第4片 幻惑の魔女⑥

 × × ×


「莉乃、どうしたの疲れたの?」

「……おはよう、つぐ」

「おはようじゃないよ、ここは学校だよ?」

「学校? 高校はもう卒業したはずだけど」

「何言っての? 私たちは大学生でしょ」

「大学生?」

「そう、まだ目が覚めないんだね。そんなんじゃ次の授業遅刻するよ」


 ここは大講義室。どうやら私は授業の途中で寝ちゃったらしい。

 居眠りなんて、正義の魔女失格だわ。


「ほら、早く行くよ」


 そう言って、彼女が手を差し出す。

 ずるい。つぐはずるい。

 ためらいもなく、恥じらいもなく、私に欲しいものをくれる。

 そしてその甘さを受け入れてしまう。


 

 外は温かな気候だが、汗ばむの感じる。


「早く夏休みにならないかなー」

「何処かに行く予定あるの?」

「ともかく色んなところに出かけたい」


 お喋りしながら外を歩く。手は繋いだままだ。

 周りに学生もいるのに、お構いなし。そういう奴なんだ、つぐは。


「例えば?」

「ロンドン」

「魔女の本場だからとか言うのでしょ」

「ピンポン! さすが莉乃だね」

「本当、つぐは魔女大好き人間ね」

「もちろん莉乃のことも好きだよ」

「うなっ」


 平気でこういうこと言ってくる。そういう奴なんだ、つぐは。

 どこまで本気なのかわからない。


「莉乃は何処か行きたいところないの?」

「どこだっていいわ。楽しい所なら」

「楽しい所って何処だよー」

「ふふ、何処でしょうね」


 彼女がいれば何処だって楽しいに決まっている。飽きもせず、どんどん言葉が出てきて、コロコロと表情が変わって、一緒にいて笑顔になれる存在。


「ねえ、莉乃。夏休みは旅行しようか」

「ロンドン?」

「もっと近場でいいよ」

「川越?」

「急に近くなったね。うん、でもいいね。川越。小江戸の雰囲気好きだよ」

「うなぎが食べたいの」

「莉乃って意外と食いしん坊だよね」

「私はグルメなの。あんたと違って」

「そうだねー、莉乃の手料理はいつも美味しいよね」

「ありがと」

「いつもごちそうさまです」


 私はこの手の温もりを離したくない。

 そう思ったら、彼女が手を離し、思わず「あ」と声を出してしまう。


「久々に勝負しようか。あそこの時計台までどっちが早く着くか競争ね」

「ちょっと、ちょっと待ちなさいよ」

「待たない、待たないよ。じゃあ行くよ」


 つぐが髪ゴムを外し、箒に変える。一瞬の出来事。

 中学時代、天才と呼ばれた魔女はさらに進化し、もう誰も彼女には敵わない。

 そんな人と勝負する。勝ち負けはやる前からわかっている。

 でも、私は挑戦する。


「待って、勝ち負けって何か賭けるの?」

「そうだな。一つだけお願いを聞くってどう?」

「お願い……?」

「私のお願いは、莉乃と一緒にデートすること」

「そう……はい!? で、デート!?」

「そう、楽しいでしょ。莉乃は?」

「わ、私は……」


 あんたと同じでいいなんて言えない。

 そもそも一緒に映画を見たり、ショッピングしたり、ピクニックに行ったり、料理をご馳走したりするのも十分デートだったはずだ。そう、大学の構内を一緒に歩くだけで私は胸がどきどきしているんだ。

