第8片 喪失の魔女

第8片 喪失の魔女①

 『名はたいを表す』

 名前がその人の性質や実体をよく表す、という知られたことわざだ。

 そんなはずはない、と否定したいものだが、『賢』という名前が入れば賢く見えるし、『春』とつけば春のように温かな人のような気がしてくる。数字はより顕著だ。一郎、次郎と一人目であること、二人であることを決定づけ、立ち場まで決められてしまう。変な名前をつけられると、一概には言えないが可笑しい人と思われ、歪むこともが多い。

 名前は子供の人生にかなりの影響を与えている。そこには親の願いが込められているのだ。初めての定義づけ。人としてのアイデンティティが一つの名で生まれる。呼ばれるうちに、無意識のうちに植え付けられ、性格として反映されていく。


 名は自身の象徴。

 名は自身の鏡。


 役所に行き、変えることもできなくはないが、それでも名付けられた傷は残る。本人が否定しても消えることはない。

 

 名は、一生つきまとう宿命。


 それは日本だけでなく、世界でも同じことがいえるだろう。名は人を決める。それだけが本人の運命ではないが、自己を形成する上で大きな役割、時には悪影響も与えてしまう。有名人と同じ名前、犯罪者と同じ名前。名前が同じだけで、親近感や嫌悪感が湧く。それがその人のすべてではないはずなのに。

 

 そして、それは魔女も同じこと。

 言葉には意味がある。

 意味があるから、魔法となる。

 

 ならば、私の名前にはどんな意味が込められているというのか―。

 私は、知らなかった。


 × × ×


 あれから1カ月が経った。


「つぐみ、ほらこぼれているわ」


 見ているだけで、そわそわしてしまう。彼女のスプーンを持つ手が覚束ず、案の定うまく運べず、口元から垂れる。すかさず口元にティッシュを持っていき、拭く。


「ほら、口開けて」

「……」


 一緒にスプーンを持ち、口元まで運ぶ。

 何も言葉は返さないが、スプーンに乗せたご飯を食べ始める。


「美味しい?」

「……」


 無言で、コップを持ち、牛乳を飲む。


「ほら、また口元からたれているわよ」

「……」


 また口元を拭く。繰り返しだ。

 一人では綺麗に食べられない。


「飲み物のおかわりとってくるね」


 そう言って、傍から離れようとすると服の裾を握ってきた。


「もうどこにもいかないわよ、つぐみ」

「……」


 変わらない無表情な顔を愛おしく見つめる。

 もう、絶対にどこにもいかない。


 つぐみは、災厄の魔女の戦いの日から、感情を失った。『ツグ』の物はなくなり、自身の身体に偽りの感情を埋め込むことができなくなったのだ。つぐみが、いざという時のために自動で魔法を発動するプログラムを自身にかけていたが、それもなくなったみたいだ。

 何も喋らず、何も表情は変わらず、でも生きている。お腹は空くし、よく眠る。そして表情は変えないが、不意に私の裾を持ったり、手を握ったりしてくる。意志は持っているのだ。

 それを感情と呼ぶのか、わからない。

 けど、その僅かな希望がつぐみの残滓で、これからの手がかりなのかもしれない

 

「今日はバイトないから、ずっといるよ。そうだ、いい天気だからお外行こうか」

「……」


 感情は消えた。

 でも、つぐみは生きている。何かが残っている。

 そう信じて、私、本多莉乃は彼女と一緒に生きている。


 × × ×


 生い茂った緑の影の中を歩く。

 大きな麦わら帽子を被った彼女に、後ろから話しかける。


「あついねー」

「……」


 私は彼女の乗る車いすをゆっくりと押す。あの日以来、足の筋力も衰え、彼女は一人で立つことはできなくなってしまった。

 外を移動する時は、車いすが必須となった。


「適度に水分補給しないとね」


 ペットボトルにストローを差し、彼女はちゅーちゅーと飲み物を吸う。

 つぐみのおじさんとおばさんは帰って来ない。近くにいるのは、頼れるのは私だけ。私が彼女を支えてあげなきゃいけないのだ。


「お花綺麗だね」


 声をかけるもやはり反応しない。それでも私は話し続ける。

 いつか、いつもみたいに私の名前を呼んでくれると信じて。


 つぐみが振り返り、私を見上げる。

 

「うん、お絵かきしたい?」


 頷かないが、リュックから色鉛筆とスケッチブックを渡すと手に持ち、おもむろに描き出した。


「……」


 無言で一心不乱に鉛筆を動かす。

 描くのは目の前の花畑。

 色鮮やかに、細やかに生み出す。

 上手い。私には到底真似できないほどの腕前だ。

 そう、芸術は衰えていない。紙とペンがあればいつでも勝手に創作活動を始める。私がバイトで家を空けている日は、リビングで大人しく絵を描き続けている日々だ。


「凄いね、上手ね」

「……」


 あの時、彼女は言った。

 芸術が私を救ってくれた、感情もないはずなのに涙を流したと。

 その見えない何かは彼女の中で、生き続けている。それは感情ではなく、生まれ持った使命であるかのように。

 古湊つぐみは消えていない。


 × × ×

 

「つぐみ、疲れちゃったのかな」


 家に帰ると、すぐにソファーで寝てしまった。夏だが、風をひかないようにタオルケットを体にかける。


 つぐみが寝ている間は、調べ物の時間だ。彼女が残したノートを漁り、彼女の魔法を勉強する。


 ―感情とは、何か。


 彼女は、自身を『器』と表現した。

 でも、生きている。生きているのだ。

 生きているのに感情がない。

 そんなことありえるのだろうか?

 感情が根こそぎ奪われたとしても、また1から感情が生まれてくるのではないか?たとえ幼児化しても泣いたり、喚いたりして主張することはできるはずだ。

 けど、彼女から感情の発露は見えない。

 言葉は発しず、訴えない。

 でも理解はしていると思う。絵だってかける。たまに私に甘えてくる。感情は、何かは残っているのだ。

 

 ―そう信じないと、やりきれない。


 彼女の顔を見る。

 穏やかな顔。何の心配もない安らかな顔。

 

 彼女はどんな夢を見ているのだろうか。

 そもそも感情を失った人は夢を見るのか。私にはわからない。

 ……けど、確かめる方法はある。

 彼女、『幻惑の魔女』の力を使えば、夢に入ることができる。


 けど、勝手に人の夢を見ていいのだろうか。

 それは倫理的に、自身の正義的に、許せないこと。してはならない禁忌だ。

 

 ―今までの自分、なら。


 そう、あの日から私は変わった。

 つぐみを取り戻す。そのためなら、自身の正義だって歪めてもいい。彼女を取り戻すためなら、悪にだって手を染める。


「一致しない」


 彼女がいない世界の方が、間違いだ。

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