第8片 喪失の魔女③

「いいんですか、莉乃さん?」


 『幻惑の魔女』である日芽香は、私の夢に介入したことがある。笑顔にするためという名目だったが、頭の中を覗かれるのは良い気分のするものではない。

 けど、


「いいわ。私にはほかに手段がない」


 手掛かりになるものなら何でも使う。つぐみのプライバシーとか言っている状況ではない。


「莉乃さん、わかりました。ご飯食べ終わりましたら、早速やりましょう」


 私の決定に、彼女が応える。

 災厄の魔女は面白そうに私を見て笑っていた。


 × × ×

 つぐみの隣で寝ていた日芽香が起きる。

 夢に介入するには、魔法をかける人も寝る必要があるらしい。強力な魔法だが、使い勝手が悪い。


「どうだった、日芽香?」


 彼女は躊躇いがちに答える。


「つぐみさんの夢は変わらず真っ白です」


 真っ白。


「真っ白って何もないの?」

「ええ、恐ろしいほどに何もないです。前と同じです」

「え、中野の時もつぐみの夢の中は真っ白だったの?」

「あの時も何もない空間でした。そして真っ白な夢で震える私を、つぐみさん本人が介入してきたんです」


 つぐみが介入してきた?

 彼女の夢の中に入っているのに、つぐみが介入できた。


「つぐみが器という、ああ! ややこしいわね。ツグが①、空っぽと思われるのを②、感情を埋め込んだ女の子、つぐみが③とするわね」

「ええ。そうすると私が入った夢は変わらず②のつぐみさんだと思うんです。以前はそこに③のつぐみさんが介入してきた」

「③がいない今、②は変わらずってことね」

「そうです、そういうことです」


 ①と③がいなくなり、②の空っぽだけが残った。見た夢は変わらない。

 器。

 空っぽの、真っ白。

 ……手がかりは見つからなかった。そう思い、うなだれる私に、あの女は疑問を呈する。


「なぁ、何もないってことはありえるのか? 話さないかもしれんけど、こいつには生活できるスキルがある。お腹も空くし、眠りもする。何もないってことはないんじゃないか?」


 二人でつぐみを見る。すやすやと寝ている。

 彼女は生きている。生きているのに、本当に何も夢を見ていないのか?


「考えられないかもしれないけど、本能たっぷりの夢なら見られるだろう? 赤ん坊だって夢を見るらしいぜ。こいつが夢を見ないなんて信じられない」

「そうですね、真っ白なままってことってあるんでしょうか」


 日芽香も同調する。


「夢には色々な意味があると言われています。一説ではその日に起きた情報を整理して、必要・不必要の情報選別を行なっているとも言いますね」

「それなら今のつぐみだって夢を見るはずよね」


 ご飯を食べて、私の言葉を聞いて、絵を描く。たくさんの情報のインプットがあるのだ。真っ白なはずがない。


「また一説では、睡眠と記憶は密接に関係があると言われます。私たちが見る『夢』は記憶の断片、経験した感情のノイズ、そう称す人もいます」

 