 でも違うんだ。言葉として定義したら、違う。

 それは呪文のように、魔法を生み出す。

 デート。デートか。

 つぐもきっと私と同じ気持ちなんだ。


「まぁいいや。よーいどん!」


 彼女が勢いよく空に飛び出す。


「待って」


 せっかちな魔女だ。

 急いで箒に乗り、追いかける。


「待ちなさい、待ちなさいよ!」


 追いつけない。

 私は必死に追いかけるも彼女の姿はどんどん小さくなっていく。


「待って、待ってよ、つぐ」


 飛んでも、飛んでも距離は広がっていく。

 届かない。

 いかないで、つぐ。

 やだよ、つぐ。

 私は、あなたがいなくちゃ、


「待ってつぐ! 私を、私を置いてかないで!」


 やがて彼女の姿は消えた。



 × × ×


 彼女の顔を見下ろしながら、ぺちぺちと頬を叩く。


「そろそろ、起きろよ莉乃」

「……うーん、え。つぐ?」


 何の夢を見ていたんだろう。


「ごめん、私はつぐみ」

「…………そう」


 落ち込んだ表情に変わる。「何の夢を見ていたの?」と聞きづらい。きっと『つぐ』の夢だったのだろう。彼女が、莉乃を笑顔にする存在。

 それは、私じゃない。


「莉乃、ごめんね」


 彼女の瞳に流れる涙を拭う。


「あれ、どうして私泣いて」


 笑顔になれる夢だったはずなのに、泣いている。

 やっぱり日芽香ちゃんの夢への介入は危うい。


「って、何よ。この状況!?」

「膝枕」

「ちょっと、ちょっと!」


 やっと状況を理解し、大声を出して勢いよく私から離れる。


「何で膝枕されていたの!?」

「いや~、床で寝るのはさすがに可哀そうかなと」

「だからって!」

「寝ている時は静かで可愛いんだけどな」

「う、うるさくて悪かったわね!」


 彼女の顔が見事に真っ赤だ。


「だらしない寝顔も可愛かったよ。ほら、携帯で撮っておいた」

「消しなさいよー!」

「お取込み中の所悪いですが」


 莉乃がやっと第三者の存在に気づく。

 傍で見ているのは彼女を眠らせた元凶。『幻惑の魔女』、日芽香ちゃん。


「あんたが悪者!?」

「いや残念ながら吉祥寺の事件は彼女じゃないみたいだよ。知り合いみたいだけど」

「でも悪者でしょ。どうみても可笑しな光景だわ」


 人が地面に倒れて、寝ているのだ。否定できない。


「……縛らなくていいの?」

「大丈夫だよ。大丈夫だよね、日芽香ちゃん?」

「はい降参です。私の魔法は天才さんに見事に破られました。とても怖くて勝負できません」


 今度は私が莉乃に睨まれる。


「あんた、こんな小さな女の子に何をしたの?」

「何もしてないよ。むしろ私がされたんだって。私も同じように夢に介入された」

「夢に介入? それがこの子の魔法だって言うの?」

「はい、そうです! 私の魔法は皆が笑顔になる夢を見せて、現実でも笑顔にしてあげることです!」

「それで私にも都合の良い夢を見せたのね」

「ええ、楽しかったですよね?」

「……どうかしら」


 莉乃の顔が暗い。

 笑顔になるはずの夢だったのに、目覚めたら涙を流していた。

 夢と現実。ありもしない夢に縋るのは、やはり間違いなのかもしれない。夢から抜け出せなくなる。夢とのギャップに悩む。夢と現実の区別がつかなくなる。

 夢は日芽香ちゃんが考えている以上に、危険なものだ。


「おかしいですね、どうしてお姉さんは笑顔になってないんですか」


 日芽香ちゃんまで暗くなる。

 私はともかく、普通の人、魔女だけど、普通の感情を持った人でも失敗したのだ。自分の実力を疑っていなかっただけに、ショックなのだろう。


「日芽香ちゃん、わかったよね」

「はい、うまくいかないこともあるんですね……。つぐみさんの言う通りです。むやみやたらに使うのは止めます」

「というわけなんだ、莉乃。日芽香ちゃんは聞き分けの良い、悪い魔女じゃないよ」


 莉乃も理解したのか、ゆっくりとこっちを見て、頷く。


「で、本当の悪い魔女のことをこの子が教えてくれるわけ?」

「悪くないですよ。面白くて、優しいお姉さんなんです。ちょっと闇は深いですが」

「闇深いんだ。一緒に行動しているんだよね、今日は何処にいるの?」

「今日は……ってあんまり言っちゃいけないですね」

「いいから言いなさいよ。あんた、今どういう状況かわかっているの?早くここに呼び出しなさい」

「莉乃、怖い顔しないで。脅しちゃ駄目」

「だって!」

「できるだけ協力しますよ。だって、あのお姉さんも会いたがっていますから」

「ほら、なら早く呼んでちょうだい」

「ちょっと待ってください。ほらちょうど」


 電話の音が鳴る。

 息を呑む。

 日芽香ちゃんは何の迷いも無しに電話に出た。


「お仕事お疲れ様です。ええ、ちょうど2人の魔女さんと一緒です。スピーカーモードにしますね」


 すぐ呼べと莉乃は言ったが、タイミングよく電話が来るとは思っていなく、心の準備ができていない。


『やあやあ、こんにちは。空間の魔術師さんと、正義の魔女さんだったかな。私があんたたちの探している魔女だぜ。ばばーん。おーい、聞こえているのか』

「き、聞こえているわよ、悪い魔女」

『悪い魔女なんて言い方ひどくね? まだそんな悪いことしてないんだぜ?』

「停電騒ぎは悪いことでしょ」

『あー、あれは傑作だったな。面白いものを見せてもらったよ、空間の魔術師さん』


 女性の声だが、男口調の魔女。


「で、あんたはこれからどうするの。私達と勝負するの?」

『勝負。果たして勝負になるのかな』

「舐められたものね」


 隣の正義の魔女からイライラを感じる。電話越しなので姿はわからないが、強気な魔女だ。自信を持っている。


『すぐにパーティーは開く。招待するからぜひ参加してほしいんだぜ』

「パーティー?」

「招待って、あんたは何をする気なの?」

『あんたって言い方は嫌だな。悪い魔女でもつまらない。そうだな、私のことはこう呼んでくれ』


 そして、悪い魔女は嬉しそうに名乗った。


『災厄の魔女』

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