第52話 胸の痛み
奈那の前では傷ついている顔は見せたくなくて、気丈に振る舞っていた。
だけど1人になった途端、私は情けないくらい、自分の弱さを痛感する。
容易く想像できてしまう。
奈那を家に送り届けた帰り際に、あの助手席に座る奈那にそっと顔を近づけていくイチくんの姿を……。
そしてその唇が重なった瞬間に奈那は
「最低!」
と言い捨てて車を降りていく。
その後ろ姿をイチくんはどんな気持ちで見ていたのだろう。
その場にいたわけでも、それを目撃したわけでもないのに、その姿がまるで残像のように私の脳裏に浮かんで離れない。
この胸の痛みは……?
事実上の失恋をした自分の傷が痛むの?
それとも……
イチくんの気持ちを想像してこんなにも苦しくなってるの?
痛い程にわかってしまう。
イチくんの胸の痛みが……。
そして張り裂けそうになる。
イチくんは今、何を思うのだろう。
もし、1%でも奈那が言ったことが全部嘘だという可能性があったとしたなら……。
その気になればイチくんにそれが事実か確かめることだってできる。
だけど、奈那が言ったことが全て事実なら……
そんな、イチくんの傷口を広げるようなことは私にはできない。
もしも傷心しているイチくんの懐に入り込むことができるなら、私はあなたを傷つけたりしない、と言えるのに。
私ならあなたを苦しめたりしない、私が幸せにしてあげる。だから私のところでその羽を休めればいいと……。
今すぐにあなたのところへ駆けつけて、その背中を抱き締めたい。
私にその傷を癒すことができるのなら、私は何だってできるのに……。
だけどわかっている。
私にはイチくんの心に入り込む隙なんて1mmもないこと。
イチくんの心はいつだって奈那でいっぱいだった。
今だってそう、離れたって、どんなに軽蔑されたって、きっとイチくんの心は奈那でいっぱいだよね。
私がイチくんを想えば想う程に、イチくんのは奈那への想いは抑えきれないものになっていった。
最初から最後まで一方通行だった。
「馬鹿だなぁ」
私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
初めからイチくんが私を好きになってくれる確率なんて0%だった。1%すらもなかった。
なのにイチくんの優しい笑顔を、いつか私だけのものにできるんじゃないかなんて淡い期待をしていた。
バレンタインを渡した夜も、私の想いを告白した夜も、少しずつだけど、イチくんとの距離が縮まってると思っていた。
イチくんの自転車の後ろで、私は幸せを噛み締めていた。
イチくんと付き合えたらこれが日常になるなんて、夢みたいなことを考えてた……。
あの瞬間だって、ずっとイチくんの中には奈那がいたんだよね。
……想像した?
自転車の後ろに乗っているのが、私じゃなくて奈那だったらと。
背中に感じる腕の感覚が私のものではなくて奈那のものだったらいいのにと、そう思ったでしょうか……?
私の気持ちを嬉しいと言ってくれたこと。
それは嘘ではなかったと信じてもいいかな?
私は奈那の代わりにすらなれなかったけれど、私はあなたの心の中に何かを残すことができたのかな?
張り裂けそうな胸の痛みを抱えながら私はそっと目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます