第29話 辞令は突然に…

今年はなんとも言えない切なくて虚しい幕開けだった……。

あの夜を思い出し、私はまたため息をついた。


気を取り直して、新調したばかりのバレッタをつけると少しだけ気合いが入る。


仕事始め……頑張りますか!


こうして仕事人間なフリをすれば、少しだけあの虚しい夜から目を背けていられるような気持ちになった。


「明けましておめでとう。今年もよろしくね」


上司が微笑む。


「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


私は笑顔でそう返すと、デスクに向かってメールチェックをした。


「10時からミーティングするから集まってね」


上司はそう言うと、取引先に挨拶の電話をかけた。

すっかりいつもの風景だ。

仕事なんて早く辞めて専業主婦になりたいと嘆いたあの頃の夢は粉々に砕け散り、今は仕事にすがりたい気分だと都合の良いことを思う。

どんなに冷たくされても、これ以上彼を嫌いになれないのなら、せめて今は仕事人間にでもなろう。


「例年より1ヶ月程早いのだけど、辞令が出ています。3月1日付けでの異動です」


会議室で私は手元の資料に目を向けた。

その瞬間。


「営業部、一瀬美愛」


……。


「は、はい!」


自分の名前が呼ばれると思っていなかった私はハッとして返事をした。


異動?

営業部?

返事をしたものの、まだ頭の中は混乱している。


「営業部と言っても、美愛ちゃんには営業事務という形で営業部をサポートしてほしいの。営業部は新しくグループ会社から女性の営業部長を迎えて新体制になります。始めは大変なことも多いかと思うけど、私たちもできる限りサポートするつもりだから頑張ってね」


動揺している私に上司はこう言うと、淡々と次の辞令を読み上げた。

改めて書類に目をやると、営業部の名簿の中に彩香さんの名前があるのを見つけた。

新体制だと聞いたが、何度も一緒に仕事をしている彩香さんが同じ部署なら心強いと少しだけ安心するのだった。


「とりあえず、2月までは今の部署で引き継ぎ業務等をしていただくことになりますので、皆さんよろしくお願いしますね」


上司はこういうと会議室を後にした。


この1年、とにかくがむしゃらにやってきた。

奈那が言う仕事人間になっているかはわからないけれど、少しずつ仕事にやりがいも感じてきたし、いつだったか、そんな私を一生懸命だと、イチくんが褒めてくれた。

本当に我ながら単純だと呆れるが、そんなイチくんの一言を思い出してはそれが驚くほどの原動力となる。

大好きな人の一言は偉大なのだ。


私がもう少し仕事を頑張ったら……

あなたは振り向いてくれますか?


そんな馬鹿げた質問をしたところで、彼が返事をくれるはずもないだろうけど、そんな1mmの期待を胸に今日も頑張ろうと思うのだった。

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