 記憶の断片、感情のノイズ。

 ……頭が痛い。話が難しい。簡単に定義できるものではない。

 心とは、感情とは―。そういう哲学の問題だ。


「でも、つぐみさんの夢は真っ白。何もないんです」

「記憶のカケラもない、感情のノイズもないっていうの……?」


 そうだとしたら、やはりつぐみは残っていないというのか。


「はは、ロボットだとでもいうのかよ」

「弥生! 言いすぎです」


 ロボット、アンドロイド。人形。


「違う」


 ここにいるつぐみをそんなのと一緒にしないでほしい。

 絵を取り出し、机に置く。


「見て。これ今朝、つぐみがくれたの」


 二人の魔女がのぞき込み、驚きの表情を浮かべる。


「赤毛の魔女? どう見ても、お前だな」

「莉乃さんをつぐみさんが描いた? 真っ白なのに、描くことができた? 確かに、それは可笑しいですね」


 可笑しい。ありえない。記憶の断片も、感情のノイズもないはずなのに私のことを覚えているのだ。

 災厄の魔女がニヤリと笑い、答える。


「何か、作為的な物を感じるな」

「わかる。その線は考えた。でも、魔法の力は感じないのよね」

「もしくは、私たちにも気づけない高度な魔法なのか」


 私の力が及ばないほどの、天才と呼ばれた魔女をも凌駕する魔法。

 そんなこと可能なのか。それに一人の女の子にそんな残酷なことしてどうなるっていうのだ。


「つぐみさんが魔力を失ったのっていつからでしたっけ?」

「高校生になる前よ」

「ということは四国にいた時ですね」


 四国にいた時に何かが起きた。事件、事故。

 何らかの悪意に巻き込まれた。


「私は知らんけどさ、こいつの家ってすごい名家なんだろ」

「知らないの?」

「私は元から魔女だったわけじゃねーからさ」


 「それもそうね」と頷き、私は説明をする。


「魔女界を仕切っているのは三大派閥の古湊、古河、古日山よ。その中で最も権力を持つのが古湊家。つぐみの家よ。魔女界の実質の支配者といっても過言ではないわ」

「支配者。いいね、悪い響きだ。なら、そこが犯人だろう」

「短絡すぎですよ」

「ありえないわ。古湊家が、実の娘に何かしたっていうの?」

「魔女ならありえるだろ?」


 その言葉に沈黙する。魔女なら、ありえるのか?ありえてしまうのか?

 私の考え、一般的な魔女ではありえない。魔法は救い、魔女は救済者なのだ。

 でも魔女は簡単に定義できるものではない。


「確かに何かありそうです」 

「ああ?」

 

 日芽香ちゃんの台詞に、同意見とは思わなかったのか、災厄の魔女が怪訝な声を出す。

 

「私たちは異端なんですよ。東京にいて、わざわざ目立つことをしている。ほとんどの魔女はこの社会において、自身の存在を隠し、存在感を無くし、社会に溶け込むことを選んでいます」


 つぐみも同じことを言っていた。


「良くも悪くも保守的」

「東京にも出て来ず、四国に閉じこもっているんだものな。臆病者だ。魔女の存在を隠し続けるために必死すぎだろう」

「それだけ私たちの力は危険なんです。人類のバランスを崩す」


 救済のために使う魔法も、使い方を間違えば世界の脅威となる。


「なのに、芸術魔法を派手に使ったつぐみさんや、大暴れした弥生に対し、他の魔女は何もアクションを仕掛けてきませんでした」

「日芽香が行った昏睡事件もな」

「弥生!事件って言わないでください。笑顔にする行為です」

「そのご厚意も魔女界にとっては厄介な行動だったはずだ」


 彼女らの言う通りだ。

 事件が起きすぎていた。私とつぐみは止めようと必死になっていたが、それは四国の魔女たちの総意ではない。あくまで個人の意志。

 四国の魔女たちはいったい何をしているのか。


「東京にいないから、野放しにしている?」

「そんなはずはありません。魔女たちは臆病だとしても、馬鹿ではありません。魔女の存在がバレれば、自らの存在も危うくなるんです。すぐに行けずとも事態は把握しているはずです」


 なのに、私に連絡の一本もない。


「そうね、災厄の魔女がこんなにも悪行を働いているのに、あちらは誰も動かない。一度目から時間はあった。けど、誰も駆けつけなかった。そんなに臆病だというの?」

「もしくは脅威とすら思っていないか」


 私たちが止めなければ、死人が出ていた。どうみても脅威。

 不自然だ。でも、魔女たちの思惑が見えてこない。


「何にせよ、ここにいても解決しません」


 その通りだ。答えはここで立ち止まっていても出てこない。

 二人の魔女が私に視線を送る。

 決めるのは私だ。

 彼女を見つけてから、帰るつもりだった場所。こんな中途半端な状態で帰るつもりなどなかった。


 立ち上がり、寝ている彼女を見る。

 得体のわからないものに巻き込まれているとは思えないほどに、静かに寝ている。


「……向かう先に何があるのか、わからないわ」

「だから楽しいんじゃねーか」

「わくわくしますね」


 それでも取り戻すと決めた。


「行くわよ、四国に」

「おお」

「はい!」


 今は一人じゃない。

 私の言葉に二人とも力強く頷いた。

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