第1片 飛べない魔女⑦
「冗談はよしなさいよ、つぐ! 私よ、莉乃、本多莉乃よ!」
「え、ええっと」
「同じ中学で、何度も魔法勝負したじゃない! あんたのライバルの莉乃よ!」
知らない。本気で思い出せない。同じ中学? ライバル? 勝負に、ライバルって昔の私は熱血な武闘派だったのだろうか。
「あーあ、本多さん! 本多さんねー」
「あんたが本多さんって呼んだことなんてないわ」
「あはは……」
付け焼き刃の台詞もすぐにバレる。
どうしようもないので、ここは素直に頭を下げて謝罪する。
「ご、ごめん。本当に覚えていないんだ」
「う、嘘? 嘘でしょ?」
「ごめん、嘘じゃないなんだ」
「あんたにとって、私はすぐ忘れるような人だったということ?」
そういうことではない。そういうことではないのだが、説明もできない。
「あー、えっと、その、ごめん」
ただただ謝ることしかできない。
前島さん改め本多さんがよろめく。
「何のために私が一人でここに来たと思っているの。あんたを見つけるために、あんたに勝つために、あんたに……」
ぶつぶつとその場で喋り出す。
悪いのは彼女のことを覚えてない私。けれど思い出すこともできない。誠に申し訳ないのだが、知らないものは知らないのだ。
「そ、そういうことでさ。その写真は消してくれると嬉しいかな……って」
「……いいわ」
「いいの! ありがとう、本多さん!」
素直に応じてくれる。さすが私の古い時の友人?だ。
「私に勝ったらね」
「え」
そんなことはなかった。
「勝負。勝負よ! ともかく私と勝負しなさい」
「え、えぇ……」
め、めんどい。が、彼女は折れない。
「そうね、あそこの時計台まで最初に着いた方が勝ち、っていうのはどう?」
指さす先には駅前ビルの時計台がある。ここから10㎞ぐらいってところか。競争って、小学生でもあるまいし。
「走って?」
「馬鹿、空を飛んでいくに決まっているじゃない」
そういって本多さんが髪の星型のヘアピンを外し、宙に投げる。ヘアピンは「ポンッ」と音を立て、箒に変わる。
「おおっ」
久しぶりに見た他人の魔法に、つい驚きの声を上げる。小さなヘアピンが、人が乗れるほどの大きさの箒に変わるなど、魔法でもなければありえない。ま、まぁ魔法なんだけどさ。
それにしても手際のよい動きだ。その動きだけで彼女は凄い魔女だということがわかる。
「そっちの準備は?」
本多さんが箒に乗り、私に問いかける。準備、準備ね……。
「バッチリだよ!」
「ふん、余裕なことね。箒も出さずに、私にハンデってことかしら。あー本当ムカつく女ね! じゃあ、行くわよ」
「うん」
「レディー、ゴー!」
掛け声と共に、彼女が空へ飛び出す。
「うわっ」
飛び出した衝撃で、辺りを土煙が舞う。空を見ると、彼女の姿はすっかり小さくなってしまった。一瞬の加速で、あの速度。大したものだ。
そして、私は変わらず地面に立っていた。
「さて授業に行くか。って、1限はもう30分過ぎちゃったか。購買で時間潰して、2限目からかな」
何事もなかったかのように、歩き出す。
「ちょっと待ちなさいいいいい!」
声がどんどん近づいてくる。
嫌な予感がし、後ろを振り返る。
空に消えたはずの本多さんが物凄いスピードでこちらに戻って来ていた。
「ってあぶな!」
咄嗟に横に転がり、激突を避ける。
少し離れたところで彼女が空から帰還していた。
「避けるな!」
「いやいや、そのスピードでぶつけられたら私死ぬから!」
息を切らした本多さんが私を睨んでいた。大変ご立腹な様子だ。睨む目が怖い。躊躇なく、私に怒鳴る。
「何で勝負しないのよ!?」
「本多さんの不戦勝でいいよ、ごめんごめん」
「は? そこまでして私と勝負したくないわけ?」
「私、飛べないから」
「は?」
彼女が拍子抜けした声を出す。私はさらに念押す。
「私は飛べないの!」
「飛べない……? 魔女の基本技術じゃない!? 空を飛ぶって、小学生で習うことよ。少しの魔力でできることでしょ? 天才のあんたができないって、私を馬鹿にしているの!?」
「だから、その魔力がない」
「はい?」
「魔力が無くなったの。すっからかん」
事実を言わなければ、諦めてくれない。話したくはなかったが、事情の一部を話すことにした。
「高校生になってすぐだったかな。私にあったはずの魔力がゼロになったの。1mmも残っていなかった。どうしてかはわからないけど、失った。事件があったとか、そういうこともない。前触れもなく、事故も、意識もなく、突然消えた。で、そこからの経緯は省くけど、魔女としてまともな道を歩めなくなった私は、こうして芸大生となったわけ」
話すにつれて、彼女の表情が困惑へと変わる。
「え、じゃあ水族館の魔法は?」
「人の感情を変換して、魔力にした」
「何、それ……」
「そんな魔力の使い方聞いたことない」と彼女はそう言った。それもそうだ。私が編み出したのだから。
「だから、ごめんね。勝負できないんだ。私に魔力がないから」
感情の変換で、魔力にすれば飛べないことはないと思うが、そんな不安定な魔力で空を飛ぶのは危険だ。もし空を飛んでいる時に魔力が切れたら、地面に真っ逆さまに落下することになる。そんな危ない行為は、魔力を持たない私にはできない。
「……」
何も言わず、彼女が去っていく。その目は虚ろで、少し危うい感じがした。
けど、勝負を望む彼女に、私は応えてあげられない。
その小さな背中を見送るしか、飛べない私にできることはなかった。
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