第8片 喪失の魔女②

 朝起きた時、いつも泣きそうになる。


「っつ……」


 呼吸は荒く、汗だくで肌に張り付いたシャツが気持ち悪い。目元は濡れている。また泣いたのか、私は。記憶を失った彼女の前では弱気な姿を見せないようにしているが、心は今にも崩れそうだ。


「寂しいよ、つぐみ……」


 いないのに、いる。

 いるのに、いない。 


 彼女が足を悪くしてから、1階のおじさんとおばさんの部屋であっただろう畳の部屋で、布団を敷き、隣り合って寝ている。

 彼女に何かあった時に、1番近くにいるように。

 横を見る。


「いない」


 隣で寝ているはずの、つぐみがいなかった。

 血の気が引く。

 いない。つぐみがいない。嫌な考えを思い浮かべてしまう。落ち着け、足が今は不自由だ。遠くには行けない。家にいるはずだ。

 慌てて扉を開け、彼女を探そうとすると、リビングにその姿を発見した。


「よかった……」


 何処にも行っていなかった。

 突然消えたわけではなかった。緊張が解ける。

 ……私はどれだけ怯えているのだ。

 彼女が起きたら、私も起きるような魔法のアラームでもセットしようかと本気で考えた。

 つぐみはリビングで絵を描いていた。机でなく、床でこっちを見向きもせずに紙に向かっている。私の心配をよそに呑気なものだ。


「もう心配したのよ、つぐみ」

「……」


 つぐみは今日も反応しない。


「朝ご飯準備するから、お絵描きしてじっとしていてね」


 洗面所で顔を洗い、嫌な気分を洗い流す。朝から感情が揺さぶられたものだ。自分でも情緒が不安定なことを自覚している。


「私って、こんなに弱かったっけ……」


 鏡に映る赤毛の女の子の眼差しは頼りなげで、表情は固い。


「しっかりとしなさいよ、私」


 私がしっかりとしないで、どうする。私がしっかりとしなきゃ、彼女は戻れないんだ。

 決意しても、心と体がついてこない。

 あの時言った「絶対にあなたを取り戻す」。その言葉が今は重い。


 × × ×

 

 朝から動揺しすぎたので、今日は手抜きをしてしまった。

 ヨーグルトとシリアルの上にいちごのコンフィチュールをかけたものに、ピーナッツバターのトースト。

 テーブルに置き、いまだ夢中になって絵を描いている彼女に声をかける。


「つぐみ、朝ご飯にするわよ」

「……」


 言っても反応しないので、近づき、しゃがむ。

 彼女が私を見た。


「うん?どうしたの、つぐみ?」

「……」


 無表情からは気持ちを察すことはできず、困惑する。


「……」 


 彼女が紙を私に差し出してきた。


「見せてくれるの?」

「……」


 紙を受け取る。さっきまで描いていたものだろう。つぐみは何を描いたのかなとワクワクしながら、紙を裏返し、見る。


「え」


 紙には女の子が描かれていた。

 夜空を箒に乗った、赤髪の女の子が飛んでいる。

 その絵は、私だった。


「つぐみ、あなたは覚えているのね……」


 また泣きそうになった。


「……」


 彼女は反応しない。でも、嬉しかった。

 無言の彼女に抱き着く。


「覚えている。消えてないのよ、あなたはここにいる」


 温かい。つぐみは生きている。私のことを覚えてくれている。どうしてかわからないけど、覚えているんだ。


「ありがとう、つぐみ」


 声がかすれる。

 やっぱり泣いてしまった。


 × × ×


「よう、久しぶり」


 昨日連絡した『幻惑の魔女』北沢日芽香と一緒に、『災厄の魔女』藤元弥生もやってきた。


「スーツ姿だと、何だか不思議ね」

「これでも社会人なんだぜ」

「知っているわよ。普段は眼鏡キャラなのね」

「賢く見えるだろ?」

「どうかしら」

「クールな弥生もいいと思います」

「ありがとうよ、日芽香」


 二人には家に来てもらった。つぐみと散歩はするものの、まだ外で話すには危なっかしく、家の方が安心だ。


「それにしても豪華な食事すぎないか?」

「……人が来るとつい頑張っちゃうのよ」

「美味しいそうですー」


 朝手抜きした分、張り切ってしまった。それに連絡は取っていたが、久しぶりの再会だ。それも秘密を共有している魔女同士だ。私も気を張らずに喋ることができる。


「そっちの魔女も久しぶりだな」

「……」


 かつて戦った敵の声にも、つぐみは反応しない。


「本当に、感情がないんだな。信じられない」

「弥生、言い方に気をつけてください」

「いいわよ。つぐみはあんたとの戦いのあとから、ずっとこうなの」

「可笑しいとは思っていたが、物から感情を奪い、真似て、自身に埋め込む?そんな芸当ありえないな。でもこの有り様を見ると信じるしかない」


 考えてもできる魔法ではない。でも、つぐみは成し遂げた。


「莉乃さん、辛いですね。つぐみさんがもう喋れず、あなたのことを覚えていないなんて」

「辛くはないわ。それにつぐみは覚えている」

「……どういうことですか」


 困惑する日芽香に私はお願いする。


「食べながらでいいわ。今日来てもらったのは日芽香に頼みたいことがあるからなの」

「頼みたいことって、まさか」

「そう、つぐみの夢の中を見てきてほしいの」

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