第56話 今夜君の隣で……

週末が近づくと少しだけ気持ちが楽になる。

仕事帰りの駅のホームで私はスマホを取り出す。


「お疲れさま。さっきまで昔のバイトのメンバーで飲んでたんだけど解散したところで、今から来れるかな?」


蒼斗くんからだった。


「ちょうど仕事が終わったところだったの。蒼斗くんの地元駅に行けばいいかな?」


蒼斗くんからの返信は早かった。


「うん。地元駅に来てくれるかな?」


「そしたら今から行くね」


蒼斗くんに返信すると、私は蒼斗くんの地元駅に向かう電車に乗った。

イチくんや蒼斗くんに出逢うまでほとんど乗らなかったこの路線から見える景色はすっかり馴染みのものになっていた。


***


蒼斗くんたちの地元駅に着くと改札の前で蒼斗くんが待っていた。


「遅くなってごめんね」


「俺の方こそ急にごめんね」


蒼斗くんは一瞬申し訳なさそうにしたが、その後蒼斗くんが口にしたのは予想外な言葉だった。


「今日さ、両親が旅行に行ってていなくて、良かったらこれからうちで飲まない?」


蒼斗くんは実家暮らしだ。

ご両親がいない家に勝手に上がって大丈夫なのだろうか……。なかなか大胆な提案に少し戸惑う。


「ご迷惑にならないかな?」


「うちは大丈夫だから気にしないで」


その『大丈夫』がどれくらいの根拠を持つのかはわからないが、戸惑いながらもその言葉にあっさり押されてしまった。

私たちはコンビニでお酒や軽食を買うと蒼斗くんの家へと向かった。


住宅地の奥に佇む一軒家。

そこが蒼斗くんの家だった。


「お洒落なお家だね」


「そんなことないよー。さぁ上がって」


そう言うと蒼斗くんは玄関のドアを開けた。


「お邪魔します……」


玄関を上がるとわりとすぐにリビングがあった。


「そこに座っててね」


蒼斗くんに促され、私はソファーに腰かけた。

そしてさっき買った飲み物や軽食をテーブルに並べると、蒼斗くんは私の隣に座った。


「では乾杯」


そして私たちは飲み始めた。

最初は蒼斗くんの話を聞いていた。

さっきまで飲んでいたという昔のバイトメンバーの中には奈那もいたようだが、やっぱりイチくんの姿はなかったらしい。


「美愛ちゃんと会うこと奈那ちゃんに言っちゃったんだけど、大丈夫だった?」


多分蒼斗くんが私に会うと話したのは軽い気持ちで、そこに意味などなかったのだろう。

だけど奈那だからなぁ……。


「うん、大丈夫だと思うよ」


私は曖昧に返事をした。

だけど、こうして私に確認をしてくれるということは蒼斗くんは奈那の性格を見抜いているということなのだろうか……。

私の言葉に安心したのか、蒼斗くんは仕事のことやサークル時代のこと、いろんな話をした。


「美愛ちゃんは仕事どう?」


飲み終えた缶をテーブルに置くと蒼斗くんは優しく静かな口調で言った。気に掛けていてくれたのだろう。


「うん……。またいろいろあったよ」


私は職場での出来事を話をした。


「それはまた大変だったね」


蒼斗くんは真剣に聞いてくれる。

そして私は救われる。


「美愛ちゃん、大丈夫?」


心は限界に達しそうだった。

だけど、こうして目の前にいる蒼斗くんが私の支えになってくれている。


「仕事をしているときは正直……逃げたくなる。だけど、こうして蒼斗くんが話を聞いてくれて救われてるよ。本当にありがとう」


その言葉を聞いた蒼斗くんはまた真っ直ぐに私を見た。


「俺は美愛ちゃんの支えになりたい」


蒼斗くんには十分支えてもらっている。だけど、こんなこと言われたら私はきっと……もっと弱くなる。


「私ね、ずっと強がって生きてきた。イチくんの前でも奈那の前でもきっとそうだった。でもね、蒼斗くんの前では素でいられる。だから蒼斗くんといるともっと弱いところも平気で見せてしまうかもしれない自分が怖いの」


蒼斗くんの前では強がりの仮面なんて無駄なもので、最初からその仮面の奥の私を見られている気がしていた。


「俺の前では強がらなくていい。ありのままの美愛ちゃんでいてほしい」


蒼斗くんの優しさにまた涙が出そうになって思わず下を向いた。

だけど、蒼斗くんはその私の一瞬の表情さえ、見逃さなかったかのように、私の肩をそっと抱き寄せた。


「美愛ちゃんがたくさん頑張ってきたことを知ってるから。俺の前では無理しなくていいんだよ」


蒼斗くんの腕の温もりに身を預けて蒼斗くんの肩にもたれかかった。高鳴る鼓動が伝わってしまいそうでまたドキドキする。


「蒼斗くん、ありがとう……」


私が震える声でこう言うと、蒼斗くんの腕は更に力強く私を抱き寄せた。


蒼斗くんの腕の中では嫌なことを全てを忘れられるような気がした。

辛い現実からいつまでも目を背けていられるような錯覚をしてしまう程に、温かく優しい時間が流れていた……。

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