第1片 飛べない魔女④
どうにもできない、ね。
「ここは元々、おじいさんの持っていた水族館だったの。昔はもっと魚もいたのよ。私も小さい頃はこの水族館に来るのが楽しみだった」
女性は語り出す。ずっと誰かに聞いてほしかったのだろう。言葉は止まらない。
「けど街は衰退していく一方だった。人は減り、店も無くなり、交通機関は機能しなくなった。私もそうよ。この街から離れていった。ずいぶん来ていなかったわ。同時におじいさんとも疎遠になっていた。元々、うちの両親と仲が良くなかったのね。自分の夢だけを追っかけたおじいさんだもの。ただ一人で、水族館を守っていた。けどね、それも終わりが来た」
見ず知らずの学生の私にどうして?と思うが、だからこそ気兼ねなく話せるのだろう。
「おじいさんが病気になったの。入院しているわ。で、ここを管理する人がいなくなった。昔は職員もいたけど、今はおじいさんだけだった」
もうこれっきり会わない人間だ。そしてこの場所もきっと潰れる。学生に迷惑をかけようが、評判が落ちようが何の心配もいらない。
ただただ彼女の満足のためだけに、物語は紡がれる。
「誰も引き継ぐ人がいなかったの。そこで私に白羽の矢が立ったというわけ。親に言われたわ。バイトしかせず、遊んでばかりのお前にぴったりの仕事だって。私は遊んでいるわけじゃない。これでもバンドをやっていてね、デビュー目指しているんだ」
これでもというが、そういう雰囲気の持つ女性だ。意外性は少ない。
「でも売れなくてねー。長いことやっているんだけど、全く売れない。親の言い分は最もなの。私ももうすぐいい歳だし、そろそろ諦めなきゃいけないとも思っている。潮時、かな」
仕方がないと思う。でも寂しい選択だ。
「ごめん、学生に話す内容じゃないね」
「いえ、大丈夫です。私はこれでも話を聞くのは好きなので。どっちかというと聞く専門です」
若い館長さんがふふっと笑う。その仕草は大人びていて、どこか悲しいものだった。
「変わった子ね。最近の子はもっと話したがりじゃない? 自己主張が激しいというかさ」
「そうですかねー」
「あなたはあまり自分を出していかないキャラなのね」
へらへらと笑い返す。私は大人びていない。
「どうですかねー」
でも、子供でもない。
彼女は誰もいない場所で、一人寂しく、待っていた。
何を待っていた?
事態が好転するのを?おじいさんが元気になって戻ってくるのを?バンドが上手くいくのを?終わりが来るのを?
甘い。
ただ待っているだけでは、何も変わらない。流れに身を任せるだけでは、何も生まれない。奇跡の魔法など日常には存在しないのだ。
そう、都合の良い魔法など普通は存在しない。
話も終わったのだろう。嘆いていた彼女の表情も幾分か和らいでいた。
「聞いてくれてありがとう」
「いえいえ、私もアイデアが浮かばず、悩んでいたところですから」
そして悩んでいても仕方がない。
やるべきことは決まった。
「絵でも描いていいですか?」
「絵?どこに描くの?」
「水族館全体です。といっても時間はないので、手の届く範囲ですが」
「ええ、いいわよ。どうせすぐ潰れるんですもの。自由に好きなように描いて」
「じゃあ遠慮せずにいきますね」
筆を取り出す。
館長さんは……、まだそこにいるか。描きづらいな。
まずは騙しで、描くとしようか。
青のペンキをつけ、壁に魚を描いていく。映画で見た魚。名前は何だっけ。
「へー、やっぱり美大生だね」
「いや、まぁ芸大生ですが」
「その違いは重要?」
「絵だけではなく、芸術全般を取り扱うところが違いますかね」
「へー」
逆に言えば、絵に特化しない分、中途半端になってしまうことも多い。
進路に悩む人も多い。美大は美大で突き詰めすぎて、破滅する人もいるけど。
「さて」
中途半端なまま帰るのは気が引ける。一度関わったら、何とかしないと思うのが魔女の性分だ。
ちまちまと描いていては日が暮れてしまう。
辺りを見渡す。前島さんは帰って来ないし、周りに学生もいない。
いるのは、話をしていた館長代理の彼女だけ。
よし。
「館長さん」
「なに?」
「ごめんなさい、少し眠ってください」
「え」
あれだけ落ち込む話をされたのだ。感情はたっぷり利用させてもらう。
諦め。寂しさ。後ろ向きの感情。
話をしている間にしっかりと貯めさせてもらった。
不思議そうにしている彼女の顔の前で、指を鳴らし、彼女の意識を奪う。
倒れる身体を支え、ベンチに寝かせる。
簡単な睡眠魔法。
これからやることに観客がいては少しやりづらいからね。
この日本の現代社会で、魔女は認知されていない。上手く世の中に溶け込んでいるのだ。
いや、9割以上の魔女が四国から出ようとしないだけで、都会で目にすることがないだけなのだが。ともかく、魔女は、魔法は世間一般では非公表であり、秘密にしなくてはならない。
特に罰則はないが、口にしないルール。
魔女たちは自分たちの姿がバレるのを恐れている。バレて、利用され、世界のバランスが崩れるのを嫌う。魔女はあくまで裏の仕事で、見えない所で社会を支える存在なのだ、という。
私はそうは思わない。
それはただ臆病なだけで、都合の良い言い訳だ。
現に、魔女が現代社会に与える影響は皆無だ。何の役にも立っていない。
だから、私は芸術に魔法を使う。
それは自己満足で、自分勝手な、自己表現で。
でも、それでも人を変えることができる。
「おし」
固定させるだけの魔力も十分だ。
頭の中でイメージする。
水族館。
魚がたくさん泳いでいる。色んな種類の魚。サイズの違う魚。
綺麗な色が宝石のように輝き、泳ぎ、空間を形成している。
閉じ込められた水槽から解き放たれ、広がる。
そして、この若い館長さんも閉じ込められている。
この場所に縛られ、言い訳を並べ、上手く行かないことを正当化している。
潰すなら、潰せばいい。
こんな場所がなければ、彼女は自由になれるのだ。
でも自由になって、彼女はどうなるのか。水族館が無くなっても、きっと彼女は縛られ続け、飛べないだろう。もう言い訳もできなくなる。
飛べる人間は限られている。
ほとんどの人間は飛べない。飛ぶには才能と勇気と無茶が必要だ。
だから私はそっと肩を押す。
そこから落ちていくか、飛ぶかは彼女次第。
「一致した」
さぁ、あなたはどんな答えを出す?
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