第64話 好転

そして昼休みになると私は会議室へと向かった。

彩香さんや相良さんに背中を押されながらも、足がすくむ。

だけど、ここまで来たら私の出来ることをやるしかない。

私は深呼吸をすると、会議室のドアをノックした。


「はい、どうぞー」


声が聞こえて、私は静かにドアを開けた。

まるで就職活動の面接会場のように、取締役と専務と人事部長が座っていて、少し離れた場所にぽつんと椅子が置かれていた。

面接よりも緊張しているかもしれない……。


「どうぞおかけになって」


そう促され、私は失礼しますと頭を下げてから腰かけた。


「川崎くんから聞いたのだが、君が胃炎になったというのは本当かね?」


人事部長にそう言われ、私は「はい」と答える。


「何があったのか話してくれるかい?」


私は全てを話した。

営業部に来る前に黒石部長の電話を聞いてしまったこと、黒石部長との朝礼でのこと、歯向かってくると言われたこと、イライラすると言われたこと、もちろん、あのコピーの件も、トイレでの出来事も全て……。


「それはパワハラの域だな……」


専務が顔をしかめて呟いた。


「これから改めて会議を開くのだが、君にはまた異動をしてもらうことになるだろう。でも大丈夫だ。もう辛い思いはさせない。前にいたマーケティング部に戻ってもらうだけだ。何の心配もいらないよ」


人事部長に言われ、まだ半信半疑ではあるが、私は少しほっとした。


「黒石くんにも、それなりの処罰を与えるつもりだ。我々の見る目がなかった。本当に申し訳ない」


人事部長はそう頭を下げた。

そうして面談は終わった。


「ありがとうございました。失礼します」


私は立ち上がると深々とお辞儀をしてから会議室を出た。

営業部に戻ると彩香さんと相良さんに状況を伝え、今度は彩香さんが会議室へと向かった。

そして、彩香さんが戻ってくると相良さんが会議室へ向かった。

そんな風にして、私たちは一人一人面談を終えた。

そしてその日の夕方、黒石部長も上層部から呼び出された。


***


人事異動が行われたばかりのタイミングでの異例の異動辞令に社内はざわついていた。

引き継ぎ業務もある為、私たちは数日まだこの部署で働かなければならなかったが、黒石部長は面談の日以来私たちに何かを言ってくることはなかった。


入念な異動会議が開かれた後、私は面談で言われた通り以前いたマーケティング部へ、相良さんは人事部への異動が決定した。

黒石部長は以前と同じグループ会社に戻ることになり、降格で自主退社を促される形となったのだが、退職はしないようだった。

降格となっても会社に残れるところが、黒石部長の神経の図太さを物語っている。


そして彩香さんはといえば寿退社をすることになった。


「結婚しても仕事は続けていたいと思っていたけど、今回のことで彼が『少し休んだら?』 って言ってくれて、そうすることにしたの」


そんな風に言ってくれる優しい旦那さんが羨ましい。

だけど、たくさんのことを抱えすぎていた彩香さんには休息の時間が必要だと思った。


「これからはゆっくり休んでください」


私の言葉に彩香さんは


「ありがとう」


といつもの笑顔を見せた。

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