第9話 確信のトキ

季節は変わり、夏になっていた。


ちょうど今、仕事で取引先との打ち合わせが終わったところだった。


「ではまた連絡させていただきます」


そう言うと私は挨拶をして、取引先の会社を後にした。


「あっつ!」


外に出ると真夏の日差しが容赦なく照りつける。

冷房が効きすぎていた社内とのあまりの温度差にふらついてしまいそうだ。


「美愛、最近仕事慣れてきたんじゃない?」


こう言ったのは隣を歩いている川崎彩香かわさきさやかさん。他部署で営業をしている。

優しくて穏やかなのに仕事ができて、かっこいい、憧れの先輩だ。

今まで私がなんとか仕事をこなしてこれたのは彩香さんのお陰だと言っても過言ではない。


「そう……見えますか?」


少し認めてもらえたようで嬉しかった。


「うん! それに……前より明るくなったよね?

あ! 恋してるとか?」


予想外の彩香さんの質問に私は戸惑った。

こんなとき浮かぶのはやっぱりイチくんの笑顔……。


「ないですよー! あはは」


私はその場をやり過ごした。


「なんだー外れかぁー残念!」


彩香さんがそう言って笑うと、私たちは駅に向かってまた歩き出した。


***


次の週末、また私はイチくんたちの地元駅にいた。

イチくんが駅前のスーパーまで迎えに来てくれたので、私たちは買い出しをして、 いつものようにイチくんの家に向かう。


「先に家に入ってて」


イチくんがそう言うと、奈那と蒼斗くんはいつものハイテンションでイチくんの部屋に入って行った。


私はイチくんの車に残っていたさっき買ったばかりのお酒が入った袋を持ち上げた。


(やばっ意外と重い……)


だけど、1度って手に取ってしまったら戻すわけにはいかない。

私は気合いで袋を持ち上げると少しよろけたが、そのまま歩き始めた。

その様子にイチくんは気づいていないようだったが、車の中の荷物を確認し終わったのか、後ろの方でトランクを閉める音が聞こえた。


車庫からイチくんが住んでいるアパートの部屋まで全く距離はないのだか、重い荷物を持ってしまったせいでその距離がやけに遠く感じた。


そして私は荷物に気をとられて、イチくんのアパートの入り口にある段差の存在をすっかり忘れていた。


「うわっ!」


段差につまずき、バランスを崩した。

やばい、と思ったその瞬間、イチくんが私の腕を掴んで引き寄せた。


「大丈夫!?」


目を開けると私の顔のすぐ横でイチくんが覗き込んでいる。

ドキドキする鼓動が聞こえてしまいそうなくらい近い……。


「ここの段差、夜見えないから……」


私だってこの家に来るのは初めてじゃない。

ここに段差があることは知っていて、いつも気を付けている。

なのに、今日に限って……。


「ごめんね。うっかりしてた。ありがとう」


私は俯いた。


「一番重い荷物持って行ったから、変わろうと思ったらその瞬間につまずくんだもん……。引っ張っちゃってごめん。腕痛くない?」


この人はどこまで優しいんだろう。

助けてくれたのに、ごめん、だなんて……。


「ううん。転んでたら流血レベルだったよ! 本当にありがとう」


私は笑って言った。


「大丈夫なら良かった」


イチくんはいつものように笑った。


そしてその瞬間に私は確信してしまうのだ。


この笑顔を私は……大好きなのだと……。



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