第42話 決戦日は今夜です(後編)

「お邪魔します」


そしていつものように私はイチくんの部屋に入った。

ただ一ついつもと違うことは、イチくんと私2人きりだということ。

この部屋に2人……。

いつかの切ない夜を思い出す。


「そこらへん適当に座ってね」


そう言いながらイチくんはいつものようにおつまみやお酒を持ってきてくれた。


「用意してくれてたの? ありがとう! 言ってくれたら買ってきたのに」


「ううん。俺今日休みだし、美愛ちゃん仕事で疲れてるでしょ? 寛いでてね」


そう言うとイチくんはまたリビングを出て行った。

みんなでいるときもそうだが、こうして世話を焼いてくれるイチくんは時々お母さんのようにも見えてしまう。


「遅くなってごめんね、こないだのお礼……」


しばらくするとイチくんが奥の部屋から紙袋を持ってきた。


「え? いいの?」


「うん。お口に合うかわからないけど……」


イチくんがそう言うと私は笑顔で紙袋を受け取った。


「ありがとう!」


そしてお礼を言うとイチくんも笑顔を返してくれた。


「そうだ。これ美愛ちゃんと観ようと思って借りてきたんだ」


イチくんはそう言うと鞄からDVDを取り出した。

恋愛物とかでなくて、ファンタジー系のアニメーション映画。そこがまたイチくんらしいなと思ってしまう。昔観たことがある映画の最新作だ。


「これ気になってた!」


「良かった。じゃあ観よう!」


イチくんはそう言ってDVDをセットした。

私と観ようと思って借りてきてくれたんだ。

そういうイチくんの見たことのない一面が、こうやってまた私をときめかせる。

もしもイチくんと付き合えたら、こんな光景が日常になるのかな……なんて一瞬想像してにやけそうになる。


DVDを観ている間、私は斜め前に座るイチくんの後ろ姿を眺めていた。

ストーリーは予想以上に感動的なラストだったけれど、また私の強がりな癖が涙を流すことを堪えさせた。


一緒にいる時間はあっという間……。

DVDが終わり、少し経ってから私は食べたものを軽く片付けて帰る支度をした。


「美愛ちゃんを駅まで送る帰りにDVD返しに行こうと思ってて、自転車でもいいかな?」


車に乗っているイメージが強いイチくんから発した自転車という言葉がなんだか意外だったけれど、そりゃ自転車に乗ることもあるよね。


「うん! ありがとう」


そして私たちは外に出た。

イチくんが自転車を押してきて、自転車に乗ると私は後ろに股がった。横向きに座れたら女の子らしいのかもしれないけど……。

そして私が座ったのを確認するとイチくんはゆっくり動き出した。


すぐ目の前にあるイチくんの大きな背中……。

いつか抱きついてしまいたいと思った背中はあのときよりもずっとずっと近い。

私は少し遠慮がちにその大きな背中にそっと後ろから手を回した。


まだ少しひんやりとした春の夜風が心地良くて、イチくんの後ろ姿を目に焼き付けながら、時々景色を眺めた。


時折心臓が宙に浮くようなふわりとした感覚が私を掴んで離さない。

私にとってここは助手席よりもずっとずっと特別な場所。

イチくんは今、何を想うのかな……。

ここに私が座ることができるのは、あなたにとって私が友達だからですか?

それとも……。


ねぇ神様、時間を止めてなんて言わないから、せめてまだ駅に着かないで……。もう少しだけこのままでいさせてください。

イチくんの背中を見つめながら私は願った。


だけどそんな願いも虚しく、遠くの方に駅の明かりが見え始めた。

イチくんは駅の脇道の駐輪場に自転車を停めて、私たちは駅まで歩いた。

駅の階段の前で私は立ち止まる。


「イチくん……」


私の声にイチくんは足を止めて振り返る。

今日、言わなければいけないことがある。


「イチくん、もう気づいてると思うけど……」


その言葉にイチくんが見せる表情は落ち着いていて、全てを悟っている様子だった。


「私、イチくんのことが好きだよ」


私の告白にイチくんは驚くこともなく優しい表情のままだった。


「こんなに誰かを好きになったことは初めてで、自分でも信じられないくらい……だからね、ちゃんと伝えておきたかった」


こう言うと私は真っ直ぐにイチくんを見た。


「美愛ちゃんの気持ち、嬉しいよ。ありがとう」


イチくんも真っ直ぐ私を見てこう言った。


「少し、考えさせてくれるかな……」


付き合ってほしいと言ったわけではないけれど、考えてくれるって言うのは……可能性があるってことなの?


「うん。ありがとう」


イチくんと出逢えて恋をして、苦しいこともあったけど、イチくんを好きになってたくさんの幸せをもらえた。

出逢えたことに感謝してる。


「それじゃあまたね」


「うん。またね」


私たちはそう言って別れた。


さっきまですぐ目の前にあったイチくんの後ろ姿と、イチくんの腰に回した手の温もりを思い出してはきゅんとどこか胸が狭くなる感覚を覚えて、私はいつまでもその余韻に浸っていた……。



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