第31話 少しずつ

少しだけイチくんに近づけたのか、それとも遠ざかったのか、分からないまま、日々は過ぎていく。


一方、仕事では引き継ぎ業務に追われながら、異動の日が近づいていた……


「美愛ちゃん、2月12日休みだと思うんだけど、営業部への挨拶を兼ねて午前中だけ打ち合わせに参加してほしいの」


その日は休日出勤の代休を取っていたが、特に予定もなかった。


「2月12日ですね。かしこまりました」


私は手帳に予定を書き込んだ。


そしてまた不安が押し寄せる。


きっと大丈夫。

今までやってきたみたいに、目の前のことをひとつずつやっていけばいいだけ。


『どういう環境になったとしても、美愛ちゃんらしくやればいいんじゃないかな。今までみたいに』


ふとイチくんの言葉が浮かぶ。

そうだよね。

私は変わらない。今までだってこれからだって。


私は心の中で自分に言い聞かせて手帳を閉じた。


***


その次の休日、私は梨乃とランチをした後、梨乃に買い物に付き合って、と言われてショッピングモールに来ていた。

お正月モードが終わったと思ったら一斉にバレンタインモードに切り替わる店内。

相変わらずの切り替えの早さに今年は尚更戸惑っている……。


「今年はアイツ、手作りがいいとか言い出して、ほんと面倒くさいよ」


そう言うと梨乃がラッピング袋を手に取った。


梨乃には大学生の頃から付き合ってる彼氏がいて、校内でも2人の仲は有名だった。

そんなお似合いの2人だが、年月が経つごと付き合いたてのようなドキドキはなくなり、友達のような感覚になっているという。

それでもそんな2人の安定した関係が羨ましい。


「あ、もちろん美愛もあげるんでしょ? イチくんに、バレンタイン」


営業部との打ち合わせの件ですっかり忘れていたが、梨乃のその一言で一応バレンタインというイベントが私にも関係がないわけではないということに気づかされる。


「バレンタインかー」


ぼやっと呟いた私に、梨乃は目を輝かせて


「ほら、これとか可愛いじゃん」


と、さっきの面倒くさそうな態度が嘘だったかのようにラッピングを選び始めた。


「彼氏にもそれくらい真剣に選んであげなよ」


私のツッコミに聞く耳を持たず、楽しそうな梨乃に、まだ会えると決まったわけでもないのにつられて楽しくなる。


「もし断られたら私がもらってあげるからさ」


梨乃はそう言ってポンと私の肩を叩いた。

その何気ない一言がぐさりと刺さる。


断られるかも……しれないよね。

現に1度断られている。

あのライブの件は断られて良かったと思ったが、今回は断られたら立ち直れるかどうか……。

それに……2人きりのあの切なくて苦しい夜を思い出す……。

断られる可能性の方が確実に大きいよね。


「そう言ったからには責任もってちゃんと食べてよね」


私はそう言いながらも、心のどこかで会えることに期待しながら、ラッピングの箱を選んでカゴに入れた。


また断られるかもしれない。

例えその可能性の方が大きくても、少しずつ時間をかけて、少しでもイチくんに近づけるように、前に進みたい。


このバレンタインというイベントがまたひとつ私の背中を押してくれた。

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