第36話 不穏な空気
イチくんから返信が来たのは日付を跨いだ頃だった。
「今日はありがとう。可愛いクッキーもありがとうね。おいしかったよ。また改めてお礼させてね」
きっとイチくんは奈那と会っていたことを私が知っているとは思っていない。
奈那と会って私と2人で会ったことやバレンタインのことを話したのだろう。
自分に気持ちがない奈那の気を引くために私の話をするの?
私と会ってくれたのはそのため……?
形ばかりの
舞い上がっていた自分が馬鹿みたいで情けなくて、笑ってしまう。
どうして私はイチくんを好きになってしまったんだろう。
そんな考えても仕方のないことをどうしても考えてしまう。
「お礼なんて大丈夫だよ。私が渡したかっただけだから……」
イチくんからのメールに、こう返事をするのが精一杯だった。
***
「おはようございます」
今日もいつも通り出勤する。
「美愛ちゃん、営業部はどうだった?」
いつもと変わらない優しい口調の上司に安心する。
だけど、ここで働けるのもあと僅か……。
「不安もありますが皆さんにお会いして、気持ち新たに頑張って行こうと決心ができました」
返答になっているかどうかわからないけれど、たった数時間で営業部がどうかなんてわからなかった。
「そう。それなら良かったわ。頑張ってね」
そういうと上司は微笑んで席に着いた。
私も自分のデスクに向かう。
(あれ!?)
鞄に入っていると思っていた筆記用具がない。
もしかしたら……営業部の打ち合わせの日に忘れてきたのかもしれない。
「すみません、ちょっと忘れ物しちゃったみたいで営業部に行ってきても良いですか?」
「大丈夫よ。行ってらっしゃい」
私は上司に確認を取ると営業部へ向かった。
「お疲れさまです」
そっと営業部を覗くと、黒石部長が電話しているようだったが、他の社員はほとんど外回りに出ているようだった。
「失礼します」
私は小声でそう言って営業部に入ると、遠くで電話をしている黒石部長の後ろ姿に会釈をして、そっとデスクに向かった。
(あった!)
やっぱり筆記用具を忘れていたようだ。
私は筆記用具を取り、戻ろうとした。
「ね、有り得ないでしょ? この部署」
背後から黒石部長の話し声が聞こえその瞬間、黒石部長が私用の電話をしていることを察した。
なんだろう。この胸騒ぎ。
「まぁせっかく上に媚びてここまで上り詰めたんだから、思い通りにやらせてもらうけど」
黒石部長は私に聞こえているとは思っていないようだった。
私は聞いてはいけない話を聞いてしまったと思った。
打ち合わせの日、たった数時間だったが彩香さんの慌てた様子や、営業部の様子も何かおかしいと思っていた。
私はとんでもない
『きっとどういう環境にあったとしても今まで通りの美愛ちゃんでいれば、きっと見ていてくれる人はいると思う』
こんな時だってイチくんの言葉が過る。
ねぇイチくん……。
本当にそうかな……?
私はこれからどうすればいいのかな……。
私は電話の内容に聞こえなかったフリをして、足早に営業部を去った。
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