第65話 前を向くために
そしてとうとう営業部最後の日の業務を終えた。
営業部に来てたった数ヶ月。
だけど、この数ヶ月で学んだことは多い。
「お世話になりました」
社内には彩香さんと相良さんと私の3人が残っていた。
私はお世話になった2人に花束を渡した。
「一瀬が一番可哀想だったわね。身体まで壊して……」
相良さんが呟く。
「本当に申し訳ない…」
彩香さんも申し訳なさそうに呟いた。
大変な思いをしてきたのは彩香さんで、相良さんだって私の何十倍、何百倍苦労してきたのに。
私には何もできなかったのに。
「そんなことないです。守っていただき……ありがとうございます」
涙が溢れ出してきて、言葉にならなかった。
こんな出来損ないの私を守り続けることでどんなに犠牲を払ってきたのだろう。
失望されたかと思った。それでも決して諦めないでいてくれた。私を守るということを……。
今ならわかる。彩香さんも相良さんも必死で私を守っていてくれたこと。
「彩香さん、幸せになってくださいね」
私は顔をあげると泣きながら笑った。
「ありがとう!」
そして私たちは抱き合った。
これからはそれぞれの道を行く……。
たった数ヶ月だけど、私たちは共に大きな困難を乗り越えた。
1人の力でたくさんの人を苦痛に陥れることができるのなら、その力をもっと他に活用するべきではなかったのだろうか。
人が人により支配されていく光景を間近で見て、恐怖さえ覚えた。自分もその中の1人だった。
人格否定され、自分自身さえも見失い、何を言っても言い訳だと片付けられる毎日で、生きているのが精一杯だった。
気づけば強がりの鎧は仮面と化し、それさえも粉々に壊れていた。
決して平坦ではないこの道をがむしゃらに駆け上がり、自分の力だけではどうすることもできない絶望を抱えながら、必死で生きてきた。
「さようなら」
私たちは営業部に背を向けて歩き出した。
私たちはたくさんのことを乗り越えてきた。
だからきっとこれから何があっても私はまた乗り越えていける筈だと信じてる。
営業部での経験も全て無駄ではなかったと、今なら思える。
何もわからない部署に異動してきて辛いとき、大好きだった人は私の友達にキスをした。
そのとき支えてくれた人との関係はその友達によって壊された。
だけど……ほらね、今、私はこうしてちゃんと立っている。
何とも言えない達成感を噛み締めながら私は駅までの道のりを歩いた。
***
1人になった駅のホームで私はスマホを手に取った。
「美愛、久しぶり。最近イチくんや蒼斗くんと連絡取ってる?」
奈那からメールが来ていた。
連絡が取れないようにしたのは自分なのに……。
「誰とも連絡取ってないよ」
1年前、奈那がきっかけとなって私たちは出逢った。
だけど今は……みんなバラバラになった。
「そっか。なんか、ごめんね……」
奈那はきっと、私がイチくんを好きになるなんて思ってもみなかったのだろう。
きっと寂しがりやの奈那はイチくんを拠り所にしていた。かつて私が蒼斗くんを拠り所にしていたように……。
私がイチくんを好きになったことで、奈那の中で何かが崩れかけていたのかもしれない。
私がもし、イチくんのことを好きにならなかったら私たちは変わらずにあの頃の私たちのままだったのかな。
それでも今の私は奈那を許すことができる程お人好しではない。
このまま奈那との関係を続けていれば、きっとこれからもまた同じようなことが繰り返される……。
もう、前を向きたい。
返信はしなかった。
「【春澤奈那】を削除しますか?」
「はい」
「【春澤奈那】を削除しました」
そして私は1通のメールを送信した……。
「久しぶり。元気にしてるかな? もしよかったら、今度ご飯でもどうかな?」
やっぱりちゃんと会って話がしたいと思ったから……。
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