第55話 無駄な時間

「戻りましたー」


彩香さんと相良さんが昼休憩から戻ると、私は取引先から電話があったことを彩香さんに伝えた。

そして、教育担当である相良さんには一部始終を話さなければならなかった。


「えー!? それメモ用紙で良くない?」


隣で話を聞いていた彩香さんが驚いていた。


「でもそれが黒石部長あのひとですよね」


相良さんが冷静に呟く。


「手書きの報告書なんて出したら、上層部に突っ込まれるのは黒石部長だろうに……」


彩香さんが首を傾げた。


「なので、申し訳ありませんがしばらくこの作業を行わせていただきます」


「この忙しいときに余計な仕事増やしてくれるわね。でもあの人の命令だから仕方ないわ。まぁがんばって」


私が申し訳なさそうに謝ると、相良さんはこう言い放ってデスクに戻った。


私は再び手書きで報告書を書き始めた。

恐ろしい程の量……今日中に終わるだろうか。

上層部の人も目を通す重要な報告書……。私はできるだけ丁寧に書き進めた。


そしてしばらくすると、黒石部長が戻ってきて、私の方へ近づいてくる……。

今度は何を言われるか、黒石部長が近づいてくるだけで心臓がバクバクする。


「何してるの?」


その一言に驚いて私は顔をあげた。


「先程の印刷ミスの報告書を手書きで書いております」


ほんの1時間前に与えられた仕事をしているだけだ。


「まだそんなことしてるの? もういいよ、それメモ用紙にしましょ」


そう言うと黒石部長は去っていった。

私は何を言われているのか、状況がつかめなかった。


「それ結局メモ用紙になるのね」


きょとんとしている私に後ろで相良さんが呟いた。

黒石部長は結局最初から手書きの報告書なんて提出する気はないのだ。

私はまた報告書を印刷し直した。

無駄な時間だった。


***


あの莫大な量の報告書を手書きで書くことからは逃れたが、無駄な時間を過ごした分だけ残業時間が増えた。


彩香さんと黒石部長が帰った後、相良さんからまたお説教を受けたのは言うまでもない。


「いい? そもそもあなたがこんなミスをするからいけないのよ。こういうひとつひとつの積み重ねが、彩香さんに莫大な迷惑をかけることになるのよ」


私は頭を下げるしかなかった。


「いつも足を引っ張ってばかりで……はぁ、一瀬を見てると本当にイライラする」


『イライラする』


その言葉は相良さんの口癖のようになっていた。

その言葉を聞く度、私は自分がどれ程ダメな人間なのか思い知らされる。


営業部に来てから私は日に日に自分を失っていくような感覚に陥った。

私って何だろう?

迷惑をかけて、足を引っ張ってばかりで、人を苛つかせる。


相良さんに言われた『消えてほしい』という言葉を思い出す。

簡単に辞めることができたらいいのに……。

だけど、そうする勇気もなかった。

それなりに苦労して就職活動をして、ようやく内定をもらった会社……。


きっとまだ頑張れる。

何のために頑張るのか、なぜ頑張らなければいけないのかわからないまま、私は自分に言い聞かせた。


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