバイ奴だと。

 マジで関わったらマズイ奴……。大体タイマン張るとかどこの田舎のヤンキーだって話だ。

 

「ふ、ふははっ、さすがリョウ君、コイツ調子こいてるからやっちゃってよ」

「は? うぜーな、なんでオレに命令してんの?」

「え? い、いや命令だなんて……」


 ボウズ頭が焦って弁解を始めた瞬間、体のバネを使った激しい前蹴りが脇腹に入る。

 人一人分後方に飛んだボウズ頭は、腹を押さえたまま地面に転がり、苦しそうなうめき声を上げだした。


「悪い悪い、邪魔入ったね~、んじゃ、準備して?」

 

 そして何事もなかったかのように、リョウと呼ばれている男はこちらに向き直った。

 ここで逃げたところで、こいつは嬉々として追いかけてきそうな予感すらする。

 腹をくくった俺は、肩にかけたカバンを脇に置いて、軽くその場で飛び跳ねてみせる相手と向かい合った。


 



 

「や~あんた勘がいいよ。なんつーか、センスを感じるね」

 

 最後はとんでもなく強烈なボディーを入れられてうずくまった俺に向かって、キチガイ野郎が上から笑いかけてくる。

 確実に何らかの格闘技をやってやがる上に、かなりケンカ慣れしていて圧倒的に場数が違う。

 キレてケンカするわけでもないので、いたって冷静。全く付け入るスキがない。

 あちこちボコボコに殴られ蹴られ、こちらはかろうじて一発だけ顔面に入れることができたが、唇が切れて血が出てもヘラヘラ笑ってやがった。それどころか嬉しそうですらある。

 

「ファイトマネーだよイケメン君。ジュースでも飲みなよ」


 とか言って、なぜか二百円握らされたが口の中が切れまくっていて飲めるかって話だ。

 最悪なのは妙に気に入られてしまったらしく、しっかり名前を覚えられた。

 正直こういう頭のおかしい輩とは、金輪際関わりたくない。




 

 嵐が去った後、篠原以外の三人は何も言わずにいなくなった。

 手ひどくボコボコにされた俺を見て、もう十分だという判断らしい。

 一番粋がっていたボウズ頭が、必死に腹を抑えながら青白い顔をしていたのが妙に印象に残った。

 他に誰もいなくなると、篠原は腰を落として壁にもたれかかる俺に軽く笑いかけてきた。

 

「よう大丈夫か? ツイてなかったな」

「……なんなんすか、あの頭おかしい奴は……」

「ああ、あれはちょっとな……俺も、なんとも……。知らねー奴にいきなりケンカふっかけるとかよくやんのよあいつ。確かこの前停学食らってたと思ったんだけど、もう解けたんかな? まだ退学になってね―のが奇跡だわな。でも機嫌よくてよかったな。そんぐらいですんでよかったよ、アイツキレっとマジでヤベーから」

「でしょうね……」

「それとお前が一発入れた時はマジびびったわ。しかしお前の場合、殴られても男前にはならねーな。ふはは、普通にブサイクになったなー。どうするー救急車呼ぶか?」

「いや、いらないっすよ……」

 

 一歩も動けなくて帰れそうもない、というレベルではない。少し休めばどうにか大丈夫そうだ。

 鏡で見てないのでわからないが、このズキズキ痛む感じは後でもっと腫れるだろうな、と嫌な予感はしている。

 それよりも今は腹が……ヤバイことになっていて、立ち上がれるまでしばらくかかるかもしれない。


「つってもケガ人放置していくほど鬼じゃねーから……俺は止めようとしてやったんだぜ? まあハッタリ効いてたみたいだが……リョウさえ来なけりゃな、って感じだが」

「そりゃ、どうも……」

「お前、今ケータイ持ってる?」

「え? ああ、鞄に……」


 質問の意図が読めないままとっさに答えると、篠原はいきなり俺の鞄を開けて中を探り出した。 


「さてケータイケータイっと……」


 そしてすぐに俺の携帯を取り出すと、勝手に弄くりだす。

 

「ち、ちょっと……」

「えっと、この純花っていうの呼べばいい?」

「あ、いや待っ……」


 発信着信の履歴かなんかから勝手に探り出したのだろう。

 すぐさま止めようとするが、痛みであまり身動きが取れない。


「あ、もしもしぃ? ああ、オレオレ早坂。ちょっと今ボコられちゃってさ~」


 そうこうしている間に、篠原は携帯を耳に当てて喋りだした。

 おそらく電話の向こうで純花は戸惑っているだろうが、篠原は一方的に話した後電話を切った。


「いやーいいねーあの感じ、可愛い声。すぐにでも飛んできそうだわ」


 篠原が意味ありげに、にやにやと笑いかけてくる。

 しかし最悪なことしてくれるなこの人は。本人は親切のつもりなんだろうが、正直迷惑でしかない。

 篠原は携帯を鞄の中に戻すと、急に真面目な顔に戻って、 

 

「早坂よぉ、何やったんか知らねーけど、おとなしくしといたほうがいいって。先輩からの忠告だ」

「それって……」

「ぶはは、みたいな? なんかかっこよくね俺? ぶっちゃけ俺も詳しくは全然知らんのよ。でもまあ、リョウにやられたって言ったらもう終いじゃねえかな~……。さて、純花ちゃんとの待ち合わせ場所に行くか。立てっか?」


 そう言って篠原は俺に肩を貸して立ち上がらせると、校舎裏の道をゆっくりと歩き出した。

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