第54話 惨め
週末に少しだけ傷を癒して、私は出勤する。
そうしてまた1週間が繰り返されていく。
そんな毎日の中でも、イチくんへの気持ちが全く消えたわけではなく、モヤモヤした蟠りのようなものが胸の奥に残ったまま……。
だけど考えれば考える程に仕事に支障をきたすと思い、忘れたフリをしている。
「一瀬さーん」
黒石部長に名前を呼ばれてハッとする。
「はい!」
私はすぐに黒石部長のところへ行った。
「この報告書、明日の全体ミーティングで必要だから、あと50部コピーしておいてね」
そう言うと部長は原本を差し出した。
「畏まりました」
私は原本をコピー機に持って行くと、原本をコピー機にセットした。
試し刷りをして、問題がなさそうなので、50部にして確定キーを押した。
ピーと音を立ててコピー機が動き出し、次々と印刷された用紙が出てくる。
ガタガタガタガタ……ピーッ。
「待って! 嘘でしょ!?」
小声ではあったが、思わず心の声が漏れてしまった。
明らかに印刷した半数以上が印刷ミスされて出てきたのだ。
私は青ざめた。
(とりあえずこれ、何とかしなきゃ)
私は印刷された報告書をまとめると、ひとまず自分のデスクに戻ろうとした。
うまく引き出しかどこかに隠せば何とかなるはず。
そして昼休憩に行っている彩香さんが戻ってきた時にコピー機を見てもらおう。
その瞬間、電話が鳴った。
こんなときに……。
私は報告書を隠す余裕もなく、報告書をデスクに置いたまま電話に出るしかなかった。
「はい、株式会社◯◯、一瀬でございます」
相手は取引先の女性だった。
「只今川崎は席を外しておりまして……はい」
そして私の嫌な予感は的中し、向こうから黒石部長がやってくる。
「1時間程で戻ると思いますので、川崎から折り返しご連絡させていただきます」
そして黒石部長は私のデスクまでやって来て、デスクに置かれた報告書をペラペラとめくり始めた。恐ろしい程にゆっくりと……。
その中にはもちろん印刷ミスされた報告書も入っている。
もうおしまいだ。
「はい。畏まりました」
この取引先の女性がもしも、とても気さくでお喋り好きな暇人だったらと願う。そうすればこの時間を稼げるのに……。
「はい。よろしくお願い致します。失礼致します」
そんな願いは虚しくあっさり電話は終わった。
こうなればもう諦めるしかない。
電話を切ると私はすぐ立ち上がり黒石部長に頭を下げた。
「申し訳ありません。印刷ミスをしてしまいましたので、こちらをメモ用紙として使わせていただこうと思います」
印刷ミスされてしまった分をメモ用紙として使う。
この短時間で必死に考えた策だった……。
黒石部長は印刷ミスされた報告書をまたゆっくりとめくる。
時の流れが一層遅く感じる。
そして黒石部長は報告書をデスクに置くと、私にゆっくりと顔を近づける。
「ん~。メモ用紙かぁ~。でもさぁ、今エコとか言われてる時代じゃない? この大量のミス……もったいないと思わない?」
やはりこの人には私の考えなんて通用するはずなかった。
そして彼女はいつも私の予想を遥かに越えてくる……。
「これ、どうします? そうね。印刷ミスの場所は全部手書きで書きましょうか。明日までに」
こ、これを全部手書きで?
明日までに……?
「よろしくね」
黒石部長は私に話す隙さえ与えず、デスクに山積みになった報告書にポンと手を置いてそう言った。
その瞬間、報告書がバラバラと床に散らばった。
「あっごめんね」
黒石部長はわざとらしくそう言うと昼休憩へと出ていった。
私は床に散らばった報告書を拾い集めながら幼い頃に読んだおとぎ話を思い出していた。
意地悪な継母や義姉たちに灰かぶりと言われながら仕事を押し付けられる彼女の姿に自分を重ねていた。
彼女にはハッピーエンドが待っているが、今の私にはそんなものは訪れるのだろうか……。
こんなにも惨めで、情けなくて、醜い姿を誰にも見られたくないのに……。
挨拶しても、返事さえしない連中がチラチラと私に哀れみの視線を浴びせてくる。
いっそのこと消えてしまいたい。
それができたらどんなに楽だろう……。
そんなことさえ、私には許されないのだ。
いつだったか、イチくんが言ってくれた。
『美愛ちゃんは選ばれたんじゃないかな……』
ねぇ、もしそうだとしたら……。
私はこんなことをするために選ばれたのかな。
私は目の奥で滲む何かに気づかないフリをして、報告書を拾い集めると、印刷ミスしたページを1つ1つ手書きで直し始めた……。
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